俺の名前を呼んでくれたのは、君くらいなものだった

 それから、彼女はちょっとした世間話を始めた。以前担当したイベントが意外と好評で、どうやら今年から定期的に毎年、作品を公募することになるかもしれないらしい。ついでに今度の金曜日にある飲み会に参加しないかと、いう誘いを受けたが、柳生は考えておくと答えるにとどめた。

 しばらく話が途切れ、彼女は遠慮がちにこう言った。

「本を書かない?」

 そういう企画が上がっているのだと、穏やかな口調で語る。その声は諦めも混じっていて寂しげだった。柳生の歯切れの悪いあやふやな返事を受け取ると、彼女はわざとらしいくらい明るい調子で電話を切った。

 一昔前、物語を書くことは柳生の生きがいだった。だから、突然何も書けなくなってしまった時、一番戸惑ったのは柳生自身なのだ。

 プロットはいつまでたっても頭に浮かんでこず、書きたいという気持ちも気配を見せないままだ。毎日書き続けていた時に、身体を突き動かしていた熱は抜け落ちてしまっていて、彼は離婚した日を境に、伽藍の胸を抱えて日々を生きていた。