その日の夜。
時間は九時を回っている。
夕飯を終えて銭湯に行ったあと、屋敷に帰るなり昴さんは出かけてしまい、今私はひとりぼっちだ。
早く寝よう。
そう思い布団に入るけれど……昨日とうってかわって全然寝付けなかった。
昨日は一晩中走ってうちまで行って、全然寝ていなかったから疲れて眠れたんだろうけど……今日は違う。
そこまで疲れることをしていないし、頭の中を利一さんのことがチラついてしまう。
あの日の夜、なぜか別の部屋でひとりで寝るように言われて、寝てたら利一さんが部屋にいた。
そして、布団を引きはがされて寝間着に手を掛けられて……
思い出しただけで身体が震えてくる。
皆知ってて、私をひとりで寝かせたんだろうな。
そう思うと裏切られたみたいで悲しすぎる。
そして、利一さんに襲われて夢中で逃げ出して、ここにたどり着いた。
あれは月曜日の夜で、今日が水曜日だから……まだ二日しか経ってないんだ。
やだ、涙が出てきた。
どうしよう……怖い。
ここは安全なはずだ。
昴さんの家だし、利一さんは私がどこにいるかなんてわからないはずだから。
なのに……
怖い。
だって利一さん、わざわざ私を追いかけてきたんだもの。
また私の前に現れる可能性はじゅうぶんある。
こんな想いをするなら、思い切って殺しておけばよかった。
私をあんな目に合わせたんだから。
結局ほとんど寝ることが出来なくて、ふらふらと起きて着替えをし、廊下に出た。
すると今日は昨日と違う女の子が雑巾がけをしていた。
ぼたんちゃんよりは年が上で、たしかめいこ、って名前だと聞いた。
ぼたんちゃんが七歳で、めいこちゃんは十歳だと言っていたっけ。
くりくり、とした目の彼女は私を見るとにこにこ笑い、言った。
「おはようございます!」
「あ、お、おはよう、ございます」
言いながら私は頭を下げる。
彼女は私の顔をじっと見つめて首を傾げた。
「あれ、すごく疲れてる顔してるけどねむれなかったの?」
「え、う、うん……ちょっとね……」
ほとんど眠れなかったんだから顔に思いきり出るよね……
「怖い夢でも見たの?」
怖い夢、ならどんなによかっただろう。
あれは夢じゃない。
それでも私は無理やり笑顔を作って、
「大丈夫」
と答える。
「昴様はね、ひとりでは眠れないんだって。私もそうだからすっごくわかる。お姉ちゃんも誰かと一緒に寝たらきっと怖くないよ!」
昴さんがひとりで眠れないって話、こんな小さい子まで知ってるんだ。
でもなんでひとりじゃ眠れないんだろう?
「誰かと一緒かぁ……」
そう言われても一緒に寝る相手なんていない。
「そうだよ! 私はぼたんと一緒に寝てるんだ! 私もぼたんも、鬼の夢見て泣いちゃうことあるけど、ふたりで一緒にいるから平気なんだ!」
鬼の夢……?
それってどういう……
なんだか引っかかるけどめいこちゃんは、掃除があるから、と言い雑巾がけを再開した。
めいこちゃんとぼたんちゃんは孤児だと聞いた。
昴さんが拾ってきたと。
もしかして……家族が鬼に殺されたのかな。
そうは思うものの確認なんてできるわけがなく、私はいそいそと台所へと向かった。
食事の用意が終わり食卓に行くと、眠そうな顔をした昴さんが新聞を見ていた。
昨夜も遊郭に行っていたんだろうな。
誰かと一緒になら眠れるか……
この家にいるのは昴さんだけだし……でも昴さんは夜、家にいない。
そうなると今夜も眠れないかな、私。
「今日は午前中、加賀子爵の家に行ってくるよ。夜はいないからよろしく」
「かしこまりました」
そんな昴さんの言葉が聞こえてくる。そうだよね、夜はいないんだもんね。
今夜も私、この広いお屋敷にひとりか。
そう思うと無性に寂しさが広がっていく。
朝食を終え、片づけをしようとすると昴さんに呼ばれた。
「ねえ、ちょっと来て」
「え、あ……はい」
来て、と呼ばれて後を着いて行くと、連れて行かれたのは書斎だった。
いったい何の用だろう……
中に入るなり、昴さんは私の頭に手を触れて言った。
「何かあった?」
「え……い、いいえ何もないです」
夜眠れなかったけど、それは大したことじゃないし……
頭に触れた手が、なんだか温かい。
「そう、ならいいけど」
言葉と共に頭に触れていた手が離れていってしまう。
何でだろう、さっきまで寂しさとか哀しさとかあったのに、今はそんな気持ち、どこかにいってしまったみたいだ。
「あ、あの……」
「なに」
「いつも、夜は遊郭で寝ているんですか……?」
「混んでいなければね」
遊郭って混むことあるんだ。
「なんで遊郭で寝ようって……」
「それは……」
と言い、昴さんは気恥ずかしそうに視線をそらす。
「家族が死んで、最初の一年は敬次郎たちの家族と一緒に寝ていたけれど……いつまでも一緒にいるわけにもいかないし。でもひとりでこの家を使うようになってからは、ずっと外で寝てて、家で寝られたことはないかも」
「ご家族はいつ……」
「僕が十二の時だから……九年前かな」
っていうことは、昴さんは二十一なんだ。
でもちょっと待って? 家族全員同じ時期に死んだって事?
事故かなにかだろうか。まさか一家心中とか?
でもひとりだけ生き残るって哀しすぎる……
「ど、どうして亡くなったんですか?」
遠慮がちに尋ねると、ぴきーん、と空気が張りつめたような気がした。
き、聞いたらまずかったかな……
私は俯き、
「すみません」
と、消え入る声で言う。
知り合ってまだちょっとしかたっていないし、そんなことおいそれと聞くことじゃないよね。
反省していると、昴さんの声が聞こえてきた。
「殺された」
静かな、冷たい声が響く。
殺された……?
「え、あ……それってどういう……」
顔を上げておそるおそる尋ねると、昴さんは下を俯き、怖い顔をしていた。
殺されたって……いったい誰にそんなこと。
「その話は今するつもりはないよ。じゃあ僕は出かけるから」
冷たい声で言い、昴さんは私から離れて書斎を出て行ってしまった。
どうして私をここに呼んだんだろう……
頭に触れたかっただけ……?
そんなわけないか。
不思議な人だな、昴さんて。
時間は九時を回っている。
夕飯を終えて銭湯に行ったあと、屋敷に帰るなり昴さんは出かけてしまい、今私はひとりぼっちだ。
早く寝よう。
そう思い布団に入るけれど……昨日とうってかわって全然寝付けなかった。
昨日は一晩中走ってうちまで行って、全然寝ていなかったから疲れて眠れたんだろうけど……今日は違う。
そこまで疲れることをしていないし、頭の中を利一さんのことがチラついてしまう。
あの日の夜、なぜか別の部屋でひとりで寝るように言われて、寝てたら利一さんが部屋にいた。
そして、布団を引きはがされて寝間着に手を掛けられて……
思い出しただけで身体が震えてくる。
皆知ってて、私をひとりで寝かせたんだろうな。
そう思うと裏切られたみたいで悲しすぎる。
そして、利一さんに襲われて夢中で逃げ出して、ここにたどり着いた。
あれは月曜日の夜で、今日が水曜日だから……まだ二日しか経ってないんだ。
やだ、涙が出てきた。
どうしよう……怖い。
ここは安全なはずだ。
昴さんの家だし、利一さんは私がどこにいるかなんてわからないはずだから。
なのに……
怖い。
だって利一さん、わざわざ私を追いかけてきたんだもの。
また私の前に現れる可能性はじゅうぶんある。
こんな想いをするなら、思い切って殺しておけばよかった。
私をあんな目に合わせたんだから。
結局ほとんど寝ることが出来なくて、ふらふらと起きて着替えをし、廊下に出た。
すると今日は昨日と違う女の子が雑巾がけをしていた。
ぼたんちゃんよりは年が上で、たしかめいこ、って名前だと聞いた。
ぼたんちゃんが七歳で、めいこちゃんは十歳だと言っていたっけ。
くりくり、とした目の彼女は私を見るとにこにこ笑い、言った。
「おはようございます!」
「あ、お、おはよう、ございます」
言いながら私は頭を下げる。
彼女は私の顔をじっと見つめて首を傾げた。
「あれ、すごく疲れてる顔してるけどねむれなかったの?」
「え、う、うん……ちょっとね……」
ほとんど眠れなかったんだから顔に思いきり出るよね……
「怖い夢でも見たの?」
怖い夢、ならどんなによかっただろう。
あれは夢じゃない。
それでも私は無理やり笑顔を作って、
「大丈夫」
と答える。
「昴様はね、ひとりでは眠れないんだって。私もそうだからすっごくわかる。お姉ちゃんも誰かと一緒に寝たらきっと怖くないよ!」
昴さんがひとりで眠れないって話、こんな小さい子まで知ってるんだ。
でもなんでひとりじゃ眠れないんだろう?
「誰かと一緒かぁ……」
そう言われても一緒に寝る相手なんていない。
「そうだよ! 私はぼたんと一緒に寝てるんだ! 私もぼたんも、鬼の夢見て泣いちゃうことあるけど、ふたりで一緒にいるから平気なんだ!」
鬼の夢……?
それってどういう……
なんだか引っかかるけどめいこちゃんは、掃除があるから、と言い雑巾がけを再開した。
めいこちゃんとぼたんちゃんは孤児だと聞いた。
昴さんが拾ってきたと。
もしかして……家族が鬼に殺されたのかな。
そうは思うものの確認なんてできるわけがなく、私はいそいそと台所へと向かった。
食事の用意が終わり食卓に行くと、眠そうな顔をした昴さんが新聞を見ていた。
昨夜も遊郭に行っていたんだろうな。
誰かと一緒になら眠れるか……
この家にいるのは昴さんだけだし……でも昴さんは夜、家にいない。
そうなると今夜も眠れないかな、私。
「今日は午前中、加賀子爵の家に行ってくるよ。夜はいないからよろしく」
「かしこまりました」
そんな昴さんの言葉が聞こえてくる。そうだよね、夜はいないんだもんね。
今夜も私、この広いお屋敷にひとりか。
そう思うと無性に寂しさが広がっていく。
朝食を終え、片づけをしようとすると昴さんに呼ばれた。
「ねえ、ちょっと来て」
「え、あ……はい」
来て、と呼ばれて後を着いて行くと、連れて行かれたのは書斎だった。
いったい何の用だろう……
中に入るなり、昴さんは私の頭に手を触れて言った。
「何かあった?」
「え……い、いいえ何もないです」
夜眠れなかったけど、それは大したことじゃないし……
頭に触れた手が、なんだか温かい。
「そう、ならいいけど」
言葉と共に頭に触れていた手が離れていってしまう。
何でだろう、さっきまで寂しさとか哀しさとかあったのに、今はそんな気持ち、どこかにいってしまったみたいだ。
「あ、あの……」
「なに」
「いつも、夜は遊郭で寝ているんですか……?」
「混んでいなければね」
遊郭って混むことあるんだ。
「なんで遊郭で寝ようって……」
「それは……」
と言い、昴さんは気恥ずかしそうに視線をそらす。
「家族が死んで、最初の一年は敬次郎たちの家族と一緒に寝ていたけれど……いつまでも一緒にいるわけにもいかないし。でもひとりでこの家を使うようになってからは、ずっと外で寝てて、家で寝られたことはないかも」
「ご家族はいつ……」
「僕が十二の時だから……九年前かな」
っていうことは、昴さんは二十一なんだ。
でもちょっと待って? 家族全員同じ時期に死んだって事?
事故かなにかだろうか。まさか一家心中とか?
でもひとりだけ生き残るって哀しすぎる……
「ど、どうして亡くなったんですか?」
遠慮がちに尋ねると、ぴきーん、と空気が張りつめたような気がした。
き、聞いたらまずかったかな……
私は俯き、
「すみません」
と、消え入る声で言う。
知り合ってまだちょっとしかたっていないし、そんなことおいそれと聞くことじゃないよね。
反省していると、昴さんの声が聞こえてきた。
「殺された」
静かな、冷たい声が響く。
殺された……?
「え、あ……それってどういう……」
顔を上げておそるおそる尋ねると、昴さんは下を俯き、怖い顔をしていた。
殺されたって……いったい誰にそんなこと。
「その話は今するつもりはないよ。じゃあ僕は出かけるから」
冷たい声で言い、昴さんは私から離れて書斎を出て行ってしまった。
どうして私をここに呼んだんだろう……
頭に触れたかっただけ……?
そんなわけないか。
不思議な人だな、昴さんて。