銭湯に入り、京佳さんから借りた服を着て外に出る。
洋装は初めてで、なんだか気持ちが落ち着かない。
これ、ワンピースていうんだっけ。
上着とスカートが繋がっている服だ。
ちょっとスカートの丈が短くて足がスースーする。
でも、さっきまで着ていた着物よりずっときれいだ。
「あとは髪ね。せっかくだし綺麗にしてもらいましょう」
「え? か、髪?」
目を見開いて、私は京佳さんを見つめる。
彼女はにっこりと笑い、私を見上げて言った。
「ちょっと異人さんみたいに金に近い茶色なのかしら? 綺麗な色なんだし、髪も綺麗にそろえてもらいましょう?」
「そ、それってどこに行くんですか……?」
おそるおそる尋ねると、彼女は言った。
「美容院よ」
美容院。
私にとって未知なる場所だ。
たじろぐ私の手を引っ張り、京佳さんは私を美容院と百貨店に連れて行き、色んな買い物をした。
靴や服、下着、着物まで仕立ててもらうことになったけどいいのかな本当に……
こんなに人に何かを買ってもらったことなんてないから怖いんだけど……
怖気づく私をよそに、京佳さんはあれこれと選び、私に試着させたりした。
こんなふうに買い物をしたのは初めてで、何もかもが新鮮だった。
私は普通の女の子たちに比べて背が高い。
異人の血が混じってるから髪の色も目の色も薄くて悪目立ちする。
だからいつも俯いて、背を丸くして歩いてしまう。
買い物を終えて歩いていたらみんなに見られているような気がしてすごく恥ずかしくて、顔なんてあげられなかった。
なんでみんな私を見るんだろう……
髪の毛は今はやりだという、マガレイトっていう三つ編みをふたつに折ってわっかにする髪形にされた。
京佳さんは似合ってるって言ってくれたけど……私はまともに鏡を見られなかった。
「あーあ、こんな荷物になるなら昴さんを連れてくるべきだったわね」
と、百貨店の袋をさげた京佳さんが苦笑して言った。
「そ、そ、そうですね」
私も紙袋をいくつかぶら下げている。
こんなに買い物していくら使ったんだろう……
怖くて聞けない。
「きっと昴さん、今頃昼寝してるわよ」
と言って、京佳さんは笑う。
遊郭でわざわざ昼寝するの?
遊郭ってそう言う場所じゃないよね?
驚き顔を上げると、京佳さんはころころと笑って言った。
「彼は昼寝をしに来るのよ。ひとりで寝るのが好きではないらしくて。誰かがいたほうが落ち着くんですって」
「……変わった人ですね」
「そうそう。遊郭だし、皆がみんな専用の部屋があるわけじゃないんだけど、大部屋で仕切りしかない所でどうどうと昼寝するのよ、あの人」
……その、昴さんが寝ているであろう大部屋で何が行われているのかは聞けなかった。
想像するだけで顔が熱くなる。
よくそんな状況で昼寝できるな……っていうか、そんな状況で性行為をするってことだよね?
……すごいな、遊郭。私には想像できない。
京佳さんはその遊郭の遊女、なんだよね?
お店の奥から出てきた彼女はとても艶めかしかったし、女の私から見ても魅力的だった。
「京佳さんは、昴さんと……」
と聞くと、彼女は口元に手を当てて笑った。
「あの人、そう言うことをしないのよ。文字通り一緒に寝るだけ」
それもすごいなあ……
なんでひとりで眠れないんだろう。
……って待てよ?
私は立ち止まって京佳さんの方を見て尋ねた。
「昴さんって、家、あるんですか?」
すると京佳さんは立ち止まり視線を上に向けてうーん、と呻いた後言った。
「あるはず。たぶんある」
たぶんって……私、とんでもない人に着いて行くって言っちゃったかも。
遊郭に戻ると日が暮れ始めていて、店先の行灯に明かりが点いている。
昼間とはまた違う顔の遊郭。
店の格子の向こうにいる遊女たちは昼とは違う着物を着ている気がする。
響く三味線の音。人々の笑い声。
きらきらしていて、華やかで私には眩しい世界だ。
京佳さんの店に戻ると私の親くらいの男性が、遊女と寄り添い奥へと入っていく。
「ちょっと待ってて。昴さん、呼んでくるから」
そう京佳さんは言い、荷物を置いて奥へと消えて行く。
待ってて、と言われても正直ちょっといにくいんだけどな……
だってここは遊郭。
女性が来るところじゃないはずだし……
私は俯いて、昴さんが来るのを待った。
その間にも客が来て遊女と奥に入っていくのが、視界の隅にうつる。
少しして、
「お待たせ」
という、気だるそうな青年の声がした。
顔を上げると、あくびをする昴さんが目の前に立っていた。
「昴さん、荷物運ばせましょうか?」
その後ろから現れた京佳さんの申し出に、昴さんは首を振った。
「いいや、いいよ。僕が運ぶから」
と言い、今日買ってきた物が入った袋を持つ。
「あ、あの私の荷物だし私が……」
「……これくらい大丈夫だよ」
と言い、彼は歩き出してしまう。
「あ……」
慌てて私は昴さんの背中を追った。
「荷物を家に置いたら夕食を食べに行こう。それでこれからのことを話そうか」
「え、あ、はい。わかりました」
よかった、ちゃんと家、あるんだ。
昴さんは花街を抜けてどんどん歩いていく。
もう少ししたら日が完全に沈むだろう。
街灯に灯りがともり、人々が足早に歩いていく。
こんなに外を歩くのは久しぶりで足が痛くなってきたな……
そう思い、足元を見る。
履きなれない洋物のサンダルはなんだか変な感じがする。
どれくらい歩いただろうか。商店街の一画で、昴さんは立ち止まった。
「ここが家だよ」
それは、洋風のお屋敷だった。大きな門と、高い塀に囲まれた、茶色の壁のお屋敷。
……もしかして昴さんて貴族……?
「僕は余り家にいないから、人に頼んで掃除だけはしてもらってるんだ。だからたぶん、中は綺麗なはずだよ」
と言い、彼は門をくぐっていった。
門の中は庭になっていて、手入れされているらしく木々は切りそろえられている。
青いあじさいが咲いているけど、あとの植物はわならない。
「夏になると月見草が咲くよ。知ってる? 月見草」
「す、すみません、知らないです……」
私が知ってるのはあじさい、桜、梅、くらいかな……
夏はひまわりとか……?
「そう、夏の夜に咲く花なんだ。白くてきれいだよ」
「そ、そうなんですか」
夜に咲く花なんてあるんだ……
昴さんは家の前に着くと鍵を刺し、重たそうな扉を開いた。
きれいにしている、というのは本当みたいで、ほこりのにおいとかカビの匂いはしない。
昴さんは玄関に置いてあるランプを点けると、それをもって奥へと入っていった。
天井が高い。
玄関に入ってすぐに階段がある。
上はもう暗くて見えないけど、けっこう大きいんだろうな……
「とりあえずこっちの部屋使って」
「は、はい、失礼します……」
案内された部屋は……すごく広い洋室だった。
おしゃれなベッドに大きな窓、それに、洋風の箪笥などがある。
「あ、あ、あの……こんな広い部屋……いいんですか……?」
恐る恐る尋ねると、昴さんは無表情に答えた。
「他に部屋あるけどないし」
言いながら昴さんは荷物を床に置く。
あるけどないってどういうことだろ……?
たぶんこの部屋、十畳以上はありそうだ。私が小さい頃住んでいた家よりたぶん広い。
広すぎて落ち着かないんだけど……?
「す、昴さんの部屋はどこなんですか?」
「二階だよ。とりあえずおしゃべりはあとにして、ご飯食べに行こう」
そうだ、ご飯食べにいくんだった。
私は慌てて荷物を置き、
「わかりました、行きましょう」
と言い、昴さんの方を向いた。
洋装は初めてで、なんだか気持ちが落ち着かない。
これ、ワンピースていうんだっけ。
上着とスカートが繋がっている服だ。
ちょっとスカートの丈が短くて足がスースーする。
でも、さっきまで着ていた着物よりずっときれいだ。
「あとは髪ね。せっかくだし綺麗にしてもらいましょう」
「え? か、髪?」
目を見開いて、私は京佳さんを見つめる。
彼女はにっこりと笑い、私を見上げて言った。
「ちょっと異人さんみたいに金に近い茶色なのかしら? 綺麗な色なんだし、髪も綺麗にそろえてもらいましょう?」
「そ、それってどこに行くんですか……?」
おそるおそる尋ねると、彼女は言った。
「美容院よ」
美容院。
私にとって未知なる場所だ。
たじろぐ私の手を引っ張り、京佳さんは私を美容院と百貨店に連れて行き、色んな買い物をした。
靴や服、下着、着物まで仕立ててもらうことになったけどいいのかな本当に……
こんなに人に何かを買ってもらったことなんてないから怖いんだけど……
怖気づく私をよそに、京佳さんはあれこれと選び、私に試着させたりした。
こんなふうに買い物をしたのは初めてで、何もかもが新鮮だった。
私は普通の女の子たちに比べて背が高い。
異人の血が混じってるから髪の色も目の色も薄くて悪目立ちする。
だからいつも俯いて、背を丸くして歩いてしまう。
買い物を終えて歩いていたらみんなに見られているような気がしてすごく恥ずかしくて、顔なんてあげられなかった。
なんでみんな私を見るんだろう……
髪の毛は今はやりだという、マガレイトっていう三つ編みをふたつに折ってわっかにする髪形にされた。
京佳さんは似合ってるって言ってくれたけど……私はまともに鏡を見られなかった。
「あーあ、こんな荷物になるなら昴さんを連れてくるべきだったわね」
と、百貨店の袋をさげた京佳さんが苦笑して言った。
「そ、そ、そうですね」
私も紙袋をいくつかぶら下げている。
こんなに買い物していくら使ったんだろう……
怖くて聞けない。
「きっと昴さん、今頃昼寝してるわよ」
と言って、京佳さんは笑う。
遊郭でわざわざ昼寝するの?
遊郭ってそう言う場所じゃないよね?
驚き顔を上げると、京佳さんはころころと笑って言った。
「彼は昼寝をしに来るのよ。ひとりで寝るのが好きではないらしくて。誰かがいたほうが落ち着くんですって」
「……変わった人ですね」
「そうそう。遊郭だし、皆がみんな専用の部屋があるわけじゃないんだけど、大部屋で仕切りしかない所でどうどうと昼寝するのよ、あの人」
……その、昴さんが寝ているであろう大部屋で何が行われているのかは聞けなかった。
想像するだけで顔が熱くなる。
よくそんな状況で昼寝できるな……っていうか、そんな状況で性行為をするってことだよね?
……すごいな、遊郭。私には想像できない。
京佳さんはその遊郭の遊女、なんだよね?
お店の奥から出てきた彼女はとても艶めかしかったし、女の私から見ても魅力的だった。
「京佳さんは、昴さんと……」
と聞くと、彼女は口元に手を当てて笑った。
「あの人、そう言うことをしないのよ。文字通り一緒に寝るだけ」
それもすごいなあ……
なんでひとりで眠れないんだろう。
……って待てよ?
私は立ち止まって京佳さんの方を見て尋ねた。
「昴さんって、家、あるんですか?」
すると京佳さんは立ち止まり視線を上に向けてうーん、と呻いた後言った。
「あるはず。たぶんある」
たぶんって……私、とんでもない人に着いて行くって言っちゃったかも。
遊郭に戻ると日が暮れ始めていて、店先の行灯に明かりが点いている。
昼間とはまた違う顔の遊郭。
店の格子の向こうにいる遊女たちは昼とは違う着物を着ている気がする。
響く三味線の音。人々の笑い声。
きらきらしていて、華やかで私には眩しい世界だ。
京佳さんの店に戻ると私の親くらいの男性が、遊女と寄り添い奥へと入っていく。
「ちょっと待ってて。昴さん、呼んでくるから」
そう京佳さんは言い、荷物を置いて奥へと消えて行く。
待ってて、と言われても正直ちょっといにくいんだけどな……
だってここは遊郭。
女性が来るところじゃないはずだし……
私は俯いて、昴さんが来るのを待った。
その間にも客が来て遊女と奥に入っていくのが、視界の隅にうつる。
少しして、
「お待たせ」
という、気だるそうな青年の声がした。
顔を上げると、あくびをする昴さんが目の前に立っていた。
「昴さん、荷物運ばせましょうか?」
その後ろから現れた京佳さんの申し出に、昴さんは首を振った。
「いいや、いいよ。僕が運ぶから」
と言い、今日買ってきた物が入った袋を持つ。
「あ、あの私の荷物だし私が……」
「……これくらい大丈夫だよ」
と言い、彼は歩き出してしまう。
「あ……」
慌てて私は昴さんの背中を追った。
「荷物を家に置いたら夕食を食べに行こう。それでこれからのことを話そうか」
「え、あ、はい。わかりました」
よかった、ちゃんと家、あるんだ。
昴さんは花街を抜けてどんどん歩いていく。
もう少ししたら日が完全に沈むだろう。
街灯に灯りがともり、人々が足早に歩いていく。
こんなに外を歩くのは久しぶりで足が痛くなってきたな……
そう思い、足元を見る。
履きなれない洋物のサンダルはなんだか変な感じがする。
どれくらい歩いただろうか。商店街の一画で、昴さんは立ち止まった。
「ここが家だよ」
それは、洋風のお屋敷だった。大きな門と、高い塀に囲まれた、茶色の壁のお屋敷。
……もしかして昴さんて貴族……?
「僕は余り家にいないから、人に頼んで掃除だけはしてもらってるんだ。だからたぶん、中は綺麗なはずだよ」
と言い、彼は門をくぐっていった。
門の中は庭になっていて、手入れされているらしく木々は切りそろえられている。
青いあじさいが咲いているけど、あとの植物はわならない。
「夏になると月見草が咲くよ。知ってる? 月見草」
「す、すみません、知らないです……」
私が知ってるのはあじさい、桜、梅、くらいかな……
夏はひまわりとか……?
「そう、夏の夜に咲く花なんだ。白くてきれいだよ」
「そ、そうなんですか」
夜に咲く花なんてあるんだ……
昴さんは家の前に着くと鍵を刺し、重たそうな扉を開いた。
きれいにしている、というのは本当みたいで、ほこりのにおいとかカビの匂いはしない。
昴さんは玄関に置いてあるランプを点けると、それをもって奥へと入っていった。
天井が高い。
玄関に入ってすぐに階段がある。
上はもう暗くて見えないけど、けっこう大きいんだろうな……
「とりあえずこっちの部屋使って」
「は、はい、失礼します……」
案内された部屋は……すごく広い洋室だった。
おしゃれなベッドに大きな窓、それに、洋風の箪笥などがある。
「あ、あ、あの……こんな広い部屋……いいんですか……?」
恐る恐る尋ねると、昴さんは無表情に答えた。
「他に部屋あるけどないし」
言いながら昴さんは荷物を床に置く。
あるけどないってどういうことだろ……?
たぶんこの部屋、十畳以上はありそうだ。私が小さい頃住んでいた家よりたぶん広い。
広すぎて落ち着かないんだけど……?
「す、昴さんの部屋はどこなんですか?」
「二階だよ。とりあえずおしゃべりはあとにして、ご飯食べに行こう」
そうだ、ご飯食べにいくんだった。
私は慌てて荷物を置き、
「わかりました、行きましょう」
と言い、昴さんの方を向いた。