翌日。
 習慣だろう、夜明けと共に目が覚めた。
 いいや、習慣だけじゃない。初めての場所で、しかもベッドで寝るなんて初めてで。
 初めてづくしだったから、私はすぐに目が覚めちゃったんだと思う。
 昨日買ってもらった服に着替えて、私はそっと部屋を出た。
 ひざ下まであるスカートに、白いブラウス。
 割烹着は買っていないんだけど、家にあるはずだと昴さんが言っていた。
 朝、台所に行けばいいと言われたけど……確かにばたばたと物音がする。
 廊下を子供が雑巾がけをしていて、私を見つけると立ち上がりぱっと笑顔で言った。

「あ、おはようございます!」

「お、おはよう、ございます」

 女の子……かな。
 私が奉公に出た八歳よりも小さいかもしれない。

「もしかして、あなたが昴様が言っていたお姉さん?」

 好奇心の強い目が私を見つめる。

「私、ぼたんっていうの!」

 にこにこ笑って、彼女は言った。
 
「わ、私は……かなめ」

「かなめさん。わかった!」

 そう言うと、ぼたんちゃんは雑巾がけを再開した。
 ……私も奉公先で朝から雑巾がけしてたっけ。
 奉公人、何人いるんだろう。
 家族はいないって言っていたけど……お屋敷は大きいし、祓い師ってだけじゃなさそうな気がする。
 台所に向かうと、私のおっかさんと同じ年頃……四十歳くらいの女性が料理をしていた。
 なんだかおっかさんの姿と重なり、胸の奥が熱くなっていく。
 彼女は私に気が付くと、表情を変えずに言った。

「貴方が、昴様が言っていた子?」

 昴さん、いったいいつこの人たちに私の事を話したんだろう……

「あ、あの……かなめ、と言います」

 言いながら私は頭を下げた。

「私はとし子。この家の家事一切をとりしきっています。さっそくだけど、そこに割烹着があるから手伝ってくれる?」

「あ、は、はい。わかりました」

 私は、とし子さんが示した場所にあった割烹着を着て、彼女に言われるままに野菜を切った。
 その間に聞きだした話によると、明け方に帰ってきた昴さんが、とし子さんたちに私の事を話したらしい。
 昨夜帰ってきて、私はすぐに与えられた部屋に行ったからわからなかったけど、昴さんはすぐに外に出掛けていたらしい。
 昴さん、ひとりで眠れないっていうのは本当なんだろうか。
 ……いつ、家にいるんだろう。

「お食事は、昴様も一緒にとるので失礼のないように」

「……え?」

 使用人が雇主と一緒に食事なんてとるの?

「昴様の希望で、朝食は一緒にとってるの」

「そう、なんですか」

 使用人て、雇主と別でご飯食べるのが普通だと思っていたけど……
 そんな事を考えながら料理をして、出来上がった頃には食堂に知らない人たちが集まっていた。
 とし子さんから聞いた話によると、とし子さんを含めて六人の使用人がいるらしい。
 そのうち四人はとし子さんの家族で、あとのふたりは孤児だと言っていた。
 昴さんがどこからか拾ってきて、とし子さんたちが面倒を見てるらしい。
 食堂には朝みかけたぼたんちゃんと、もうひとり女の子が並んで座って、何やら楽しそうに話している。
 昴さんは眠そうな顔で椅子に座り、新聞に目を通しながら言った。

「午前中、軍部に行くから来客があったら昼間まで戻らないと伝えて」

「かしこまりました」

 そう返事をしたのは、とし子さんの旦那さんである敬次郎さんだった。
 たぶん、四十歳過ぎくらい。白髪まじりの大人しそうな男性だ。

「あと、夕方は仕事で出る。彼女を連れて行くから、動きやすい服に着替えさせて」

「かしこまりました」

 これに返事をしたのはとし子さんだった。
 軍部、仕事、連れて行く。
 ひとつひとつの情報を処理しきれない。
 軍部ってことは、昴さんは軍人?
 そうっぽく見えないけど……
 軍人って、昨日の警察みたいにちょっと怖いものだと思ってたけど、昴さんからはそんな感じはしないし。
 昴さん、何者なんだろう……
 不思議に思いながら、私は賑やかな朝食の時間を過ごした。
 朝食を終えて子供たちは学校に行き、昴さんは出かけてしまい一気に屋敷は静けさが包み込む。
 とし子さんたちは午前中、屋敷の掃除や来客の対応があるそうだけど、午後は基本、別棟にあるとし子さんたちの家にいるらしい。
 お昼や夕食はそちらで食べるのだとか。
 だから私も、昼と夕食はそちらの別棟に来るよう言われた。
 午前中の掃除を終え、手紙の仕分けといった日々の業務などを教わりひと息つく。
 お茶とお菓子をいただきながら、私はとし子さんに尋ねた。

「あの昴さんは軍人なんですか……?」

「そうですよ。陸軍少尉であり、子爵でいらっしゃいます」

 陸軍少尉……子爵……て、華族ってこと?
 驚きすぎて声も出ない。
 なんでそんな人が遊郭で昼寝してるの?

「す、昴さん……じゃなくて昴、様は祓い師っておっしゃってましたけど……」

「それはあの方を表すひとつの肩書にすぎません。今日のように軍部に赴き仕事をされることもあるし、夜になるとあやかしのたぐいの相手をされているの」

 とし子さんは淡々と告げて、湯呑を手にする。
 ほんとに軍人なんだ……
 しかも華族って……私、とんでもない家に来ちゃったかもしれない。
 お茶を終えて片づけをした後、とし子さんは私の方をじっと見つめて言った。

「その服では昴様の足手まといになりますから、着替えましょう。私がみつくろいますから」

 ああ、そういえば私を仕事に連れて行くとか言ってたっけ。 
 仕事って祓い師の……だよね。
 何するのかな。
 私は部屋に戻ると、とし子さんに言われるまま動きやすい服装に着替えた。
 黒っぽいシャツに、黒っぽいズボン、ていうのかな。
 なんだか歌劇団の男役みたいだ。
 胸元まである髪は、とし子さんが三つ編みにしてくれた。

「す、すみません、ありがとうございます」

 こんなにお世話になっていいんだろうか。
 正直怖くなってしまう。
 とし子さんは表情を変えず言った。

「昴様が戻るまで好きに過ごして大丈夫ですが、二階にはあがらないように」

「い、行かないです」

 さすがに人の家だから、うろうろする気は全然ない。
 
「あ、あの、外に出ても大丈夫ですか……?」

 おそるおそる尋ねると、とし子さんは頷いて言った。

「大丈夫ですが、遠くには行かない様にしてください。人さらいが多いと聞きますから」

「ひ、ひ、人さらい……?」

 そう言われると怖くなるんだけど……?
 私、子供じゃないけど、子供じゃなくてもさらわれるの?
 怯えが顔に出たらしく、とし子さんは首を横に振って言った。

「そんなに怖がらなくても大丈夫ですよ。出るのは日暮れの時間らしいし、明るい時間ならば大丈夫でしょう」

「そ、そ、それならよかったです」

 でもそう言われると外に出る勇気はなくなり、与えられた部屋で片づけをして過ごした。