5日目……


 目を覚ます。
 見知らぬ天井がそこにあった。

 身体を起こすと
 ズキッと後頭部あたりに痛みが走る。

 ゆっくりと記憶を辿る。
 そうだ、確か僕は昨日、学校の3階から落下して……
 少し打ち所が悪かったのかもしれない。
 3階の高さだ、そうでなくてもただでは済んでいなかっただろう。

 頭は少し痛いけど……
 目の前にお見舞いに来てくれた制服の少女。
 申し訳なさそうに頭を下げる。

 僕は目の前の少女を救うことが出来たんだ。
 だから、こんな怪我はたいしたことじゃない。

 彼女がこうしてお見舞いに来てくれたのも、僕に対する罪悪感みたいなものだろうか……

 僕はずっと……ずっと君の事が好きでした。
 この想いを今……君に届けるのは卑怯でしょうか?
 君がくれる答えは……本心なのでしょうか?

 だから、僕はただ微笑んで……僕は、明日、また君に恋をする。


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 7日目……

 
 目を覚ますと、見知らぬ天井がある。
 ズキッと頭が痛む。
 
 目の前には、僕の好きな人がお見舞いに来てくれていて、
 ぎこちない笑顔を僕に向けている。

 「ねぇ……この手帳覚えている?」
 彼女はたくさんの猫がプリントされている手帳を僕に見せる。
 僕は?を浮かべながら……

 「……いや」
 正直にそう答える。
 もちろん、昨日までの僕は彼女にそんなプレゼントできる間柄では無くて、
 たまに、お話しする程度……
 そう、昨日、僕が彼女の代わりになっていなければ、こうして彼女がお見舞いに来てくれることもなかっただろう。

 「あれ……?」
 そんな、僕の言葉と裏腹に僕は大事そうに同じ手帳を持ったまま眠っていた。

 中をパラパラとめくる。
 何も書かれていない。

 「そっか……そうだよね」
 あれ……僕は何か間違った反応をしてしまったのだろうか……
 それでも、僕は確かに何も知らない。
 
 「ごめんね、変なこと聞いて」
 そして、彼女は悲しそうに無理やり微笑んだ。
 だから、その理由も僕が知る訳も無い。
 少しだけ気まずくなって……
 だから、僕はまた明日の君に恋をしよう……。


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 「もう10日目になるんでしょ?」
 夢の中……そんな声が聞こえる。

 看護婦同士の会話だろうか。
 睡眠薬と麻酔で意識を失っているはずの僕……
 なんとなくそんな会話だけがはっきりと聞こえてきて……

 「学校の3階の教室から落下したって……」
 3階の教室、北国に位置する僕の住む町の学校は、
 まだ古臭い建物で、教室の窓際には、
 暖房があって、その暖房を隠すように、
 暖房の前には鉄の策とその上は大理石で覆われていて、
 物置のテーブルのように、その高さは丁度
 窓と同じ高さだ。

 その日は北国としては珍しく暖かい日で、
 開かれていた窓、その窓の近くで彼女は友達二人と、
 その大理石に座って話していた。

 僕はそこから少し離れた場所で、悪ふざけして遊ぶ二人の友人に苦笑しながら、そんな彼女を時折見ていた。
 悪ふざけして、押した友人の一人がそんな彼女と会話する彼女の友人にぶつかり、その友人は彼女に倒れるように彼女にぶつかる。
 そして、倒れる彼女の背には何も無く……開いた窓から彼女は……

 「あぶないっ!!」
 気がつくと僕は必死に彼女の元に駆け寄っていて……

 落下する彼女の右腕を何とか捕まえた。
 右手で彼女の腕を掴み、左手で大理石の角を掴みながら自分の身体が彼女に引っ張られ落下するのを必死で堪える。
 
 それでも、少しずつ僕と共に彼女を地面はその重力で引き付けていく。

 友人の一人はそんな僕の身体を引き上げるように手を貸してくれる。
 もう一人は慌てて、先生を呼びに教室を出て行った。
 彼女の友人はただ、何もできず僕たちを眺めている。

 ほかの教室の連中も何も出来ず僕たちを見ている。

 友人が支えてくれたことで、彼女を右腕一本で支えることは難しかったが大理石の角を掴んでいた左手を離すとさらに窓の外に身を乗り出すと、両手で彼女の右手を掴んだ。

 彼女に左手を窓の近くまであげるよう指示する。
 それに従う彼女だが……その手は窓枠にまで届かない。

 僕は友人の名を叫ぶと、友人は僕の指示に従い僕の身体から手を離すと、
 彼女の左手を両手で掴む。
 そして二人で彼女の身体を引き上げる。

 二人で精一杯引き上げた。
 彼女の身体は友人の身体に預ける形で勢いよく教室の中に放り込まれる形になり、
 勢いよく大理石の下の床に叩きつけられた。
 
 そして、僕の身体は彼女と入れ替わる形で勢いよく窓の外へと放り投げられた。

 後頭部から落ち生きていることが軌跡だった。

 そんな奇跡が……
 喜ぶべきか、こうして今日も彼女は僕の元へと訪れる。

 それが、彼女が僕に対する後ろめたさからくるものだと……そんな奇跡が起こしたのはそんなものなんだと、その悲しそうな笑顔……だから彼女はそんな顔をするのだとその日の僕はそう思っていたんだ。

 だから、彼女に対する抑えられない気持ちをただ……今はただ……抑えて、
 僕はそんな彼女に明日、また恋をしよう。


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 14日目

 
 目を覚ますと、見知らぬ天井がある……
 身体を起こすと、頭がズキリと痛み……

 昨日の出来事を思い出す。

 愛しい彼女がにっこりと僕に微笑む。
 何気ない会話の後……彼女はトイレに行くと病室を出た。

 僕は昨日……結果的に彼女を救うことができた。
 ずっと、好意を寄せていた……
 

 そんな彼女が上手く僕に笑えない理由は、その後ろめたさだと思っていた。
 だから……僕が今、彼女に告白(ことば)を送るのは卑怯だと思った。
 だから……僕はまた、明日の彼女に恋をして、また明日告白をしようと今日もそう思った。

 今日も……?
 なぜ……そんな疑問を覚えたのだろう。

 わからない……わからないけれど……

 彼女が先ほどまで座っていた席にたくさんの猫がプリントされた手帳が置いてある。
 そういえば、僕もこんな手帳を持っていたような気がする。

 少しだけ……罪悪感はあった。
 ただ……思わず僕はそれに手を伸ばす。

 ペラペラとちょっとした罪悪感を覚えながらも何気なく見たそんな手帳……

 そんな手帳に彼女は毎日、きっちりと日記を書いていて……

 その内容は……僕はどう反応したら良いのだろうか……

 君が僕の見舞(まえ)に現れることが……懺悔(しゃざい)だと思っていた。
 そう思っていた……

 喜ぶべきなのか……悲しむべきなのか……

 その内容は僕にとっては余りにも複雑に残酷で……

 僕は……僕は……君に何ができるのだろう。

 僕のために……君のために……

 僕は今、産まれ代わる……そしてまた……明日、それを繰り返す……

 そして、君をまた困らせる。

 僕はそっと……手帳を元の場所に戻した。


 戻って来た彼女は、それに気がつかず、僕は彼女を病院の屋上に導くと……
 今日の夕日を一緒に眺めた。

 今日という夕日を一緒に見たのは、何度目だろう……今日が初めてなのだろうか。

 僕は、この抑えられない気持ちをただ生きるための糧にして……

 僕は、有触れた言葉で……同じような言葉で君にそれを伝えたのだろう……

 何時までも気がつくことも無く……

 いつしか、鏡を見て僕はその姿に驚くのだろうか……


 今……震える僕が何を言うのか君は知っているのでしょう。

 その僕の贈る言葉も、君が返す言葉もきっと……
 知らないのは僕だけで……
 
 僕の記憶は……手にする手帳のように真っ白に……
 その結果を繰り返す。

 その日……手をつないで、病院の出口に向かう瞬間の幸せすらも忘れて、
 僕は、また、明日君に、恋をする。

 
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 「今日でもう、18日目になるんでしょ?」
 また……深い眠りの中……
 麻酔と睡眠薬を投与されて手術を受けた後……
 僕はそんな看護婦の声を聞く。

 そして、そんな会話も明日の僕には届かない。

 「頭から落下して、生きていたのも奇跡だって……」
 そんな声がぼんやりと……なのに鮮明に頭に入ってくる。

 「でも……後遺症なんでしょう?」
 そうぼんやりと鮮明に……

 「記憶障害……」
 僕は何を手に入れて……何を失ったのだろう。
 
 「寝て、起きたら……昨日の記憶は無いって」
 その日の幸せも、今日の不幸も……
 君のぎこちない笑顔もその理由も……
 君に伝えた言葉もその答えも……
 君と繋いだ手の温もりもその理由も……

 明日の僕は何も知らなくて……

 だから、明日の僕は、また君に、恋をする。


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 20日目……


 目を覚ますと、見知らぬ天井がある……
 身体を起こすと、頭がズキリと痛み……

 その日は、少し早く目が覚めた。
 
 誰も居ない病室。

 僕は手にしている見知らぬ手帳をひろげる。

 まっさらなはずの手帳。



 1日目……私を助けてくれた彼の病室に行った。
 その帰り際に彼に告白をされた。

 嬉しかった……かはわからない。
 驚いたというのが正直な感想だった。

 思わず私は二つ返事で返した。

 後ろめたさが無かったと言えば嘘になるが……
 それでも、私は彼を嫌いじゃなかったから……
 それが好きかはわからないけれど……
 彼が私にくれる言葉はなんか大好きだ。


 2日目……恋人の病室に向かった。
 その違和感の意味に最初気がつかなかった。

 私と彼の会話はどこかすれ違っていて……

 その帰りに、私は再び彼に告白された。


 3日目……4日目……
 綴られている短い日記。


 5日目……病室に現れる私を見る彼の顔は同じだった。
 初日からずっと……少し緊張した眼差しで……
 そこで、私は理解した、理解できた。
 彼の記憶も……
 私の関係も……
 全部、振り出しに戻っていることに……

 今日……もし、私が彼から贈られる言葉に……
 最悪な返事を返してもそれはきっと……

 6日目……今日は私から彼に告白をした。
 彼がなんて言うかなんてわかっていた。
 ずるい女。
 そして、私はこれと同じ手帳を彼にプレゼントした。

 毎日、短い日記をつけてみたら?と彼に提案した。

 忘れてしまっても……記録は残るから。
 残った記録が、彼の記憶を呼び覚ますかもしれないと思ったから……

 7日目……手帳を覚えているかを訪ねた。
 彼は不思議そうな顔をして、否定するが……
 その中を眺めるが……効果は無かった。

 8日目……綴られていく日記。


 14日目……トイレに席を立つとき、自分の座っていた椅子に手帳を置いて来てしまった。
 しまった……と思った。
 彼は見てしまっただろうか?
 その日の彼は、何処かいつもと違っていて……

 でも……大丈夫。
 きっと、明日の彼には……明日の彼はまたいつも通りだ。

 日記は19日目まで綴られている。
 僕が知らない空白の19日間。
 僕にとって、二十日前(きのう)の記憶だけが鮮明に覚えていて……

 知らぬ僕が摩り替えただろう、彼女の手帳。

 手帳を見たところで……それが真実と受け入れられるだろうか。

 僕はそっとこの後現れるだろう彼女が座る椅子にそっとその手帳を置く。

 僕は病室を出ると、担当医師との面会を希望した。

 話をした。

 この症状が治るのか……
 
 手術には、莫大な費用と……リスクを背負うことになる。

 治る確率は10%以下……そして最悪、死のリスクを負う。

 そこまでの費用とリスクを背負ってまで……
 僕は……それで何を手に入れられるというのだろう。

 僕は何事もなかったかのように病室に戻る。

 現れる彼女……
 僕は、それに安堵しているのだろうか。

 今日……明日、彼女は疲れて……ここに来る足を止めてしまうかもしれない。
 今日……明日、彼女が答える……答えが変わってしまうかもしれない。

 だったら……今の僕が彼女の気持ちを伝えるのは正解なのだろうか……
 僕がその言葉で彼女と繋がろうと思うのは正解なのだろうか……

 苦しめているだけなのだろうか……

 彼女は僕から贈られる何かの言葉を待つかのように……
 それは自惚れだろうか……

 変わらない言葉を僕が送ることを疑わないように……
 きっと、その答えを準備してくれているのだろう……

 「ねぇ……昨日の僕と今日の僕は別人なのかな?」
 発した僕の言葉に……
 待っていた言葉と違う言葉に彼女は戸惑う。

 「昨日の記憶が無いって言うのはさ……昨日の僕は死んでしまったのと一緒なのかな」
 僕はそう彼女に問う。

 「昨日の僕が君に恋をして……今日の僕が君に恋をする、そして明日……また君に恋をする……」
 僕のその言葉に戸惑いながら……

 「二十日前(きのう)の僕の想いが……ずっとずっと、君を呪い続けて……」
 僕は君を不幸にしているのではないか?
 君を守ったという立場(こうじつ)を利用し続けているのではないか?

 それでも……僕のこの想いは本物で……
 二十日前(きのう)までの僕の記憶も本物で……

 そんな愛の言葉と変わらない別れの言葉を懸命に捜していて……

 結果はわからない……
 その後、どうなるかなんてわからない……
 そう、決意した僕にまた明日が訪れる保障は無い……

 だから……今日の君に、僕は(わかれ)の言葉を贈る。

 それは、彼女が望むものかは解らない。
 それが、彼女の救いになるかは解らない。

 ただ、それは今日の僕と明日の君を繋ぐ方法。
 それは、今日の君と昨日(いま)の僕を繋ぐ方法。

 あぁ……これは、また自分本位な言葉なんだ。

 そんな別れの言葉を僕は君に贈る……


 「だから僕は、明日の君に恋をする……」