沖縄では米軍が3月26日に慶良間列島に上陸、4月1日に沖縄本島に約50万人の米軍が上陸し、約3ヶ月に渡り「鉄の暴風」とも呼ばれた凄まじい砲爆撃を受けた。
宮古島などの離島は空襲や艦砲射撃を受け、補給を絶たれて飢餓やマラリアなどの伝染病に苦しんだ。
沖縄守備軍は少しでも長く沖縄での戦いで「本土決戦」を遅らせようと、洞窟陣地に立てこもる持久戦を行ったが……
5月下旬に首里の司令部を捨てて南部へ撤退し、野戦病院などにいた重傷者は置き去りにされた。
日本軍は兵力不足を補うために中等学校などの10代の生徒まで戦場に動員……
14歳以上の男子学徒による『鉄血勤皇隊』などの少年兵部隊が組織されたり、女学校や師範学校の生徒も看護要員の『女子学徒隊』として戦場に駆り出され、多くの少年少女が亡くなった。
米軍は、艦砲射撃・爆撃・火炎放射器などを使って攻撃……
隠れ場所になった壕では、日本軍によって住民が壕から追い出されたり、泣き声を立てる子どもが殺されたりする痛ましい事件も起こったという。
米兵による日本兵捕虜の殺害・婦女暴行、それを戒めて民間人を保護しようとする米兵……
「壕を爆破する前に出てきなさい」というカタコトの米兵の問いかけに、「捕虜は恥だ」「捕虜になるより死を選べ」と教えられていた人たちは壕の中から出て行くことができず……
壕に爆弾が投げ込まれて、『ひめゆり学徒隊』などの女子学徒隊を含む多くの方が亡くなった。
他の壕や山や海岸に逃げ込んでも、助けてくれると思っていた日本軍の兵から手榴弾を渡されて集団自決を迫られる絶望……
人命軽視に疑問を持たず命令を守ることのみに忠実になった者や、未来を諦めた者たちが次々に爆死……
家族を手に掛ける者、崖から身を投げる者、縄で首を括る者、刃物による出血死……
追い詰められて絶望した人が次々に自死を選び、家族の名を呼びながら死んでいく……
本当は誰も、そんな事をしたくなかっただろう。
6月23日……司令官達の自決によって約3か月に及ぶ日本軍の組織的戦闘は終了したものの、その後も「各自戦え」との命令で個人の戦いは続き、住民の犠牲は9万4000人以上……
沖縄県民の4人に1人が命を落とし、軍民合わせて約18万人以上の方が亡くなってしまった。
軍国主義は自国の民間人をも殺し、前途ある若者の未来も奪っていく……
教育はいかに大事か、身に沁みて分かった。
7月に入っても全国各地で空襲が続き、7月4日に高知・高松・徳島、七夕である7月7日に千葉・甲府、7月9日に和歌山、7月10日に大阪・仙台……
7月12日に宇都宮、7月14日に岩手、7月15日に青森・北海道、7月17日に茨城・日立、7月19日に福井で空襲があり、7月25日の大分では小学校に爆弾が投下され児童や教師など127人が死亡した。
7月26日に日本に無条件降伏を求める「ポツダム宣言」が発表されたが、内閣は「黙殺」……
同7月26日に山口・松山大空襲、7月28日には愛知・青森……
そんな日本各地で数えきれない回数の空襲があった7月中旬の事だった。
ヒロ宛に手紙が届き、それを読んだヒロは膝から崩れ落ちた。
「ヒロ!? どうしたの?」
「高知市の大空襲で、明希子おばさんと下の弟も死んでもうたって、知り合いの人がくれた手紙に…………前の空襲で数寄屋橋商店街で働いてた店の2階に移っとったんやけど……全部燃えて、一緒に死んでしもたって…………どうしよ源次……俺、生みの親も育ての親も、みんな亡くしてしもた……」
呆然とするヒロを抱き締めようとしたその時……手紙を持った島田くんが飛び込んできた。
「おい、篠田! 本当にありがとう! お前のおかげだよ! 七夕に千葉で空襲があったと聞いてから心配で夜も眠れなかったんだが……母ちゃんも坂本の奥さんも無事だって! 防空壕を出て助かったって……ありがとう……本当にお前のおかげだ! これで心置き無く飛び立てる……」
「えっ?……飛び立てるって?」
「沖縄から出撃する隊に、つてがあってな! 宮古島で合流して7月29日の出撃に飛び入り参加できる事になったんだ!」
「まさか……沖縄で敵とるんか?」
「ああ! 前にお前に話した『龍虎隊』だよ! ここじゃあ暫く編成はなさそうだし、前から決めてたんだ」
「島田……その話、俺に譲ってくれ……お前にはまだ母ちゃんがおるやろ? 俺にはもう家族がおらんくなったから、俺の方が適任じゃ」
「どういう事だ?」
「ヒロの育ての親代わりだったおばさんが、この間の高知の空襲で死んだんだ……」
「そ、んな……」
「島田くんも、沖縄で敵をとるってどういう事?」
「こいつの親父と従兄弟……沖縄戦に巻き込まれて死んだんや」
「えっ?」
「なあ、島田お願いじゃ……分かるやろ? 俺も敵がとりたいんじゃ……」
「悪いがこれは譲れない……これは俺の戦いだ! それに…………何でもない」
島田くんの決意は固く、7月29日の出撃に間に合うように単独で百里原基地を出発してしまった。
坂本くんと同じように「読んでから送って欲しい」と手紙を残して……
坂本くんとは違って相変わらずぶっきらぼうで、初めて見るような清々しい笑顔で……
渡された封筒には何枚にも渡る手紙が入っていた。
僕達は一文字一文字確かめるように読んだが……不思議と島田くんの声で再生された。
~~~~~~~~~~
この手紙は俺の最後の手紙だ。
今まで思っていた事が全部書いてあるから、長くなってすまない……
〈母ちゃんへ〉
七夕の空襲で生き残って坂本の奥さんも無事だと聞いて安心した。
本当に嬉しかったよ……生きていてくれてありがとう。
母ちゃんに報告があるんだ。
実は『龍虎隊』の一員として宮古島から出撃する事にした。
俺は「龍」という字が大好きだから、志願した『龍虎隊』になれて嬉しいよ。
なぜ龍が好きかというと……
「龍」は「飛」から成長した、将棋の中で一番強い駒だから。
父ちゃんが好きだった将棋の駒に書かれた「龍」……
他にも理由があるが、それが最初のきっかけだ。
母ちゃんに暴力をふるう父ちゃんは許せないけど、沖縄戦で父ちゃんと従兄弟が死んだ事を知らせる手紙を読んだ時に気付いたよ。
俺は心のどこかで父ちゃんとまた笑って会える日を、待っていたのかもしれない……
昔の俺だったら信じられないが、俺がこんな穏やかな気持ちで出撃できるのは、
土浦で再会したり新しく出会った同期の仲間達のおかげだ。
物好きな奴らでな……嫌われ者だった俺とずっと一緒にいてくれた。
俺がどんな奴らと一緒にいたか、母ちゃんにも知って欲しいから……そいつらへの思いもこの手紙に書きます。
〈篠田へ〉
お前とは不思議と気が合って……俺の余計な事まで話しちまったが、ずっと言えなかったことがある。
実は俺も坂本龍馬が好きなんだ。
お前が何度も「似てるだろ?」って聞いてくるから癪に障って言えなくなった。
言ったら、お前の事が好きみたいな話になるからな。
因みに龍虎隊の出撃日は、俺の誕生日だ。
誕生日が命日だなんて、坂本龍馬みたいで羨ましいだろ?
お前の明るさは、みんなで見上げた夜空の北極星みたいだった……
高田は指し詰め、その周りを回ってる北斗七星だな。
お前らどんだけ仲が良いんだよ!
きっと、どれだけ時が経っても……心は一緒なんだろうな。
〈高田へ〉
お前はバカみたいに純粋で、自分の事より他人の事にいつも一生懸命で……
俺とは正反対の面白い奴だったよ。
俺はお前に色々な事を教わった。
知識だけじゃなく、人として最も大切なことを……
お前の優しさは、知らず知らずのうちに周りを救っている。
俺もそのうちの一人だ……
円の外に行こうとする俺を、円の内側に入れて「希望の星」の一員にしてくれた。
これは篠田も言っていた話だが……
お前は、もっと自信を持て!
自分の凄さに……いい加減、気付け!
大切な人を幸せにする力が、お前にはあるんだから。
俺の最後の機体は「赤トンボ」らしいから、
お前の下手くそな歌を思い出して笑って逝くとするよ。
〈平井へ〉
最後は平井……いや、リュウ……
この名前で呼ぶのは久し振りだな。
ずっとお前が羨ましかった。
その名前も、父親から愛されていることも、屈託のない笑顔も……
俺の事をずっと覚えていてくれてありがとう。
「離れてる間ずっと友達だと思ってた」と聞いた時、涙が出そうなくらい嬉しかったよ。
本当は俺も……ずっと忘れてなかった。
忘れるわけないだろ?
お前は嫌われ者の、こんな俺の事を庇って
「こいつは僕の親友だ」と言ってくれたんだから……
土浦で再会した時、思ったよ。
やっぱりお前は、すごい奴だって……
俺もお前みたいに無我夢中で人を守りたいと思った。
これが最後だから、ずっと言いたかったのに言えなかった言葉を言うよ。
「お前は俺の親友だ」
お前の笑顔には、人を幸せにする力がある。
お前の未来は明るい……絶対、大丈夫だ!
いつか必ず夢を叶えてくれ。
もう一人ずっと伝えたいことがあった奴がいたが……
坂本へのメッセージは向こうで伝えることにするよ。
あいつと一緒にホタルに生まれ変わるのも悪くないと思ってな……
最後に〈母ちゃんへ〉
約束して欲しい事があるんだ。
「絶対幸せになって、100歳まで生きてくれ!」
みんな、お国のためにって言うけれど……
本当は母ちゃんと仲間さえ無事でいてくれたら、日本なんてどうでもいい!
俺もできる事なら母ちゃんや仲間と、ずっと一緒にいたかった!
でも俺より若くて弱っちいのが沖縄で命かけたのに、俺が行かなくてどうするって思った。
大切な人を守れずに死ぬのは絶対に嫌だから、俺は行きます。
坂本の奥さんのこと、よろしくな。
最高のライバルの大切な子供が、絶対無事に生まれますように……
子供が大きくなって絶対幸せになれるように、俺の代わりに助けてやってくれ。
最後の想いを暗号に隠したり、飛び立つ前に辞世の句を読む奴もいるらしいが……
俺は文才がないからやめておくよ。
母ちゃん……たくさん迷惑かけてごめんな。
こんな息子で、ごめん。
本当は坂本のように嫁さんでももらって、母ちゃんを安心させたかったが……
生憎そんな相手はいなくてな。
でも、俺は幸せだったよ。
母ちゃんの息子として生まれて、最高の仲間に出会えた。
誕生日の日に旅立つ不幸を、お許しください。
それにしても不思議な縁だ……
父ちゃんと母ちゃんの旅先だった宮古島で二人が出会わなければ、
俺が生まれることはなかったんだからな。
〈同期へ〉
みんなで見上げた星も、桜色の空も、一面のホタルも、信じられない位キレイだった……
ずっと一緒にいてくれて、ありがとな!
皆の幸せを願っています。
追伸
これが俺の最高の仲間だ!
俺も含めて、みんなアホみたいな顔してるだろ?
~~~~~~~~~~
封筒の中には、百里原と土浦で撮った写真2枚が同封されていた。
写真を撮ろうと言ったあの時にはもう、覚悟を決めていたのだろうか……
「島田のアホう! あいつ手紙では、めっちゃ雄弁やんけ……そんなに色々考えとったんなら直接言えや……平井がトミさん守った話聞いて、何や考え込んでんな~と思うたら……どんだけ負けず嫌いやねん」
僕はヒロと肩を寄せ合って泣いた。
「ほんと、最後まで島田くんらしいよね…………ねえヒロ……この手紙、一緒に平井くんに届けに行こうよ。それで土浦の郵便局からみんなで手紙、一緒に出そうよ」
「すまん、源次……それは一人で行ってくれ……俺ちょっと上官の所、行ってくる……」
ヒロの言葉を聞いて、僕は言いたいことが山程あったが……つらいこと続きなので控えた。
7月29日、島田くんは宮古島から綺麗な空へ旅立った。
その日は島田くんの……22歳の誕生日だった。
8月に入っても空襲は続き、8月1日に新潟の長岡・富山、8月5日に群馬の前橋・高崎で空襲があり、九死に一生を得た人もいた。
そして1945年8月6日午前8時15分……
朝から晴れ間が広がっていたその日、人類史上初の原子爆弾が広島に落とされた。
原子爆弾は目も眩む閃光を放って中心温度100万度の火球を作り、秒速440mの灼熱の爆風が爆心地周辺の全てを吹き飛ばした。
直後に巨大なキノコ雲が発生……
爆心地周辺の地表の温度は鉄が溶ける1500度を遥かに越した3000~4000度にも達し、熱線による自然発火と倒壊した建物からの発火で大火災が発生して爆心地から半径2km以内は完全に焼失……
爆心地にいた方達は一瞬で炭化して黒焦げの塊となり、周辺地域の屋内にいた者は熱線は免れても爆風で吹き飛んだ大量のガラス片を浴びて重傷、倒壊した建物の下敷きで圧死や延焼で焼死……
強烈な熱線で皮膚は焼けただれ、周辺地域では指の先に皮膚が垂れ下がった状態の人々が水を求めて彷徨い歩き、川は大勢の遺体で埋め尽くされた。
「水が飲みたい」という最後の願いは、ほとんど叶わなかった。
亡くなった乳飲み児を胸に抱き締めた女性、親兄弟を泣きながら探し歩く子供、水道の蛇口近くで息絶えた老人……
全身やけど状態で一生懸命近付いて来る人物が自分の家族だと分からず、逃げた後でそれが家族だったと知った者もいたそうだ。
原子爆弾から放出された大量の放射線は、長期間にわたり人体に深刻な影響を引き起こした。
直後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を浴びた人や家族を助けに行って放射線を浴びた人の中にも、放射線障害により胎児に影響が出たり白血病やがんを発症して亡くなる方が続出し……
結局、年末までに広島では35万人のうち約14万人が死亡してしまった。
8月7日には愛知・豊川空襲、8月8日には福岡・八幡大空襲……
同日8月8日にソ連対日宣戦布告があり、翌9日に150万の軍が一斉に国境を越えて侵攻……
そして1945年8月9日午前11時2分……
長崎に2つ目の原子爆弾が投下され、人類史上最悪な悲劇が繰り返されてしまった。
長崎では爆心地から1km以内の地域の家屋が原型をとどめないほど破壊され、年末までに24万人のうち約7万4000人が死亡してしまった。
黒焦げとなった少年や赤ん坊を背負った黒焦げの女性……爆風、熱線、放射線が襲う想像を絶する地獄……
直前まで慎ましくただ一生懸命に暮らしていた人達が、一瞬にして生きたまま焼かれた。
焼け野原となった長崎は、この先70年草木は生えないだろうと言われていたが……約1ヶ月後には草木が芽吹き、人々は生きる希望を見出したという。
広島では原爆投下後の夜、大勢の負傷者たちが避難した死臭や血の匂いが漂う地下室で、「赤ちゃんが生まれる」との声を聞いた人々が自分の痛みを忘れて妊婦を気遣い……
大やけどをしてうめき声をあげていた助産師が自らの命を顧みず、赤子を無事に取り上げたそうだ。
助けたくても助けられなかった沢山の命が失われた地獄で生まれた新しい命……
どんな状況でも生き物には生命力があり、人は人を助けようとする。
人の優しさこそ未来の命を救う希望なのではと思った。
百里原海軍航空隊では8月3日に第十航空艦隊第十五連合航空隊が新編、転入され決戦体制に移行していた。
百里原で再編成された第六〇一海軍航空隊は『第四御盾隊』と命名され、百里原基地から直接8月9日、13日、15日に出撃することとなり……
僕は8月15日の編成メンバーになった。
ヒロが僕を出撃させないよう上官にお願いしに行ったところ、「そんな腑抜けな事を言う奴に飛ぶ資格はない」と自身の出撃は禁じられ、僕が出撃することが決まったらしい。
ヒロは何度も僕に謝ってきたが、元々ヒロに決まったら代わろうと思っていたので純子ちゃんとの約束を守れそうで安堵した。
最後の機体は「彗星」……後方の偵察員とともに出撃する二人乗りの艦上爆撃機だった。
あっという間に8月14日の夜になり……
ヒロと過ごせる最後の晩に何を話そうか悩んでいると、ヒロがふと呟いた。
「今年は1945年で昭和20年か……今はこんな時代でも、いつかは平和な世の中になるんかのう……今日の21時のニュースで明日の正午に天皇陛下が自らラジオ放送して下さるって言っとったけど、何じゃろうのう……」
「昭和か……本当は『国民の平和や世界各国の共存繁栄を願う』という意味が込められた名前なのにな……」
「そうなんか? それは知らんかった……源次は時々、先生みたいなことを言いよるのう……こんな時代やなかったら、先生になってそうじゃ……大学の教授にもなれそうやな」
「先生なんて……僕には無理だよ」
「せや、俺の秘密、今のうちに話しとくな……お前、初めての授業で俺の鉛筆拾ってくれたやろ? あの時わざと落としたんや……思い出すかな思て」
「なんで? 何を?」
「お前は覚えてへんかもしれんけど、受験の時お前と俺は偶然、隣の席でな……試験が始まる前に消しゴムを忘れて慌てている俺に、自分の消しゴムを半分に折って渡してくれたんや」
「全然、覚えてない……」
「お前は試験中に自分の消しゴム途中で落として、俺はこっそりお前に返そうとしたけど……ごっつ集中して試験に取り組んで、一回も消しゴム使いたそうな素振りせえへんかった…………そして二人とも合格した」
「そうだったんだ……」
「ありがとうな源次……俺はお前に恩返しがしたいって、ずっと思ってたんや……だから俺が言ったくだらない冗談でお前が笑ってくれるのか本当に嬉しかった。実はな、源次…………やっぱ何でもない……」
「ヒロ……こちらこそ、今までありがとね……」
僕は伝えたいことがありすぎて、布団の中で涙が止まらなくて……その日の夜は一睡もできなかった。
「そうか……僕は明日、死ぬのか……」
深い絶望と色んな想いが込み上げてきて、母さんや純子ちゃん、ヒロや平井くんへの最後の手紙を書いていたら、あっという間に夜が明けてしまったが……
8月15日の朝になって驚いた。
掲示板の下に僕の名前入りの編成表が落ちていて、壁の編成表の中にヒロの名前があったから……
僕は急いで上官に会いに行き、落ちていた紙を見せながら尋ねた。
「これってどういう事ですか? 本当の事を教えてください!」
「実はな、高田……先月、篠田が『絶対に高田を出撃させないで下さい』と頭を下げに来たんだ……『もう二度と仲間を失いたくないから』と…………お前だけは『絶対に失いたくないからお願いします』と懇願されたよ」
「自分一人が編成メンバーになると、あいつはどんな手を使っても自分と代わろうとするから……高田を編成メンバーとして発表して、当日入れ替えにしてくれって」
通常だったらそんなお願いは聞き入れてもらえないが、人の懐に入るのがうまいヒロの人柄によるものだろう……
「そ、んな…………何だよそれ!」
僕は急いで部屋に戻り、紙を見せながらヒロを問い詰めた。
「これってどういうこと?」
「おはよう源次……ってなんや気付いてしもたんか……やっぱり俺に出さしてくれって頼んどいたんや! 俺にはもう家族がいないから俺が行った方がええんじゃ!」
「何だよそれ……俺にはもう家族がいない? ずっと言うのを我慢してたんだけどさ……純子ちゃんという血を分けた従兄妹がいるだろ! お前の未来の嫁さんになるかもしれない、大切な家族がいるだろ!」
「純子ちゃんだって家族を失ったけど諦めずに一生懸命生きてる! 親も弟も亡くして、なぜあんな細い身体でもう一度立てたか分かるか? お前がいたからだよ! お前の事が好きだからだよ! お前は生きてあの子の元に戻らなきゃいけないんだよ!」
「お前は、ほっんまにニブイ奴やな! 純子が男として好いとるのは源次……お前や! お前が純子の隣におらんとあかんねん」
「でも駅伝の時も卒業式の前日も、二人は熱い抱擁をしてたじゃないか!」
「アレは俺の最後の悪あがきじゃって見とったんか、恥ずかし……あいつの性格はよう分かっとる。恥ずかしがり屋の純子が人前で抱きついてきた時も卒業式前日に泣いてた時も思い知らされたわ……異性として意識されてへん兄弟のような存在なんやって」
「昨日も言ったやろ……俺はお前に恩がある……今こそ、その恩を返したいんや……実はな、受験に落ちたら俺は戦地に行く話になっとんたんや……兵役法では志願によって17歳からやから」
「そんなの志願しなければいいじゃないか!」
「生みの親がいない俺は、学生っちゅう肩書きがなかったら志願しないとあかんって近所の人から店に嫌がらせされてな……落ちてたら前線に送られてもっと早く死んどったかもやけど、源次のおかげで大学受かって楽しい思い出沢山できたわ……俺が今日まで生きてこれたのは、お前のおかげなんだよ……だから源次、お前には生きてて欲しいんだ!」
「そ、んな……」
ヒロは僕の手紙を持ってきて読んだ。
「それに何やこれ! 僕はずっとヒロと一緒にいたかった? 純子ちゃんと一緒に生きていたかった? どうかヒロと幸せになって下さいって? こんな手紙書いて、勝手に諦めて……純子が本当に好きなのはお前だ! 待ってるのはお前だ! お前が純子を幸せにするんだよ!」
一晩悩んで書いた手紙はビリビリに破かれた。
「残念だったな……この手紙の言葉は全部、自分で直接伝えろ」
僕はカッとなって咄嗟にペンを探した。
「お前と俺のペンは隠した! お前、そんなに俺と絶交したいんか?」
「違うよ! 僕だって同じなんだよ! ヒロに……たった一人の親友に、ただ生きてて欲しいだけなんだ!」
「お前から、そんな言葉が聞けると……は……なっ」
僕はヒロに思いきり左目の上を殴られた。
みるみる腫れていき視界が遮られる。
きっと今、上官に会ったら出撃を止められるだろう……
「いつかのお返しや……これでお前は出撃でけへん。代わりに俺が行く!」
「お前には純子を幸せにする義務があんねん……ずっと好きやったんやろ? なのに俺に気を使うて自分の気持ち隠して…………これからはもっと正直に、素直に生きなあかんで? ほな行ってくるわ」
「待ってよヒロ……行かないでくれ」
「今までおおきにな源次……お前の言葉……めっちゃ嬉しかったわ」
「待っ……て…………」
僕は殴られた事による目眩と過度の興奮と寝不足がたたって、その場に倒れてしまった。
医務室に運ばれた僕は、しばらくして気が付いたが……
出撃前の別盃式には「邪魔をするかもしれないから」と看護員に見張られて参加させてもらえなかった。
篠田の強烈な右パンチをくらった左目の上は腫れ、手当てと眼帯をされながら旅立ちの準備を遠くから右目で見ている事しかできなかった。
しかし午前10時半頃、ヒロが「彗星」に乗り込む前……何とかして見張りの目を欺いて僕は走り出した。
そしてヒロが「彗星」に乗り込むギリギリの時間に間に合った。
「ヒロー! やっぱり僕が代わる! だから乗るのは待ってくれ~」
「アホ~そんな目じゃ飛べへんやろが~っ、ヨイショっと……やっぱ、お前に渡してから行くことにするわ。殴ってごめんな源次……お詫びにコレ、お前にやるわ……」
ヒロは乗り込もうとした機体を降りて、自分がつけていた紫のマフラーを僕に巻いてくれた。
「あと……やっぱりコレは純子に返しといてくれ。写真とウサギの人形……一緒に連れてくのは、なんやかわいそうで……もし打ち所が悪かったら可愛らしいウサギが真っ赤に染まってまうかもしれんしな」
「だから僕が代わりに!」
「それは絶対にアカン言うたやろ! でも最後にお前に会えて、ほんまによかったわ~渡したかったもんも渡せるし……まあ、すでに手垢で汚れてもうてるけど、純子に似てるこいつには真っ白なまんまでいて欲しいんや……だからこれは返して?」
ヒロがポケットの中から出した写真とウサギの人形を渡そうとしてきた時……
僕を見る真剣な眼差しや今まで見たことない表情から強い意志と決意が伝わってきて……それ以上何も言えなくなった。
僕は泣きながら写真とウサギの人形を受け取って飛行服のポケットに大切にしまい、ヒロに最後の敬礼をした。
そしてヒロが乗り込む前に、僕達は「これが最後の抱擁だ」と固く強く抱き締め合った。
「今日は一段とキレイな空じゃのう……どこまでも純粋で……純子みたいに透き通った、キレイな空じゃ……」
空を見上げるヒロの横顔は、今まで見た中で一番カッコよくて……
本当に空を飛ぶのが好きなんだと思った。
「篠田少尉、時間です!」
「おうよ! ほな、ちょっくら行ってくる!」
後ろの偵察員の声に応えるヒロは爽やかな笑顔で……僕は邪魔にならない位置まで後ずさり、手と帽を振ることしかできなかった。
ヒロはこっちを見て頷いた後にエンジンをかけ、ゆっくり滑走路を進んだ。
その時だった……
「源次さ~ん」
忘れもしない純子ちゃんの声……
基地に来るはずのない純子ちゃんが走ってきた。
「純子ちゃん!? なんで?」
「源次さんがいよいよ出撃するって光ちゃんの手紙に書いてあったから、居ても立ってもいられなくて……」
「ヒロが!?」
息を弾ませ、一心不乱な状態で駆け寄ってきた。
「純子ちゃんごめん! 本当は僕が行くはずだったんだけど、ヒロに目を殴られて出れなくなって……あいつが行くことになって、あの飛行機に乗ってるんだ! でも腫れも引いてきたし今なら交代が間に合うかもしれない……急ごう!」
「そ、んな……光ちゃんが? 交代ってどういうこと?」
「伝えたいことがあったんだろ! 駅で何も言えなかったんだろ! 早くしないと間に合わない! いいから行くぞ!」
僕は純子ちゃんの手を引いて、全速力で滑走路を走った。
出撃が一番最後の順番だったヒロは、飛び立つために加速の準備を始めている。
「ヒロー! 待ってくれー! 純子ちゃんが、来てくれたんだーー!! あっ……」
僕は眼帯に視界が遮られて転んでしまった。
「クソッ何でこんな時に……」
離陸する前の助走のスピードが段々早くなっていく……
間に合わないかと思ったその時……
滑走路に純子ちゃんの大声が響き渡った。
「光ちゃーーん! 大好きだよーー!! 私もずっと……ずーっと! 大好きだよーーー!!!」
透き通ったいつもの声とは違う、魂の叫びだった。
「お願いだ……届いてくれ……ヒロ!!」
機体が浮かび、伝わらずに飛び立ってしまったかと思ったその時……
操縦席からヒロの左腕が伸びて、ハンドサインが見えた。
力強くピースしたそのサインは、最後の最後まで、あいつらしかった。
そのピースの先に五人で作った「希望の星」が見えて……僕は涙が止まらなかった。
純子ちゃんの最後の想いは伝わったが……僕は最愛の二人を引き離してしまった罪悪感でいっぱいだった。
「ごめん純子ちゃん、約束守れなくて……本当は僕が行くはずだったのに何もできなかった……死ぬべきは僕だったのに……」
バチンッ
全部言い終わる前に僕は純子ちゃんにビンタされた。
「そんな事言わないで! 私は光ちゃんに生きてて欲しかった! 光ちゃんともっと一緒にいたかった! 身を引き裂かれる思いって、こういうことかって思う位つらくて悲しい……でも源次さんが生きていてくれて嬉しい! お願いだから死ぬなんて絶対言わないで!!」
僕達は滑走路の上で泣きながら抱き締め合った。
僕はウサギの人形を純子ちゃんに渡せなかった。
せめてウサギの人形だけでも一緒に旅立ったと思っている純子ちゃんに返すのは、酷な気がしたから……
正午の玉音放送は、雑音が多くてよく聞き取れなかったが……
戦争が終わったことは理解でき、僕は絶望して人目も憚らず号泣した。
「あと数時間早かったら、ヒロが飛び立つことはなかったのに」と思うと……
本当に悔しくて悔しくて堪らなかった。
『篠田弘光』……あいつは日本で最後の特攻隊員になった。
軍の命令によるものとは別に、大分海軍から玉音放送後に「先に逝った仲間との約束だから」と飛び立った隊もいたが……
命令を受けて出撃した特攻隊の中で、最初の特攻と最後の特攻に両方とも高知出身の若者がいたことを、知っている者は少ないだろう……
紫のマフラー、それは端を結ぶと駅伝のタスキのようだった。
あいつから受け取った紫のタスキは、何としても次へ繋がなければと強く思った。
探していたお揃いのペンは、ヒロのカバンの一番奥に隠されていて……
その下には「源次へ」と書かれた手紙が入っていた。
「もしかしてヒロ……純子ちゃんにも手紙を書いてたのは、本当は最後に会いたかったからなんじゃないのかな……」
「いいえ、一番の理由は多分違うわ……きっと源次さんを一人にしたくなかったのよ。光ちゃん源次さんのこと大好きだから……これ見て?」
純子ちゃんの手に握られていたのは、以前駅でラブレターと言いながら渡していた方の手紙だった。
「開けるの誕生日って言われてたのに……」
「先月の七夕の日に読んじゃった……7月7日はね。光ちゃんが初めてうちに来た日なの……私達が一緒に暮らす始まりの日で、ある意味誕生日だし、いいかなと思って……」
僕達は背中合わせになって、ヒロからの手紙を読んだ。
~~~~~~~~~~
〈源次へ〉
最初の日にも嘘ついとったが、最後の日にまで嘘ついてごめんな。
俺は本当は、お前が絵が上手いことも、
お前の誕生日が11月15日だってことも、
問題用紙の落書きや受験票の生年月日を見て知ってたんや。
ちなみに「彗星」は1940年11月に完成して11月15日に初飛行に成功したそうや……
尊敬する坂本龍馬と、俺にとって一番の親友のお前と同じ誕生日の機体で飛べるなんて、こんなに幸せなことはない。
だからこれは俺の選んだ道で、
俺の願いだから、
お前達が気に病む必要はない。
お前は、俺の願いを叶えてくれた。
昔、小さい時に流れ星に願ったんや。
母ちゃんを返して下さい……
流された父ちゃんが見つかりますように……
もしそれが無理なら、
一生の友達ができますようにって……
お前が俺の一生の友達……運命の親友やった。
それぞれの道を進んだ先で出会うって、ごっつすごい事なんやで?
お前には本当に感謝してる。
源次……お前はいつだって自分の事より誰かを思って行動できる、凄い奴やった。
お前みたいな奴が沢山おったら、戦争なんか起きてへんかもな~って何度も思った。
お前はいつも自分に自信がないような事言うとるけど……
お前みたいな奴こそ、これからの時代に必要なんやで?
せやからな源次……
お前には生きていて欲しいんだ。
俺は、お前達に幸せになって欲しいんだ。
だからこれは、俺からの最後のお願いだ。
絶対に生きて帰れ!
そんで早う結婚しろ!
純子のこと頼んだぞ。
あいつはお前が好きなんだ。
お前じゃなきゃ駄目なんだ。
俺は明日を信じてる。
お前達が幸せになって、
この世界の誰もが平等で、
笑って暮らせる未来が必ずくる!
お前達が、そう変えてくれることを信じて……俺は行きます。
追伸
坂本と島田にもろた、一緒に撮った写真を同封します。
俺と源次は、どこまで行っても親友や!
100年後の天国で待っとるで!
~~~~~~~~~~
〈純子へ〉
ずっと素直になれなくて、ごめんな。
お前が作ってくれた料理、あんま褒めたことないけど……本当は全部、美味しかった。
里芋の煮物なんか母ちゃんが昔作ってくれた味に似てて、涙が出る程うまかった。
源次みたいに素直に褒められなくて、すまん。
俺は、お前達に出会えてラッキーだ。
親を亡くして悲しくて寂しかったけど……
その先で純子たちと一緒に暮らせて、めっちゃ幸せやった。
本当はお前を、源次に取られたくなかった。
でも源次と一緒にいる時のお前が一番、幸せそうで好きやった。
お前らウブ過ぎて、見てるこっちが恥ずかしゅうなるわ。
源次のこと頼むな……
最後まで世話かけてすまんのう。
俺はお前のこと、大好きだった!
お前らのことが、ずっとずっと大好きだ!
出撃前に辞世の句を読むらしいから、俺も作ってみたわ。
これでも立教の文学部やからな!
~~~~~~~~~~
澄み渡る 空に願いし 幸せを
その源を 永遠に 護らむ
~~~~~~~~~~
お前らの幸せが、俺の新しい夢だ!
お前らが結婚する日を楽しみにしとるで……
俺は空が好きやから、もし二人に子供が生まれたら、
名前は「空」がええな~なんてな。
二人の幸せだけを願って、
俺は行きます。
追伸
俺が死んだらツバメになって、
お前らの家に毎年会いに行くわ!
~~~~~~~~~~
ヒロの最後の手紙は、幸せを願う言葉ばかり残されていた。
何も持たず、たった一人で飛び立って……
本当はお揃いのペンだけでもヒロに渡したかったが、返したい相手はもうこの世にいない。
だからあいつの使っていたペンは、純子ちゃんにあげることにした。
「ヒロ……マフラーをくれてありがとう……僕のは血だらけでそのまま焼かれてしまったから、コレがヒロと僕を繋ぐ形見になったよ。紫だから結ぶと立教のタスキみたいだろ?……お前から貰ったタスキ、必ず、繋いでいくからな」
「私ね……光ちゃんの笑顔や声が大好きだったの……だから、これからもきっと大丈夫……ちゃんとココに残ってるから」
純子ちゃんは胸に手を当てながら、ヒロが使っていたペンを大事そうに抱き締めた。
1945年8月15日の正午、玉音放送が流れて太平洋戦争は終わった。
その全文には、戦争への苦悩と平和への願いが込められていた。
前日の8月14日に山口・岩国大空襲、8月14日深夜から15日にかけても空襲があり、埼玉・熊谷空襲、群馬・伊勢崎空襲、秋田・土崎空襲が最後の空襲だが……
戦争中の本土空襲の回数は約2000回……投下された焼夷弾は約2040万発、撃ち込まれた銃弾は約850万発……
犠牲者は確実な数字で45万9564人だという。
太平洋戦争での日本の死者は、軍人・軍属・准軍属合わせて約230万人、外地の一般邦人死者数約30万人、内地での戦災死亡者約50万人……
合わせて約310万人の方が戦争で亡くなってしまった。
特攻隊の戦没者は、陸・海軍あわせて約6000人……17歳から32歳までの平均年齢21.6歳の若者が、沢山の想いを抱えて空に飛び立った。
特攻作戦を進めた「特攻の父」と言われていた中将は、終戦直後に死んで責任をとると割腹自殺……「死ぬ時は出来るだけ長く苦しんで死ぬ」と介錯を拒否し、長時間苦しみながら亡くなった。
生き残った若い人たちに「諸子は国の宝なり」と呼びかけ、世界平和を願った遺書を残して……
玉音放送の後、しばらくして「元特攻隊員は、すぐにでも帰せ」との中央からの命令があり……僕達は追い出されるように百里原基地を後にした。
埼玉の実家に帰る前に、ヒロのことを報告するために土浦の食堂に向かった。
「いらっしゃいませ~あら、高田さん!? よかった~生きてらっしゃったんですね!……それと純子さん? どうも初めまして」
「……由香里ちゃん、あのね……報告があるんだ…………8月15日、僕の代わりにヒロが出撃して、あいつは立派に散華したよ……ごめん……ごめんね、本当は僕が……」
「そ、んな……」
「急な出撃だから手紙はないんだけど、後で平井くんにも伝えてもらえるかな?」
由香里ちゃんは泣きながら言った。
「はい……後で必ず伝えておきます……あの、私……昔は本気で篠田さんが好きでした。正直、『純子』って『純』が付く名前になりたかった程……でも篠田さんは純子さんや高田さんが大好きだったから……ホタルの時、『源次とは火傷の跡までお揃いなんだ』って自慢してたし……だから高田さんが生きていてくれて、よかったです!」
「ありがとう……ヒロが右で僕が左にある火傷の話、由香里ちゃんにもしてたのか……」
「あの、ご挨拶遅くなってすみません……初めまして宮本純子です。ここ素敵な食堂ですね……うちも食堂をしていたんです。播磨屋っていう……」
「えっ!? 高田さんの火傷って左にあるんですか? それに、播磨屋って…………ちょ、ちょっと待って下さい」
由香里ちゃんは2階に何かを取りに行った様子で……
しばらくして和男くんと一緒に階段を降りてきた。
「高田兄ちゃん久し振り! ねえ、コレ……篠田兄ちゃんが春に来た時、『ずっと前に約束してた誕生日祝い』ってくれた自作の漫画なんだけど、読んでみて?」
和男くんは1冊のノートを見せてくれた。
それは僕がヒロにあげたノートだった。
僕は、それを……所々ヒロの声で再生しながら読み進めた。
~~~~~~~~~~
【最高に幸福な王子】
ある日、左の翼を怪我したツバメが飛んできて
幸福な王子の像の下で、しばらく休むと怪我が治りました
協力してくれないか?
え~いやだよ、めんどくさい
南の島に行かなくて大丈夫なのかい?
僕、決めた! ここに残って最後まで君の願いを叶えるよ!
ありがとうツバメさん
じゃあ最後じゃなくて、最高に幸せなお願いがあるんだ
僕の胸の中にある鉛の心臓を届けて欲しい
あそこに柄杓のような七つの星があるだろう?
あれと反対の方角に飛んで行った所にハリー屋というお店があって
泣いている女の子がいるから……
分かった! 必ず届けて戻って来るから待っててね!
行ってらっしゃい……
行ってきます!
けれどハリー屋なんてお店は、どこまで行ってもありません
でもツバメは王子の願いを叶えようと、一生懸命飛び続けました
おかしいな? どこまで行っても見つからないや……
朝になった頃、ツバメは気が付きました
あんなに寒くて凍えていた朝ではなく
温かな光に包まれていることに……
これは王子がついた優しい嘘で
これが最後のお願いだったことに……
王子は幸せでした
たった一人の大切な親友が
仲間とともに生きているのですから
遠く遠く離れていても
心は一緒で繋がっているのですから
ツバメは空を見上げて飛んでいきました
その後ろには沢山の色々な種類の鳥たちが続いていきましたとさ
おしまい
~~~~~~~~~~
最後のページには、青空の中でツバメが一番先頭になって太陽の光に向かって飛んでいる、沢山の鳥達の絵が書き込まれていた。
「相変わらず絵……下手くそ……」
僕は涙が止まらなかった。
童話を元にしているが、あいつが描いた漫画の中で間違いなく最高傑作だった。
「この漫画は高田さんに出会ったから描けたんですね……出会わなければ生まれなかったもの……ですよね?」
「僕ね……この漫画大好き! この漫画のおかげで戦争に負けても頑張ろうって思えたよ? 僕の宝物だったけど、高田兄ちゃんにあげる!」
「え……でも……」
「ツバメは高田兄ちゃんのことだったんだね~はい、コレ……篠田兄ちゃんは本当は高田兄ちゃんに渡したかったんだと思うから……今度はお兄ちゃんが持ってて?」
「和男……くん……ありがとう……本当に……ありがとう……」
「源次さん……よかったわね」
「うん…………そういえば平井くんはこの間、島田くんの手紙を届けに来た時に、泣きすぎて咳が止まらなくなってたけど……最近は大丈夫かい?」
「実は……体調を崩して実家の池袋に帰ってるんですけど、治って落ち着いたら今度結婚する事になって……」
「えっ大丈夫? でも、結婚おめでとう~! それにしても平井くんって実家、池袋だったのか……」
「しかも婿養子に入ってくれるらしくて……住む場所は埼玉の別宅なので結婚したら、みんなで引っ越すんですけど……富士山がよく見える場所らしくて楽しみなんです! 私、富士山見たことないので」
「ほんと!? それは、よかったね~そう言えば、ずっと気になってたんだけど……この食堂って何て名前なの?」
「三田食堂です! 埼玉に移っても食堂続けるんで、新しい店に皆さんで来て下さいね!」
「三田……だから坂本くんは和男くんに慶應に入ったら面白いことになるって言ったのか」
僕は長年の謎が解けて、すっきりした気分で純子ちゃんと実家に向かった。
地元の駅に着くまでは……
特攻隊から戻った者に対しての世間の目は、まるで罪人を迎えるようだった……
その事に気付いたのは地元の駅に降り立った時だ。
飛行服のままで帰ったこともあり、僕を待っていたのは次々に降り注がれる冷たい視線だった。
「この特攻崩れが!」
「この恥知らずが!」
「お前らのせいで日本は負けたんじゃ!」
すれ違いざまに睨まれ、次々と浴びせられる罵声……
出征する前は優しかった近所の人からも、帰る途中で様々な暴言を受けた。
みんな戦争に負けた苛立ちをぶつける先を探していた……
僕は家に着くのが不安になった。
「バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ」
出征する前の母の声が耳に残っている……僕が家を出る時、母は喜んでいた。
死に損ないの顔なんて、もう見たくないだろう。
このままどこかに行ってしまおうか……
出征を喜んでくれた母さんの元に帰るのが怖かった。
失望されて勘当されるのではないかと不安で……僕は、いつの間にか立ち止まって家とは反対方向に歩こうとしていた。
「源次さん、駄目……一緒に帰ろう?」
純子ちゃんが一緒じゃなかったら、家に帰るのをやめていた。
僕は恐る恐る玄関の戸を開けながら、帰る道中で準備していた言葉を吐き出した。
「母さん、ただいま…………篠田は死んで、俺だけ生き恥さらして帰ってきたよ……お国のために散華するはずだったのに、せっかく世の中のためになるって喜んでくれてたのに……自慢の息子じゃなくて、生きてて本当にごめん! 僕、母さんの肩身が狭くなるんだったら出てく……」
全部言い終わる前に、母さんは泣きながら僕を抱き締めてくれた。
「おがえり源次~~~」
母さんが泣くのを初めて見た。
父さんが死んだ時も、空襲の時も、泣き顔なんて見せたことないのに……
でもきっと隠れて泣いてきたのだろう。
「この大馬鹿者! 自分の子が死んで喜ぶ親がどこにいるか! 来たんだよ、やっと……自分に正直でいられる時代が来たんだよ!」
「え、だって『バンザーイ』って……」
「非国民と言われないよう、あんたの立場が悪くならないよう、今まで嘘ばかりついてきた…………本当は……本当は、生きていて欲しいと、どれだけ願ったことか……」
「幸せになって欲しくて願い込めて名前付けて……自分の事なんか二の次で一生懸命、育ててきて……誰が好きこのんで自分の息子が死ぬ事を喜ぶ奴があるか!」
僕は両肩を揺さぶられながら、母さんの言葉に驚き過ぎて呆然としていた。
「あの時『バンザイ』を3回言った意味を教えてやろうか?……『絶対』、『生きて』、『帰ってきて』だよ」
「お前は生きていいんだよ……生きてくれなくちゃ困るんだよ……生きていてくれて、本当によかった……また会えて本当に、よかった」
母さんの言葉は僕の全てを救ってくれた。
戦争で傷ついて戻ってきた全ての人に伝えたいと思う位に……
戦後は、戦時中より食べる物が少なく……酷い地域では飢餓状態の人や孤児が溢れ、ガリガリで昨日まで隣で話をしていた人が翌朝冷たくなっているという「明日は自分が死ぬかもしれない」という悲惨な状況が続き……
戦後の方が栄養失調で亡くなる人が多かった。
そんな何もない中でも、人々の心を癒やしたのは歌だった。
でも純子ちゃんは……戦争が終わっても歌おうとしなかった。
そんなある日、久し振りに隣町の先生から家に来て欲しいと連絡があった。
再会するのは何年か前の初詣以来だ。
歌の作詞をしている先生なので、僕は「純子ちゃんがまた歌ってくれるのでは?」という淡い期待を込めて、用事があるから一緒に行こうと誘って先生に紹介することにした。
「やあ! 源さん、久し振りだね」
「お久し振りです先生! 今日は紹介したい人がいるので連れてきました! こちら『宮本純子』さん! とっても歌が上手いんです」
「純子ちゃん、こちら清水かづら先生……浩くんの先生もしていた作詞家さんだよ」
「まあ、あの学園の先生だった方でしたか……その節は、浩が大変お世話になりました」
「あの子は元気かい?」
「浩は………………この近くの空襲の時に亡くなりました」
「そうか…………とても残念だよ……歌が大好きな子だったのに…………だったら今日の事は君たちには酷な事かもしれないから、また別の機会に来……」
「シミズセンセ~コニチワ~トテモアイタカタデ~ス」
「この人は?」
「アメリカの進駐軍の将校さんでね。会いたいと言われたんだが英語が分からないから、大学で勉強している君に通訳してもらおうと思って呼んだんだ、でも……」
「ミナサンモ~コニチワ~」
「どうしよう僕、英語そんな得意じゃない……」
「ダイジョブです! 私、日本語、少しできます。ミスター・シミズに、会えて、光栄で~す! あなたの~名前は~アメリカ、で、は、みんな知ってま~す」
「すごいね先生! 海外でも知られてるなんて……」
「いや~恐縮です」
「今日は~私の~息子スミスも、一緒に来ました~センセの~『靴がなる』、ダイスキな子です」
すると車の影から……丁度、浩くんと同い年くらいの男の子が駆け寄ってきた。
「ボクも、日本語、できるヨ~? おネイチャン、歌、ウマイってキイタよ? 歌っテ?」
「ごめんなさい……私、弟を空襲で亡くしてから歌うのをやめたんです」
すると、その将校さんは青い目からボロボロ涙を流した。
「ヤメナイデクダサイ……ヤメナイデ?……」
その時だった……
「鬼畜米兵! アメリカへ帰れ!」
中年の男がその人に向かって石を投げ、後ろにいた子供に当たりそうになった。
「危ない!!」
咄嗟に身体を投げ出しスミスくんという、その子を庇ったのは……
純子ちゃんだった。
「タイヘンです! 血が……」
純子ちゃんの左目の上に石が当たり、眉尻からは血が流れていた。
もう少しずれていたら失明していたかもしれない……
「オーマイガー」と泣き出してしまったその子に浩くんの姿が重なったのか……
純子ちゃんは久し振りに歌を歌った。
まるで子守唄を歌うように、その子が大好きだという『靴が鳴る』を……
~~~~~~~~~~
お手つないで 野道を行けば
みんな可愛い 小鳥になって
歌をうたえば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
花をつんでは お頭にさせば
みんな可愛い うさぎになって
はねて踊れば 靴が鳴る
晴れたみ空に 靴が鳴る
~~~~~~~~~~
純子ちゃんの天使のような歌を聞いた将校さんは、盛大な拍手を送り……
スミスくんは、すっかり泣き止んでニコニコしていた。
「アリガト……クツガナル……ボクノダイスキナウタ……ウタテクレテ……ウレシカタ……トテモジョウズ? ダネ~」
「ホントに~とても~素晴らしかたで~ス! 私の~息子ヲ……助けてイタダイテ……ホントに……本当に……アリガト……ゴザイマス」
将校さんはスミスくんを抱き締めながら涙を流していて……
ほんの先日まで敵同士だった国の人と心が繋がった気がして、僕は思わずもらい泣きしてしまった。
「音楽は国境を超える」、「音楽なら世界中の人の心が繋がれる」……
その奇跡の一部を僕は見た気がした。
将校さん達を見送った後、僕はずっと気になっていた事を先生に聞いた。
「そういえば先生、この歌を作曲したのは何ていう人なの?」
「弘田光太郎さんていう高知の人だよ」
先生は道に枝で名前の漢字を書いて教えてくれたが……
「高知?……弘……光……?」
これはヒロが起こした奇跡だと思った。
この世界は広いけれど、場所や名前、誕生日……他にも色々、沢山の不思議な奇跡で繋がっている気がした。
純子ちゃんは左目が腫れて前が見えなくなってしまったので……
家までの道、僕がずっとおんぶした。
初めて背負った純子ちゃんは風船みたいに軽くて……
こんなに細い身体で沢山の悲しみを背負ってきたのかと思うと、涙が出そうになった。
「歌……歌えたね……」
「…………うん」
「あの子、喜んでたね……」
「……うん」
「相変わらずキレイな歌声だったよ?」
「…………ありがと」
背中から震えが伝わってきて……
この人を一生、守っていこうと思った。
「しかし左目とは……この間の僕と、お揃いじゃないか」
「ほんとね……私、久し振りに歌えた。久し振りだから、初めは声が出なかったけど…………歌って……やっぱり音楽って、素晴らしいって思った」
「それでね私、気付いたの……私、子供達に歌を教えたい! 『音楽は音を楽しむもの』ってことや『音楽がある世界に住んでいるっていうのは、とても幸せなことなんだ』って伝えられる先生になりたい!」
「いいね、それ! じゃあ僕は、歴史の先生になるよ! 教科書に載っていることだけじゃない……その先にあった沢山の命を伝える歴史の先生に……そしていつか必ず本を出す! ヒロが伝えたかった沢山の思いを届けるために……」
「素敵な夢……」
「もう最後の文は決まってるんだ……ヒロと一緒に描いた『未来を生きる君へ』の最後の言葉……」
〈未来を生きる君たちへ〉
生きてください
どんなことがあっても
生きようと思ってください
自分を信じて
他人を信じて
その先にある未来を信じて
※この回より以降の回は『最後の日記』の小説との繋がりや重なる部分が特に多いので、両方読んで頂けると、より言葉の本当の意味が分かります
純子ちゃんは、石が左目上にぶつかってから一時的に視力が悪くなったが……
出血の腫れで圧迫された影響だったようで、腫れが引くと回復したので安心した。
それから数ヶ月後の1945年11月15日の朝、純子ちゃんは僕に思わぬ事を言った。
「源次さん、誕生日おめでとう! 私、一緒に行きたい所があるの。付き合ってくれる?」
そう言われて手を引かれた先は、僕達の悲しい思い出がある成田山のお寺だった。
空襲の爆撃で純子ちゃんが大怪我をした場所であり、空襲で亡くなってしまった浩くんを荼毘に付した場所でもあるから行くのを避けていたのに……
「純子ちゃん、どうしてこの場所に? そういえば思い出したんだけど……初めて此処に来た時、なんで『成田山?』って驚いてたの? 結局、参拝もしなかったし……」
「やっぱり知らないか……あの日、神田明神に参拝したでしょ? 神田明神と成田山のお寺を一度に参拝すると、災いが起きると言われているの……歴史的に神田明神は平将門公をお祀りしている神社で、成田山のお寺は将門公に呪いをかけた場所だと言われているから……」
「そ、んな……じゃあ浩くんの事も父さんの事も僕のせいじゃないか! 僕がその歴史を知っていれば連れて来ることはなかった……浩くんと一緒に、あんなこと願わなければ……」
「違うわ、源次さん! あなたのせいじゃない! 本当にそんな影響があるのか誰にも分からないけど、絶対に源次さんのせいじゃない!」
「知っていれば防げたのに、知らなかったから起きてしまった悲劇もあるじゃないか! 家の中の防空壕みたいに!」
「源次さん、私ね……戦争って大嫌い! お互いを憎んで傷つけあって呪いあって、偉い人が正義のためとか言って人殺しを正当化して! それって結局、新たな不幸を生んだだけじゃない! だから、これからは……人を呪ったり不幸を願うんじゃなくて、光ちゃんみたいに人の幸せを願える世の中になって欲しいなって……」
「そうだね……」
「だからね、ここは悲しい場所だけど……どうしてもやりたい事があって此処に来たの」
「どうしてもやりたい事って?」
「私、浩ちゃんとバイバイする時にね……『痛かったね』、『よく頑張ったね』って言うことしかできなかったから……あの子が大好きだった歌、歌ってあげたいの」
「大好きな歌?」
「『浜辺の歌』……この歌の歌詞を書いた人はね。会ったことはないんだけど神田出身の人なの……だからかな? 浩ちゃんは、この歌が一番好きだった」
そう言うと純子ちゃんは『浜辺の歌』を歌った。
浩くんへの子守唄で歌っていたであろう、慈愛に満ちた聖母のような歌声で……
~~~~~~~~~~
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ 忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 忍ばるる
寄する波よ 返す波よ
月の色も 星のかげも
はやちたちまち 波を吹き
赤裳のすそぞ ぬれもせじ
やみし我は すでにいえて
浜辺の真砂 まなごいまは
~~~~~~~~~~
悲しみを乗り越えようとする、その歌声は切なさに満ちていた。
まるで戦争で犠牲になった全ての人の安寧と幸せを、天に祈るような声だった。
僕はいつの間にか涙を流していて……歌い終わった彼女に拍手をしていた。
「ありがとう純子ちゃん! 感動したよ、今までで一番! なんか浩くんだけじゃなくて、ヒロ達や、おじさんおばさんや、父さんや色んな人達にも届いた気がした……」
「ありがとう、源次さん」
「出征前の『故郷』といい昔から君の歌には救われてばかりだ……東京大空襲の時も、君の歌は真っ暗闇にいた人達にとって希望の光みたいだったよ。迷った時の北極星みたいに君の歌はいつだって僕達を励ましてくれた」
「そんな……大げさよ……」
「不思議だよね、歌って……長い文章は覚えられないのに、歌は長くても自然と覚えてる。子守唄も童謡も何年も前に生まれた歌なのに、みんな知ってて歌い継がれて、日本人の心に残ってる……」
「確かにそうだわ……」
「音楽には時間や場所を超える力があるのかもしれないね……たとえ作った人が亡くなっても、作った歌は歌い継がれ、歌に込められた思いは生き続ける……」
「本当にそうよね。実はね……『浜辺の歌』の作曲をした方は先月、亡くなってしまったの……東京音楽学院の教授の方で、その学院は今度、国立音楽学校っていう名前に変わるらしいんだけど…………私、いつかこの学校に入りたい! そこで沢山学んで音楽の先生になりたい! 私、歌に何度も励まされてきたから思いを繋いでいきたいの」
「それは、素敵な夢だ! 応援するよ! 僕も先生の『あした』って歌に励まされてた……船乗りの父さんの帰りを待つ歌だからね」
「あの歌も先生が作った歌だったのね……」
「そういえば『靴が鳴る』って歌、先生が本郷の小学校にいた時の遠足の思い出の歌らしいよ? だから僕達が見たのと同じ景色や同じ空を見て作ったのかもしれないね」
「それって素敵……時代が違っても想いが空で繋がっているみたい……いつか誰かが作る歌の風景の中に私達がいて、私達も歌の一部になっていたら面白いわよね」
「そうだね……」
「源次さん……一緒に来てくれて、本当にありがとう……源次さんと一緒じゃなかったら、私は此処に来る事ができなかった……あとね、私……もう一つ今日したかった事があるの」
「なあに?」
「あのね……私ね…………私……源次さんの事、ずっと……」
「好きだよ、純子ちゃん…………僕は君が、ずっと好きだった…………ずっと言いたかったけど、ずっと言えなかった……」
「源次……さん?」
「ヒロは僕達の幸せを願ってくれたけど、僕達が生きている今はヒロ達が生きたかった未来だから……あいつが旅立ったのは3ヶ月前の15日で、今日は丁度月命日だし言うのはやめようって何度も思った……でもね、思い出したんだ」
「浩くんが僕にくれた『お姉ちゃんをお願い』っていう最後の言葉を……ヒロの『純子のこと頼んだ』って言葉と紫のタスキを……二人の思いを繋いでこれからは僕が、浩くんみたいに純子ちゃんを守って、ヒロみたいな冗談言って純子ちゃんを毎日笑わせたいって思ったんだ」
「嬉しい……本当に夢みたい。だって駅で言おうとしたら行っちゃうし、基地でも言えなくてずっと苦しかったから……今日の源次さんの誕生日に勇気を出して言おうと思って」
「光ちゃんが知らせてくれた手紙に書いてあったの……最愛の思いを伝えるなら、この言葉が一番いいからって……その言葉を今日言おうと思ってたんだけど、あのね源次さん」
「私……源次さんを…………愛…………ごめんなさい、恥ずかしくてやっぱり言えない……けどいつか言えるように頑張る!」
「僕も君の夢が応援できるように頑張るよ! 今はお金がナイチンゲールだけど……」
「ブッ何それ~アハハその言葉、久し振りに聞いたわ~」
「あいつが言ってたの思い出して……」
「ねえ、源次さん? お願いがあるの……これからは源次さんの事、『源ちゃん』って呼んでいいかな?」
「いいよ……じゃあ……僕も『純子』って呼んでいい?」
「もう呼んでるじゃない」
「いつ?」
「……秘密~」
純子ちゃんはそう言うと、僕の頬に口づけをした。
恥ずかしがって真っ赤になっている姿があまりに可愛くて……
僕は思わず抱き寄せて、僕達は初めての口づけをした。
1943年4月1日に合併され、父さんが乗っていた戦艦と同じ『大和』町になった、この場所で……
戦後で物が無くてお腹も空いてたけど……今日は最高の誕生日になった。
「戦争で日本はほぼ何も無くなっちゃったけど、ここは浩くんも好きになってくれた軍艦『大和』と同じ名前の場所だし、いい町になるよ」
「そうね……」
「浩くんが元々好きだった『長門』も2ヶ月前の9月15日に米軍に接収されて日本籍から除籍されたけど……関東大震災の時に中々出ない命令を待たずに人を助けようと行動を起こして駆けつけた『長門』の人たちの誇りは消えないよ! 『大和』も『長門』もすごい船なんだ!」
「フフッなんだか源次さん、浩ちゃんみたいね。私、気付いたの……二人とも源次さんの中にちゃんといる! だからね? 此処で言いたい事があるんだ」
「なあに?」
「源ちゃ~ん! 改めて誕生日、おめでとう~」
「浩ちゃ~ん、6月6日過ぎちゃったけど……誕生日おめでとう~私の弟に生まれてきてくれて……ありがとう~」
「そして光ちゃ~ん、11月1日過ぎちゃったけど……誕生日、おめでと……本当に……ありがと……七夕に……会えてよかった」
僕は泣き崩れた純子ちゃんを後ろから抱き締めながら決意した。
純子の今度の誕生日に、絶対プロポーズしよう……
そして僕達の思い出が残せるよう、分厚い日記帳をプレゼントしようと……
1946年1月7日に僕は同じ場所で純子にプロポーズし、僕達は結婚した。
プロポーズの言葉は坂本くん並にキザな台詞を言ってしまい……
恥ずかし過ぎて目を瞑り、お辞儀をしながら差し出した日記帳を、純子は泣きながら受け取ってくれた。
「最高の誕生日プレゼントありがとう……結婚しよ? 源ちゃん」と最高の泣き笑いの笑顔で……
僕は飛び上がるほど嬉しくて、抱き締めながら「僕が一生、守るから」と言ったら、「守ってくれなくていい……私があなたを守りたい」と言われてしまった。
そして僕達は、ある約束をした。
「源ちゃん、お願いがあるの……約束して? 私より絶対長生きするって……私、もう二度と大切な人を先に亡くしたくないの」
「僕は君が先にいなくなるなんて耐えられない……同じ瞬間に死にたい」
「駄目! 約束してくれないなら結婚しない!」
「ええ~!? しょうがないな、約束するよ……じゃあ君より少しだけ長生きして同じ日に死ぬ! それもダメだっていうなら結婚しない!」
「ええ~!? 何それ~じゃあ私、うんと長生きしないとだわ」
そう言って笑う純子の横顔は、夕日に照らされて光っていて……
本当に本当にキレイだった。
入籍の日は11月1日に決めた。
そうすれば結婚記念日と共にヒロの誕生日を毎年祝えるから……
因みに平井くんは肺の病で一時危なかったそうだが、治って無事に由香里ちゃんと結婚したという手紙が届いた。
そして坂本くんの赤ちゃんも無事生まれたそうで……
付けられた名前は「一」……坂本亘の「亘」は「一」で挟まれているから、だそうだ。
島田くんのお母さんもお元気で、長生きすると張り切っているらしい。
1946年……清水かづら先生は戦後の子供達のために文化会の会長になり、ヒロの描いた『最高に幸福な王子』を劇にして小学校の講堂で公開してくれた。
そして僕達の描いた『未来を生きる君へ』とヒロの描いた『最高に幸福な王子』は市の図書館に寄贈されることになった。
僕は漫画を今後も描かないのか聞かれたが、ヒロの書いた物語以外を描く気は全くなかった。
僕達は必死に勉強をして……僕は日本史の教師、純子は音楽の教師になった。
平井くんは作家になり、推理小説や童話を書いたり、特攻で空に散った仲間を忘れて欲しくないと色々な本を出した。
平井くんのお父さんの正体が、実は江戸川散歩先生だと聞いた時は本当に驚いたが……
思い返せば幾つもヒントがあった気がする。
生活がだいぶ落ち着いた頃、僕達と平井くん夫妻は立教のチャペルで合同結婚式を挙げた。
平井くんちと違って僕達二人の間には子供はできなかったが、僕達は本当に幸せだった。
何の因果か分からないが、巡り巡って純子が通っていた女学校である女子高の教師となり……絵が上手いからと美術部の顧問もやる事になった。
1964年10月10日……僕達が学徒出陣壮行会をやった「明治神宮外苑競技場」が 「国立競技場」へと生まれ変わり、東京オリンピックが行われた。
何も無くなった焼け野原だった東京に沢山の新しい建物ができて、皆が希望に満ち溢れていて……昔の景色と今の景色を重ね合わせて涙が出た。
1970年8月15日……戦後25周年の講演が地元の文化センターで行われるそうで、特別講師として講演を頼まれた。
地元に暮らす戦争体験者であり、歴史の教師でもあるから適任という事になったらしい。
丁度その年は、僕達が住んでいた大和町も市制施行に伴い……新しい市の名前を市民から募集していた。
講演の日、僕はとても緊張していた。
戦後生まれの戦争を知らない沢山の学生が聞きにくるそうだが、果たしてずっと言いたかった事を伝えられるのだろうかと……
僕は持参した資料を元に太平洋戦争の歴史を説明した後、事前に用意してきた原稿を読み上げた。
~~~~~~~~~~
講演の最後に、私が戦争という時代を振り返ってきた中で最後に見つけた「戦争を繰り返さないために大切な事」をお話ししたいと思います。
1945年8月15日……25年前の今日、日本は負けて太平洋戦争が終わりました。
原爆、空襲、特攻、自決、飢餓……日本には本当に沢山のつらい悲劇が起こり、日本各地や遠い異国の地で戦っていた方を含め、本当に沢山の尊い命が犠牲になりました。
この戦争による日本の戦没者は軍・民合わせて約310万人……
戦争がなければ沢山の夢や希望を持ち、笑って暮らしていたかもしれない約310万人もの方々が、沢山の想いを残し亡くなってしまいました。
軍国主義を掲げ、自国の利益のみを追求した先に起きた戦争……
国民の命を軽視し、戦って戦って何億何千万人もの人々の幸せを犠牲にして日本は負けました。
人が殺し合う戦いに正義なんてない。
戦争は沢山の人の命を奪い、生き残った人々の人生をも狂わせました。
人を殺した事を褒めるなんて最低な世界で、誰が幸せになれるのでしょうか。
自国の利益のみを追求した主導者が他国を侵略・搾取し、他者の命や権利を踏みにじる……その先で憎しみが憎しみを呼び、その恨みは結果的に自国に還ってきて沢山の人々や未来の子供達を不幸にする。
私達はその事に、やっと気が付きました。
家族の命を奪った人を憎むのは当然の心理です。
でもそれで、その国や同じ人種の人達を全員悪魔だと決めつけて皆殺しにしようと思うのは絶対に違う。
他国を憎むように子供達を教育するのも、差別を助長して新たな悲劇を生むだけです。
沢山の血を流し、やっとの思いで締結した条約も簡単に反故にするような国は、将来的にも信用されず、世界から見放されてやがて衰退するでしょう。
今の平和は、沢山の犠牲の上に成り立っています。
戦争を繰り返さないために、私達は何をすればいいか……
それは未来ある子供たちに戦争の悲惨さを伝え、二度と繰り返さないよう伝え続ける事なのではないか……
その事に気付いた時、私は歴史の教師になろうと決意しました。
これから生まれる子供達には、僕達のような思いを絶対にして欲しくありません。
戦争で起きた沢山の事を、今、生きる事を諦めている人や未来を担う子供達に伝えたい。
これから先の未来を生きる人達には、もっと幸せに生きて欲しいから……
実は25年前の今日、私は特攻隊員として死ぬはずでした。
私の代わりに親友が飛び立ち、私は生き残ってしまい……
いや、生き残ることができました。
そして「篠田弘光」……弓へんのヒロに光という名前を持つ、私のたった一人の親友は……日本で最後の特攻隊員になりました。
私は彼に生きていて欲しかった。
今でも夢に彼が……彼の笑顔が夢に出てきます。
彼とやりたい事、話したい事が本当に沢山ありました。
戦争さえなければ、今でも笑い合っている未来があったはずでした。
なぜ特攻隊員は……とよく聞かれるので今回、私なりに考えたのですが……
特攻隊員達が自分の命を賭してでも飛び立ったのは、大切な人を守りたいという強い想いがあったから……
笑顔の写真を残して逝ったのは、せめて最後に笑顔を覚えていて欲しいから……
手紙や辞世の句を残したのは、亡くなった後も大切な人の希望になりたいと思ったから……
違う風に思っている方もいるとは思いますが、私は沢山の仲間達を見てきてそんな風に思いました。
篠田は沢山の事を、命を懸けて教えてくれました。
あいつは坂本龍馬みたいな奴で、本当は戦争のない世の中を作ろうとしていた、誰よりも平和を願っている奴でした。
彼の笑顔や言葉、大切な人への想い、戦友との絆は、死と背中合わせだった世界の中での「希望の光」でした。
篠田を始め、同期の仲間や戦争で亡くなった沢山の人達は、私の中で今でもちゃんと生きています。
因みに僕達が昔いた百里基地では、終戦20年後の1965年11月に自衛隊所属の「百里救難隊」が編成されました。
百里基地に掲げられているスローガンは、
「That others may live~他を生かすために~」
特攻隊員を含む、沢山の戦争で亡くなった方々の、国や家族や大切な人を守ろうとした想いは、今でもちゃんと受け継がれています。
私が戦争で亡くなった方の人数を時系列でお話ししたのは、愚かな戦争を始めた事で一体どれだけの大切な命が失われたのかを知って欲しかったからです。
そして、その先に数字では表せない沢山の想いがあった事も知って欲しかった。
自国の亡くなられた方々はもちろんですが、戦った相手である米軍をはじめ、戦争に巻き込まれて亡くなられた外国の方々にも大切な家族や仲間がいたことを忘れてはいけません。
原爆には、原爆投下数日前に日本に撃沈されて米海軍史上最大の悲劇とされた「インディアナポリス乗組員たちのために」という言葉が書かれていたそうです。
そして原爆の被害は想像を絶する地獄で……
先程は敢えて言いませんでしたが、灼熱で人が炭になっただけでなく……爆風で急激に下がった気圧のせいで、目玉が飛び出て垂れ下がった目玉を手で受け止めながら亡くなっていた方もいたそうです。
私も東京大空襲などで地獄のような情景を目にしてきましたが……原爆という更なる地獄に焼かれた広島や長崎の人達の恨みは、さぞ深かったろうと思います。
しかし彼らは「目には目を」という報復を訴えるのではなく、自分達のような苦しみを誰にも味わわせてはいけないと「核兵器廃絶」を求めて色々な活動を始めました。
広島平和記念公園にある原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませぬから」という誓いが刻まれています。
彼らは憎しみや自分の恨みを晴らす事に執念を燃やすよりも、他人を思いやる心を持っていた。
私達は、それを忘れてはいけない。
日本は唯一の戦争被爆国です。
世界で唯一の被爆国だからこそ伝えられる事があるのでは……
日本だからこそできる事があるのではないか……と私は思います。
もし再び世界が戦争に向かおうとしたら……沢山傷ついてきた日本なら、憎しみ合うより互いを思いやる、人と人とを繋ぐ「和の心」を世界に伝えられるのではないでしょうか……
元を辿れば国などなかった原始の時代から、私達は助け合って生きています。
肌の色など関係なく、私達は同じ祖先から生まれた兄弟で、私達には皆、同じ赤い血が流れています。
想像してみて下さい。
戦争で流れる血や涙は、自分の痛みであると……
元々は七夕の日のすれ違いから始まった日中戦争、その延長線上に太平洋戦争が起こり、私達は大切なものを沢山失ってきました。
大変な時代を乗り越えて日本がここまで復興できたのは、助け合う「和の心」があったからです。
空襲中、ある方は自分の命を危険にさらしてでも他人を助けようとしたし、ある方は赤ちゃんを亡くした母親から「この子の代わりに頑張ってね」と大事に持っていた水あめを差し出されたそうです。
「人の痛みを分かる心を持つこと」
これが平和の原点だと私は思います。
人の優しさこそ、未来の命を救う希望です。
私は、沢山の命が教えてくれた「和の心」、そして親友や仲間達が教えてくれた「希望の光」を忘れないよう……
この大和の町の新しい名前が「和光市」になったらいいなと思っています。
色々な候補が出ている中で選ばれないかもしれませんが、「大和が平和に光り輝きますように」という願いも込めて……
「戦争という最も愚かな人間の所業を、二度と繰り返さない」
それが死んでいった者達にできる、唯一の弔いだと私は思います。
憎しみは憎しみしか生まない、
新たな不幸の連鎖は断つ、
お互いに過去の過ちを認めてやり直す、
天災は避けられませんが、戦争だけは人の力で避けることができます。
どうせ戦争はなくならない、と言っていたら永遠になくならない。
戦争を終わらせるんだと諦めずに世の中を変えようとした人達がいたから、今の日本がある。
「戦争のない世界にする」
それは世界中が協力すれば……
皆で諦めずに願い続ければ……
いつか必ず、できる事なのではないでしょうか。
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講演後、外に出ると雨が降っていて……
まるで今まで犠牲になった何万何千という人達の代わりに、空が泣いてくれているようだった。
純子は今年の誕生日にプレゼントし直したスミレ色の折り畳み傘を差し出してくれて、二人で相合い傘で一緒に帰った。
家に帰ると、すっかり雨は止んでいて……
玄関の上を見ると、ツバメが巣立っていなくなっていた。
今年は長めにいてくれたのだが、僕は寂しくなって思わず呟いた。
「なあヒロよ……鳥に生まれ変わるなら、スズメになってくれたら一年中そばにいられたのかな…………毎朝お前の声がうるさいと文句を言いながら起きて、米の一つでも一緒に食べて……」
「でも私はツバメが好きだ……お前はどこまでも飛んでいく、そして必ず帰ってくる……また来年会えるのを、楽しみにしているよ」
その時、雨上がりの空をツバメが一瞬通り過ぎた。
あっという間に空高く飛び、一番先頭で沢山の鳥達がその後に続いていく……
僕はそれを見てヒロの描いた『最高に幸福な王子』を思い出し、久し振りに絵が描きたくなった。
そして私が長期間かけて学校の美術室で描きあげたその絵は、勤めていた女子高の玄関に飾られる事になった。
10月31日 ……
市の名前が「和光市」に決まった。
僕の話が影響したのかは分からないが、応募された市名で一番多かったのが「和光市」だったそうだ。
11月1日……
誕生日プレゼント代わりにヒロの位牌の前で、その事を報告した。
ヒロの名前の一部である「光」と、願っていた平和の「和」が合わさった「和光」……
その名前が永遠に場所の名前として遺ることが、僕は嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
思えば東京大空襲でも焼け残って希望の塔になったのは、銀座の「和光」ビルだった。
全てを失い絶望していた人たちの「希望の光」になった名前……
本当に不思議な偶然もあるものだ。
それから何年も時が過ぎ、幸いな事に私は「日本史の高田じい」というアダ名も付けられ、めでたく定年を迎えることができた。
そして1989年1月7日午前6時33分……
昭和天皇が崩御され、64年間にわたる昭和という時代が終わった。
純子の誕生日である1月7日は、「昭和最後の日」になった。
2001年11月1日は、立教の戦没者名簿の「平和祈念碑」の除幕式が池袋のチャペルで行われ、平和を祈る日になった。
そして2003年4月1日……
通っていたデイサービスで、運命の親友と同じ名字である、あの子に出会った。
まさか、その子と出会う前に奇跡の繋がりがあり、純子を亡くして絶望していた私を色々な意味で救ってくれる存在になるなんて、その時は全く思っていなかった……
※この話は特に『最後の日記』の小説と繋がりが深い内容になっています
2004年1月7日……
1年前の誕生日の日に亡くなった妻との「同じ日に死ぬ」という昔の約束通り、私は今日で全てを終わらせようと思っていた。
そして朝起きて、渡せなかった日記を見た途端……急に虚しくなった。
「おめでとうと伝えたい君は、もうこの世にいない! 新しい日記は真っ白なまま! 君との約束通り、今日死のう……こんなもの、もういらない!!」
日記をゴミ箱に叩きつけて捨てようとした時だった。
ピンポーン
「おはようございま~す、デイサービスの篠田です! お迎えにあがりました~」
私は返事をした後、ふと思い立ち……日記を紙袋に入れて、同じ誕生日である篠田さんに渡すことにした。
「誕生日おめでとう……これを貰ってくれないか?」
そして私は帰りがけ、11月15日に彼女から誕生日プレゼントを受け取るという、新たな未来の約束をしてしまった。
「誕生日プレゼント……か……」
8月16日……ヒロの命日で終戦日の次の日……
デイサービスに行くと、夏祭りの行事の日とのことで色々な企画があって本当に楽しかったが……
祭りの最後に篠田さんが、「皆さん中々行けないと思いますので、近くの花火大会を撮ってきました~」と花火のビデオをテレビで流した。
ヒューーーードゥオーーーン
シャーーーシャーーー
私はその音を聞いた瞬間、動悸がして東京大空襲のトラウマが蘇り……「花火は嫌いだ、戦争を思い出すから」とデイルームをそっと退出した。
我ながら情けないが、これ以上あの部屋にいると耳を塞いで叫んでしまいそうだった。
すると篠田さんが「大丈夫ですか!?」と心配して、すぐに駆け寄ってきてくれた。
その時デイルームから、ある音声が流れた。
「続いてはメッセージ花火です! 『大好きなおじいちゃんへ……いつも空から見守ってくれてありがとう。お盆だから感謝の気持ちを込めて花火を送ります。本当は一緒に見たかったけど、お空から見えるといいな』……」
私は不思議とその言葉を聞いて久し振りに花火が見たくなり……デイルームに戻って何十年振りかの花火を見た。
「何だコレ…………キレイだ…………本当に……キレイ……」
沢山の恐ろしくて悲しい思い出が、一瞬にして新しく塗り替えられていく気がした。
帰りに送ってくれる篠田さんの軽自動車に乗り込むと……彼女は涙声で言った。
「高田さん、今日は花火なんて流して本当にすみませんでした! 前に高田さんが『花火は見に行けないから』って寂しそうに言ってたの……足が悪くて見に行けないからじゃなくて、つらいから見られないって意味だったのに……『みんなでキレイな花火見ましょう』とか言っちゃって……私、何にも分かっていなかった……」
「いいや……キレイなものを見てキレイだと素直に言える事は、とても素晴らしいことだよ? それに本当に今日は嬉しかった……ああ、僕達が願っていた幸せな時代になったんだな~と思えてね……」
「そんな…………今日テレビでやってた終戦日追悼式のニュースの空襲の音を聞いて気付きました……花火の音とそっくりで、なんて残酷な音なんだろうって…………私のせいでトラウマを思い出させてしまってすみませんでした!」
「いいや……寧ろ今日は久し振りに花火が見られてよかったよ……それに君のおかげで色々思い出した。花火には元々『鎮魂』の願いが込められているんだ……それと……」
「それと何ですか?」
「実は僕は昔、特攻隊員でね……仲間達は本の暗号に想いを託したり、今まで隠していた思いを打ち明けたり、僕達の幸せを願いながら旅立ってしまったけれど……君のおかげで思い出したんだ。訓練していた基地が花火大会で有名な場所の近くで、いつか一緒に見たいなと思っていたこと…………今日は何だか同期の仲間と一緒に見られた気がしたよ、ありがとう」
「こちらこそ……ありがとうございます」
篠田さんは涙を拭いて車を発進させた。
2004年11月15日……
ピンポーン
いつもの様に迎えに来た篠田さんが、私が玄関のドアを開けるなり言った。
「高田さん、今日は誕生日おめでとうございます! 今日は高田さんの誕生日会がありますからね~ケーキのデザインも私が考えたんです! 偶然、今月の誕生日会係で本当によかった」
デイサービスで皆にお祝いしてもらい、一人ぼっちで迎えるはずだった私の誕生日は賑やかな誕生日になった。
帰りの送迎も、いつもの様に篠田さんで……
「今日は本当におめでとうございます! これ……みんなには内緒の誕生日プレゼントです! 高田さんと奥様の話を聞いて作った歌なんですけど……」
渡されたカセットテープには『散歩道』という題名が書かれていた。
そして「うちが最後の送迎なら……」と家に誘って、一緒にその曲を聞いた。
~~~~~~~~~~
1、
いつも歌ってる 車イスのおばあさん
いつも照れている 幸せそうなおじいさん
何年時が経っても消えないものがある
シワシワの手は 働き者の証拠なの
ふたりで歩いてく この道はこれからも
遠くて短い 君が大好きな散歩道
2、
いつも笑ってる シワだらけのおじいさん
いつも眠ってる 幸せそうなおばあさん
忘れてしまっていても消えないものがある
シワシワの目は 幸せでいる証拠なの
ふたりで見る景色 高さだけ違うけど
ゆっくり進もう 君の大好きな散歩道
3、
いつも歌ってた 調子はずれおじいさん
いつも聞いていた 歌が大好きなおばあさん
見えなくなったとしても消えないものがある
笑うその目は 何度涙流したの?
ふたりでいる景色 永遠じゃないけれど
どこまでも歩こう 君の大好きな散歩道
かけがえのない散歩道
~~~~~~~~~~
私は歌を聞いている間、妻との思い出が走馬灯のように浮かび……思わず目頭が熱くなった。
聞きながら妻との昔話を思い出し……遺影の中の妻が微笑んでいる気がした。
「ありがとう、篠田さん……私達には子供がいなかったから、君のことを孫の……いや娘のように思っていたが…………この歌こそ、まるで私達の子供のようだ」
「こちらこそ、ありがとうございます……この歌は、高田さん夫妻のお話を聞かなければ最後まで作れませんでした……それに作りながら初めて作った『空を見上げて』って曲をなぜか思い出して……初心を忘れず色々頑張ろうって思えました」
「『空を見上げて』?」
「高校の時に初めて作った曲で、応募してみたら優秀賞を貰ったりしたんですけど……実はその曲ができたのは、ある絵を見て感動したからなんです! 私、中高一貫の女子校に通ってて高校に入学する前に高校の見学会があったんですけど、玄関に素敵な絵が飾ってあって思わず見とれてしまって……」
「へえ~どんな絵なんだい?」
「沢山の色んな種類の鳥達が空の太陽に向かって飛び立っている絵なんですけど、その中に一匹だけツバメがいるんです! 一番先頭の一番高い所に……」
「そ、れは……」
私は言葉を失った。
彼女が言っている絵は……
「入学してからもその絵が大好きで、絵の前で文化祭ライブの曲の相談をしてたら『翼になりたい』を私も歌うことになって……恥ずかしかったけど聞いてた人が泣いてくれて、本当に嬉しかったです」
「あの……君が行っていた高校ってもしかして……」
奇跡だと思った。
結局私は、その絵は私が描いたものだと言わなかったが……
そして私は昔、「僕の絵にはヒロみたいに人を感動させる力なんてない」と言った後の、ヒロの言葉を思い出した。
「大丈夫、お前は大丈夫だ!」
そして『未来を生きる君へ』の最後の文を思い出し……自分から投げ出さずに最後まで生きてみようと思った。
「今日は本当にありがとう……『空を見上げて』って曲、来年の誕生日に聞かせてもらえるかな?」
それを聞いた彼女は、妻に似た本当に嬉しそうな笑顔で頷いた。
その日の夜、私は布団の中で呟いた。
「そうだ……今度のあの子の誕生日に星の髪飾りをあげよう。幸せに生きていけるように、いつか困った時の道標となるように、いつかあの子を守ってくれるように、精一杯の願いを込めて……」
そして私は決意した。
ヒロに頼まれたけれど果たせていない約束を、今度の純子の誕生日に実行しようと……