滞りなく卒業式が終わり、解散となった。杏実は生徒会室に向かった。
生徒会長の引き戸は建て付けが悪く、重たい。いつもガタガタと鳴ってからようやくレールの上に乗る感じだ。でも今日は違った。スムーズに開いた。誰か先に戸を開けた人がいるのだろうと思った。
音に反応して振り返った顔を見て、杏実は自然と笑顔がこぼれた。
「やっぱり水谷先輩でしたか」
「なんとなく名残惜しくて。明日から急にここに来なくなるんだと思うと、不思議な気分だよ」
「生徒会室どころか、学校もですよ。間違って登校してこないでくださいね」
「そうだね」
水谷が肩をすくめた。
「そういえば、先輩のおかげで送辞がうまくいきました。ありがとうございました」
深く頭を下げると、呆れたようにため息をつかれた。
「僕をネタに使うなら言ってくれよ。答辞が吹っ飛びそうだったよ!」
「またまた! 入学式のスピーチとは別人だったじゃないですか」
「清野さんのおかげだよ」
「え?」
顔を上げると、水谷が慈愛に満ちた目で杏実を見ていた。
「清野さんが、苦手に立ち向かって自分を好きになりたいと努力してるのを見て、僕もこのままではだめだと思えたんだ。ありがとう」
急に身体がかあっと熱くなる。動悸が早くなる。窓際に立つ水谷が逆光で輝いていた。きれいで、かっこよくて、尊敬できる先輩。
これはきっと。いや、絶対に――。
唇を舌で湿らせ、乾いた口内からわずかに声を絞り出した。
「水谷先輩。『たぶん』じゃなくなった、って言ったらどうします?」
水谷は、まばたきを繰り返しながらも、杏実から目をそらさなかった。
「送辞の内容を考えている間、ずっと先輩の顔を思い浮かべていました。『たぶん』じゃなくなりました」
「そっか」
予想外にそっけない返事が返ってきた。こめかみが脈打っているのを感じた。いつもの倍くらいペースが早い。
「先輩はどうですか?」
意味が通じているのか確かめたくて、そう尋ねる。
「たぶん、『たぶん』じゃなくなったよ」
「どっちなんですか」
杏実の口から笑い声が漏れた。水谷を見ると、引き締まった緊張感の漂う顔をしていた。杏実もつられて真面目な表情になる。
「僕は今月末にはこの街を出て、一人暮らしする。遠距離になるよ。それでもいいの?」
今度は不安げな表情。なんだか今日はこれまでにないくらい、いろんな種類の表情を見せてくれる。卒業したら気軽に会えなくなるということも関係しているのだろうか。
それなら、杏実もそうしようと思った。今までに一度も水谷に見せてこなかった一面を見せよう。引かれてもいい。連絡を取り合わない限り、もう会えないのだから。
水谷の腰に両腕を回して、抱きついた。
「いいです。覚悟してます」
胸元で声を張った。そのまま体を近づけると、腹にかたい感触があった。ブレザーのボタンだろうと杏実は思う。
そういえば、水谷の制服は綺麗にボタンが残っていた。イケメンだからモテると思っていたが、誰も「欲しい」と言う人はいなかったのだろうか。それとも、杏実にプレゼントするために残しておいてくれたのだろうか……などと考えるのは自意識過剰だろうか。
「大胆だなあ」
頭の上で水谷が笑った。今更恥ずかしさが押し寄せてきて、顔が上げられなかった。
「引っ込み思案な私からは卒業しましたから」
「そう。じゃあ、こっちも卒業しようか」
「こっち?」
杏実の両肩に水谷の手が乗せられ、驚いて体を起こすと、至近距離に水谷の顔がある。
「片想い」
そう囁かれ、唇が降りてきた。
軽く触れ合うだけのキス。
窓から差し込む西陽が温かい。柔らかなオレンジ色の光に包まれて、ふわりと心が浮いた。
「杏実さん、好きです。付き合ってください」
大きく息を吸い込む。
「もちろんです。慎之介さん」
生徒会室は青春の匂いがした。
生徒会長の引き戸は建て付けが悪く、重たい。いつもガタガタと鳴ってからようやくレールの上に乗る感じだ。でも今日は違った。スムーズに開いた。誰か先に戸を開けた人がいるのだろうと思った。
音に反応して振り返った顔を見て、杏実は自然と笑顔がこぼれた。
「やっぱり水谷先輩でしたか」
「なんとなく名残惜しくて。明日から急にここに来なくなるんだと思うと、不思議な気分だよ」
「生徒会室どころか、学校もですよ。間違って登校してこないでくださいね」
「そうだね」
水谷が肩をすくめた。
「そういえば、先輩のおかげで送辞がうまくいきました。ありがとうございました」
深く頭を下げると、呆れたようにため息をつかれた。
「僕をネタに使うなら言ってくれよ。答辞が吹っ飛びそうだったよ!」
「またまた! 入学式のスピーチとは別人だったじゃないですか」
「清野さんのおかげだよ」
「え?」
顔を上げると、水谷が慈愛に満ちた目で杏実を見ていた。
「清野さんが、苦手に立ち向かって自分を好きになりたいと努力してるのを見て、僕もこのままではだめだと思えたんだ。ありがとう」
急に身体がかあっと熱くなる。動悸が早くなる。窓際に立つ水谷が逆光で輝いていた。きれいで、かっこよくて、尊敬できる先輩。
これはきっと。いや、絶対に――。
唇を舌で湿らせ、乾いた口内からわずかに声を絞り出した。
「水谷先輩。『たぶん』じゃなくなった、って言ったらどうします?」
水谷は、まばたきを繰り返しながらも、杏実から目をそらさなかった。
「送辞の内容を考えている間、ずっと先輩の顔を思い浮かべていました。『たぶん』じゃなくなりました」
「そっか」
予想外にそっけない返事が返ってきた。こめかみが脈打っているのを感じた。いつもの倍くらいペースが早い。
「先輩はどうですか?」
意味が通じているのか確かめたくて、そう尋ねる。
「たぶん、『たぶん』じゃなくなったよ」
「どっちなんですか」
杏実の口から笑い声が漏れた。水谷を見ると、引き締まった緊張感の漂う顔をしていた。杏実もつられて真面目な表情になる。
「僕は今月末にはこの街を出て、一人暮らしする。遠距離になるよ。それでもいいの?」
今度は不安げな表情。なんだか今日はこれまでにないくらい、いろんな種類の表情を見せてくれる。卒業したら気軽に会えなくなるということも関係しているのだろうか。
それなら、杏実もそうしようと思った。今までに一度も水谷に見せてこなかった一面を見せよう。引かれてもいい。連絡を取り合わない限り、もう会えないのだから。
水谷の腰に両腕を回して、抱きついた。
「いいです。覚悟してます」
胸元で声を張った。そのまま体を近づけると、腹にかたい感触があった。ブレザーのボタンだろうと杏実は思う。
そういえば、水谷の制服は綺麗にボタンが残っていた。イケメンだからモテると思っていたが、誰も「欲しい」と言う人はいなかったのだろうか。それとも、杏実にプレゼントするために残しておいてくれたのだろうか……などと考えるのは自意識過剰だろうか。
「大胆だなあ」
頭の上で水谷が笑った。今更恥ずかしさが押し寄せてきて、顔が上げられなかった。
「引っ込み思案な私からは卒業しましたから」
「そう。じゃあ、こっちも卒業しようか」
「こっち?」
杏実の両肩に水谷の手が乗せられ、驚いて体を起こすと、至近距離に水谷の顔がある。
「片想い」
そう囁かれ、唇が降りてきた。
軽く触れ合うだけのキス。
窓から差し込む西陽が温かい。柔らかなオレンジ色の光に包まれて、ふわりと心が浮いた。
「杏実さん、好きです。付き合ってください」
大きく息を吸い込む。
「もちろんです。慎之介さん」
生徒会室は青春の匂いがした。