「ムカつく。むかつくむかつくムカつく! あの女!! 私の彼氏を奪いやがった。許さない。絶対に許さない。殺してやる!」

 憎悪が込められた憎しみの言葉を呟きながら一人の女性がふらふらと歩いている。目を血走らせ、涙を浮かべながら。ただ、ひたすらに前だけを見つめて。

 学校指定の深緑色を主体としている制服。膝ぐらいのスカートが彼女の歩くリズムに合わせてゆらゆらと揺れる。

 今、女性が歩いている場所は人気が全くない道。もう、人の出入りがないらしく、周りに立ち並ぶ建物はぼろぼろ。ドアが外れそうになっていたり、窓が割れていたりとひどい有様。

 そんな中、一つだけ。まだ人が住めそうな建物が、崩れかけの建物に挟まれ建っていた。

 外装は周りの家と同じですごく古く、壁画が剥がされている。体当たりでもすればすぐにでも壊れてしまいそうに思える。だが、周りの建物と比べるとまだ崩れている部分は少ない。

 彼女は前だけを見続け、歩みを進めていた足をその建物の前で止めた。
 振り返り、建物を血走った瞳で見あげる。
 荒かった息を整え、見あげた瞳を閉じられているドアへと向けた。

「ここで、私は!!」

 欲望のまま、大きな足音を響かせドアへと近づき、ドアノブに手を伸ばす。
 汗が額からにじみ出て、頬を伝い地面に落ちる。血走らせている瞳は揺れており、ドアノブを握っている手は、カタカタと震えていた。
 それでも、意を決して。彼女は、ドアが壊れそうなほどの勢いで引く。ガタンという音が静かな空間に響き渡った。

 目を見開かせ、部屋の中を見渡す。すると、中には一人の青年が背中を向けて、立っている。

「貴方のご依頼、お聞かせ願いましょうか」

 男性にしては高く、柔らかい声が彼女を出迎えた。

 彼女は、青年の独特な雰囲気と、振り返った時に見えた口元の妖しい笑みに息をのむ。だが、すぐに眉を吊り上げ部屋の中に入りながら叫ぶように口を開いた。

「あの! 私の──」

 だが、そんな声は青年の背後から聞こえた物が落ちる音により、かき消されてしまった。

「っ、あー!! 私の大事な本が!! あ、こっちには大事なオルゴールも……。良かった。壊れていないようですね」

 物音が響いた瞬間、彼女を出迎えた男性が慌てた様子で落ちた物を拾い上げた。
 
 店の中を見回すと、足の踏み場がないほど汚いことが分かった。
 床は本やノートで足の踏み場がなく、家具はボロボロ。壁は黒く変色している部分があり、電球は切れ始めているのか少し点滅している。
 少し異臭もするため、ここに人が住んでいたとは到底思えない。

「あ、あの──」

 彼女は、先ほどより冷静になったのか。戸惑いがちに問いかけた。

「あ、すいません。どうやらバランスが悪く置かれていたようで、少しの振動で崩れてしまったみたいです」

 眉を下げ、そう口にしながら男性は崩れた本を積み上げ始める。だが、先程と同じようにバランスが悪く、また崩れてしまいそうになっていた。
 それでも男性は微笑みを崩さず「大丈夫そうですね」と口にし、彼女の方へと向き直した。
 
「ここまで来たということは、そういうことですよね。お話をお聞きしましょう。では、まずお座りになっ──」

 男性は手を添えながら部屋を見回したが、言葉を途中で止めてしまった。
 座りたくとも、座る場所がない事に気付いたらしい。

「……少しお待ちください」

 そう言って散らかっている本を端の方へ寄せ、座れる場所を無理やり作った。

「さて、座る所が出来ましたね。そのまま座ると痛むでしょう、座布団を置いて──っと、どうぞこちらへ」
「……ありがとうございます」

 彼女は床を一瞥したあと、男性を見上げつつ、座布団の上に座る。
 男性も向かいに正座し、話を聞く体勢を作った。

「さて。ここに来られたという事は、貴方は殺したいほど恨んでいる人がいる、と言う事でお間違いないでしょうか?」
「やっぱり……。ここの噂は本当だったんですね」

 彼女が口にした噂とは──

【殺したい程の憎しみを持っている人はどうかお試しください。貴方の××と引き換えに復讐させていただきます】

 と、いう物。彼女はその噂を頼りに、わざわざここまで来ていた。

「はい。私は、貴方の復讐のお手伝いをさせていただきます」

 微笑みながら口にする男性は、自分の胸に手を置き、内容と合っていないような優しい口調で伝えた。

 男性は、腰より長い黒髪の中に深緑色のメッシュが入っており、前髪も長いらしく顔の上半分が隠れている。そのため、両目とも見えない状態になっていた。
 藍色の長いロングコートの中には、大きめな黒いパーカーを着ており、赤いスキニーを履いていた。

「まずは、貴方のお名前を教えて頂けますか?」
「あ、はい。私の名前は神楽坂琳寧(かぐらざかりんね)と言います。あの、貴方は──」
「私には名前がありません。ですが、名前が無いのは接しにくいでしょう。なので、私の事はナナシとお呼びください」
「ナナシ……。分かりました」

 少し眉間に皺を寄せ、彼女はナナシを見返すが笑みを返されただけだった。

「自己紹介はここまででよろしいですか? お話をお聞きしたく思います」

 彼はそのまま話を進めようと、優しく促す。

 琳寧は本題を話そうとするが、それよりナナシの存在の方が気になり、来た経緯よりまず彼について色々質問し始める。だが、どれも「答えられません」の一点張り。どんな些細な事でも答えてくれなかった。

「もし、私の正体が分からなければご依頼できないのでしたら、お引き取り下さい」
「え、いや、その──」

 彼女は何か言おうと再度口を開くが、言葉が繋がらず閉ざしてしまう。

「さて、どうしますか?」
「……依頼、させてください」

 ナナシの問いかけに琳寧は頭を下げ、妖しい雰囲気を纏っている彼にお願いした。

「かしこまりました。貴方のご依頼、お聞き致します」

 その言葉を口にした瞬間、ナナシは口元に歪な笑みを浮かべた。