俺の名前を呼んでくれたのは、君くらいなものだった

 何せ眠りの中で見る夢なんてものは、いつでも都合よくできているものだ。別れることが決まる少し前から、家族の心は彼から離れてしまっていたのだから。

 父親として、娘と交流を持ったこともあまりなかった。別れの日、彼女は車へ乗り込む前に一度だけこちらを振り返ったが、大人びた静かな眼差しに心を読みとることはできなかった。妻とは離婚の数年も前から、まともに言葉を交わしていない。

「あいつは、とうとう夢にさえ出て来なかったな」

 苦笑して立ち上がった。喉がカラカラだった。ついでに言うと、小腹も空いていた。
 その時、玄関の呼び鈴が鳴った。続けて岡村の声が聞こえてきて、手土産を買ってきましたよ、と玄関越しに主張してきた。

 もしまたケーキを買って来たというのなら、原稿だけ渡して追い返してやろうと思いながら、柳生は重い足取りで玄関に向かった。いつもの気丈っぷりで、彼の前に居続ける自信はなかった。

 玄関へと向かう間も、呼び鈴は鳴り続けていた。先程まで浸っていた気分が苛立ちで半分吹き飛び、柳生は鍵を開ける前に内側から玄関を二度叩いた。