私は昼の町を、とぼとぼと歩いていた。
もう店には帰れないし、あの家にもいられない。
……どうしよう、私……
私の周りを綺麗な服を着たお嬢さんたちが歩いてる。
モガっていうのが流行ってるって聞いたな……
膝下までのスカートに、ツバの大きなおしゃれな帽子。それにいい匂いがする。香水っていうんだっけ。
対して私は、お嬢さんがくれた大きさの合わない着物姿だ。
辺りを見回すと自分の惨めさがひときわ目立つような気がして、私は俯き歩いていた。
どれくらい歩いただろう。気がつくと、人通りの多い華やかな通りにいた。
路面電車に車。歩く人たちが皆眩しく映る。
たくさん人がいて、大きな建物に若いお嬢さんが入っていく。
「ここは……」
ポスターを見つけて、私はすぐにここがどこであるのか理解した。
神楽歌劇団の劇場だ。
女性ばかりの劇団で、一度だけお嬢さんの付き添いで見に来たことがある。
レビューと呼ばれるショーが眩しくてきれいだったなあ……
男役の人、かっこよかったし娘役の人は可愛かった。
とても遠い世界の話。
行くあても身寄りもない私ができる事ってなんだろう?
なんで私、こんなに苦労ばかりなんだろう?
ポスターを見て、周りを歩く人たちに視線を向ける。
皆幸せそうに、綺麗な服を着て綺麗な顔をして通り過ぎていく。
そして自分が着ている服を思い出して私はことさらみじめさを感じて下を俯き、その場を離れた。
私だって綺麗な服を着たい。
奉公先のお店で、お嬢さんだけは本当に優しくてよくしてくれた。
他の女中や、奥様や旦那様の私に対するあたりは強かったな……
食と住まいの保証はあったけど服はなかなか用意してもらえなくて。それは私が異人の血が混じっていて背も大きいからなんだろうけど。
だから見かねたお嬢さんがおさがりをくれたり、掛け合ってくれたけどなかなか身体に見合った服を着ることはできなかった。
冷たい水で洗い物をしたり、掃除をするから手はいつも荒れてるし、休みもなかったけれど、それでもがんばってこられたのはおっかあにいつか会えると思っていたからだ。
なのに……おっかあはとっくに死んでてしかもそれをお店の誰かに隠された。
そして利一さんに襲われて、逃げ出してきて行くあてがない。
まず私を探そうとしたらあの家にいくはずだから、長居するわけにはいかなかった。
でもだからと言ってどこに行ったらいいのかわからない。
さっき会ったおばさんに、おっかあが残したわずかなお金をもらったけど……でもすぐに底を尽きるだろう。
私、どこに行ったらいいのかな。
そう思い、私は俯いたまま振り返った。
ドン!
と、歩いてきた人にぶつかってしまう。
「あ……す、す、すみません」
「あぁ、ごめんね。よく前を見ていなくて」
優しそうな青年の声が頭上から降ってきて、私はゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは、帽子に黒いマントを着た若い男の人だった。
彼はにこっと笑い、私を見つめて言った。
「大丈夫?」
「え、あ……はい……あの、す、す、すみません」
そう答えて私は下を俯く。
「ねえお嬢さん、下ばかり見ていると躓いてしまいから気を付けて」
「……え?」
意味が分からず、私は思わず顔を上げる。
下を見ててなんでつまずくんだろう?
下を見ていたらつまずかずに済むんじゃないかな?
その時だった。
聞き覚えのある声が私を呼んだ。
「かなめ。見つけた」
今、この世で一番聞きたくない男の声だ。
私は怖い、と思いながらゆっくりと声がした方を向く。
そこにいたのは、私が奉公していたお店の坊ちゃんで、昨日の夜私に夜這いをかけてきた利一さんだった。
短く刈られた黒髪、洋装に身を包んだ利一さんは、ニタニタと笑って私の方に近づいてくる。
「ひっ……」
恐怖で思わず声が漏れる。
なんでいるの?
お店からここって……近くはないけど遠くもないか。
たまたま? それとも私を捜してここに来た?
「お前が住んでいた家がこちらの方だから、あたりをつけて来たんだけど」
と、貼り付けたような笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。
私は思わず一歩下がった。
昨日の夜、布団に入り込んできた利一さんの顔が脳裏をよぎる。
暗くてよく見えなかったはずなのに、でもその時の表情ははっきりと思い出せた。
獣のような顔。
ぎらぎらとした目で私を見下ろす顔は、私の目に焼き付いている。
いや、来ないで。
こんな風に追いかけてくるなら、あの時殺しておけばよかった……!
そう思った時、私は全身が熱くなるのを感じた。
「昨日の夜は驚いたよ。突然飛び上がったかと思うとそのまま外に駆けだして……」
そうだ、私は昨日の夜、利一さんに襲われてがむしゃらになって逃げて……そのとき利一さんを突き倒した気がする。
私にそんな力、ないはずなのに……
「家事をやってるからか、すごい力があったんだなぁ、かなめ。油断したよ」
「い、や……こないで……こな、いで……」
首を何度も横に振りながら、私はまた一歩後ずさる。
我慢すれば、きっといつか幸せになれると信じていた。でもそんなのは幻想だったんだ。
ひとりきりで私を生んで、育ててくれたおっかさん……
でももうおっかさんはここにいない。
なら、私はもう我慢する必要なんてないよね……?
私は身を低くして、利一さんを見つめた。
「……か、か、かなめ……?」
利一さんは、怯えた目をして私を見つめ、一歩、一歩と後ずさる。
「へえ……彼女、鬼に取り憑かれてるみたいだねぇ。君は彼女に何かしたのかい?」
可笑しそうに笑いながら、さっき私とぶつかった青年が言った。
利一さんは私から視線をはずさず、震えながら首を横にふる。
「し、知らない……! お、俺は何にもしてない……!」
「へえ……じゃあ大丈夫だね。何にもしてないなら食われたりはしないよ」
「く、食われ……え?」
怯えた利一さんは、青年の方を見つめる。
「だって心当たりないんでしょ? 彼女の中に強い恨みがあってそれで鬼につけこまれたんだと思うんだけど、君が何もしていないなら彼女は君を食ったりはしないよ。本当に何もしてないならね」
そんな声を聞きながら、私は利一さんに一歩、歩み寄る。
すると利一さんはその場に尻もちをつき、利一さんは必死の形相で叫んだ。
「た、た、た、たすけてくれ!」
「助けるって何を?」
青年の冷たい声が響く。
「こ、こ、この女を止めてくれ!」
「なんで。何もしてないなら襲われないよ」
「う、あ、こ、こ、心当たりは、あ、あるんだ!」
そうでしょうね。
昨日の夜、私を襲おうとしたんだから。
その恐怖を思い出して、私は利一さんに飛びかかった。
「ひぃっ!」
その場に倒れた利一さんの胸に乗り、喉を掻き切ろうとしたときその手を誰かにがしり、と掴まれた。
「僕は祓い師だ。ただじゃあ仕事はしないよ」
「か、か、金なら出す! お願いだから助けてくれ!」
泣きながら利一さんが叫ぶと、青年は応えた。
「了承した」
そして、彼は私の耳元で聞いたことのない言葉を囁く。
なんで邪魔するの?
私はこいつを殺したいのに!
「人を呪わば穴二つ。君が罪を背負うことになる。そんな男を殺して捕まって一生を牢獄の中で過ごしたいかい? 君は捕まれば生きたまま解剖されるよ」
何言ってるのこの人?
生きたまま解剖される、という言葉に背中がぞわり、とする。
なんでそんなことされるの、私は何もしてないのに……!
「ほら、騒ぎを聞きつけた警官がやってきた」
そう言った青年はにやにやと笑い、私の腕をぐい、と引っ張り無理やり立たせた。
もう店には帰れないし、あの家にもいられない。
……どうしよう、私……
私の周りを綺麗な服を着たお嬢さんたちが歩いてる。
モガっていうのが流行ってるって聞いたな……
膝下までのスカートに、ツバの大きなおしゃれな帽子。それにいい匂いがする。香水っていうんだっけ。
対して私は、お嬢さんがくれた大きさの合わない着物姿だ。
辺りを見回すと自分の惨めさがひときわ目立つような気がして、私は俯き歩いていた。
どれくらい歩いただろう。気がつくと、人通りの多い華やかな通りにいた。
路面電車に車。歩く人たちが皆眩しく映る。
たくさん人がいて、大きな建物に若いお嬢さんが入っていく。
「ここは……」
ポスターを見つけて、私はすぐにここがどこであるのか理解した。
神楽歌劇団の劇場だ。
女性ばかりの劇団で、一度だけお嬢さんの付き添いで見に来たことがある。
レビューと呼ばれるショーが眩しくてきれいだったなあ……
男役の人、かっこよかったし娘役の人は可愛かった。
とても遠い世界の話。
行くあても身寄りもない私ができる事ってなんだろう?
なんで私、こんなに苦労ばかりなんだろう?
ポスターを見て、周りを歩く人たちに視線を向ける。
皆幸せそうに、綺麗な服を着て綺麗な顔をして通り過ぎていく。
そして自分が着ている服を思い出して私はことさらみじめさを感じて下を俯き、その場を離れた。
私だって綺麗な服を着たい。
奉公先のお店で、お嬢さんだけは本当に優しくてよくしてくれた。
他の女中や、奥様や旦那様の私に対するあたりは強かったな……
食と住まいの保証はあったけど服はなかなか用意してもらえなくて。それは私が異人の血が混じっていて背も大きいからなんだろうけど。
だから見かねたお嬢さんがおさがりをくれたり、掛け合ってくれたけどなかなか身体に見合った服を着ることはできなかった。
冷たい水で洗い物をしたり、掃除をするから手はいつも荒れてるし、休みもなかったけれど、それでもがんばってこられたのはおっかあにいつか会えると思っていたからだ。
なのに……おっかあはとっくに死んでてしかもそれをお店の誰かに隠された。
そして利一さんに襲われて、逃げ出してきて行くあてがない。
まず私を探そうとしたらあの家にいくはずだから、長居するわけにはいかなかった。
でもだからと言ってどこに行ったらいいのかわからない。
さっき会ったおばさんに、おっかあが残したわずかなお金をもらったけど……でもすぐに底を尽きるだろう。
私、どこに行ったらいいのかな。
そう思い、私は俯いたまま振り返った。
ドン!
と、歩いてきた人にぶつかってしまう。
「あ……す、す、すみません」
「あぁ、ごめんね。よく前を見ていなくて」
優しそうな青年の声が頭上から降ってきて、私はゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは、帽子に黒いマントを着た若い男の人だった。
彼はにこっと笑い、私を見つめて言った。
「大丈夫?」
「え、あ……はい……あの、す、す、すみません」
そう答えて私は下を俯く。
「ねえお嬢さん、下ばかり見ていると躓いてしまいから気を付けて」
「……え?」
意味が分からず、私は思わず顔を上げる。
下を見ててなんでつまずくんだろう?
下を見ていたらつまずかずに済むんじゃないかな?
その時だった。
聞き覚えのある声が私を呼んだ。
「かなめ。見つけた」
今、この世で一番聞きたくない男の声だ。
私は怖い、と思いながらゆっくりと声がした方を向く。
そこにいたのは、私が奉公していたお店の坊ちゃんで、昨日の夜私に夜這いをかけてきた利一さんだった。
短く刈られた黒髪、洋装に身を包んだ利一さんは、ニタニタと笑って私の方に近づいてくる。
「ひっ……」
恐怖で思わず声が漏れる。
なんでいるの?
お店からここって……近くはないけど遠くもないか。
たまたま? それとも私を捜してここに来た?
「お前が住んでいた家がこちらの方だから、あたりをつけて来たんだけど」
と、貼り付けたような笑みを浮かべてこちらに近づいてくる。
私は思わず一歩下がった。
昨日の夜、布団に入り込んできた利一さんの顔が脳裏をよぎる。
暗くてよく見えなかったはずなのに、でもその時の表情ははっきりと思い出せた。
獣のような顔。
ぎらぎらとした目で私を見下ろす顔は、私の目に焼き付いている。
いや、来ないで。
こんな風に追いかけてくるなら、あの時殺しておけばよかった……!
そう思った時、私は全身が熱くなるのを感じた。
「昨日の夜は驚いたよ。突然飛び上がったかと思うとそのまま外に駆けだして……」
そうだ、私は昨日の夜、利一さんに襲われてがむしゃらになって逃げて……そのとき利一さんを突き倒した気がする。
私にそんな力、ないはずなのに……
「家事をやってるからか、すごい力があったんだなぁ、かなめ。油断したよ」
「い、や……こないで……こな、いで……」
首を何度も横に振りながら、私はまた一歩後ずさる。
我慢すれば、きっといつか幸せになれると信じていた。でもそんなのは幻想だったんだ。
ひとりきりで私を生んで、育ててくれたおっかさん……
でももうおっかさんはここにいない。
なら、私はもう我慢する必要なんてないよね……?
私は身を低くして、利一さんを見つめた。
「……か、か、かなめ……?」
利一さんは、怯えた目をして私を見つめ、一歩、一歩と後ずさる。
「へえ……彼女、鬼に取り憑かれてるみたいだねぇ。君は彼女に何かしたのかい?」
可笑しそうに笑いながら、さっき私とぶつかった青年が言った。
利一さんは私から視線をはずさず、震えながら首を横にふる。
「し、知らない……! お、俺は何にもしてない……!」
「へえ……じゃあ大丈夫だね。何にもしてないなら食われたりはしないよ」
「く、食われ……え?」
怯えた利一さんは、青年の方を見つめる。
「だって心当たりないんでしょ? 彼女の中に強い恨みがあってそれで鬼につけこまれたんだと思うんだけど、君が何もしていないなら彼女は君を食ったりはしないよ。本当に何もしてないならね」
そんな声を聞きながら、私は利一さんに一歩、歩み寄る。
すると利一さんはその場に尻もちをつき、利一さんは必死の形相で叫んだ。
「た、た、た、たすけてくれ!」
「助けるって何を?」
青年の冷たい声が響く。
「こ、こ、この女を止めてくれ!」
「なんで。何もしてないなら襲われないよ」
「う、あ、こ、こ、心当たりは、あ、あるんだ!」
そうでしょうね。
昨日の夜、私を襲おうとしたんだから。
その恐怖を思い出して、私は利一さんに飛びかかった。
「ひぃっ!」
その場に倒れた利一さんの胸に乗り、喉を掻き切ろうとしたときその手を誰かにがしり、と掴まれた。
「僕は祓い師だ。ただじゃあ仕事はしないよ」
「か、か、金なら出す! お願いだから助けてくれ!」
泣きながら利一さんが叫ぶと、青年は応えた。
「了承した」
そして、彼は私の耳元で聞いたことのない言葉を囁く。
なんで邪魔するの?
私はこいつを殺したいのに!
「人を呪わば穴二つ。君が罪を背負うことになる。そんな男を殺して捕まって一生を牢獄の中で過ごしたいかい? 君は捕まれば生きたまま解剖されるよ」
何言ってるのこの人?
生きたまま解剖される、という言葉に背中がぞわり、とする。
なんでそんなことされるの、私は何もしてないのに……!
「ほら、騒ぎを聞きつけた警官がやってきた」
そう言った青年はにやにやと笑い、私の腕をぐい、と引っ張り無理やり立たせた。