季節はめぐり、三月になった。冷えた体育館に進行役の先生の声が響く。
「在校生代表送辞。次期生徒会長、清野杏実」
「はい」
 杏実は椅子から立ち上がり、三方向に会釈してからステージに上がった。
 足は震えていない。練習も十二分にした。脈拍は正常だった。
 杏実は、マイクの位置を調整してから、用意してきた送辞を読み始めた。

「厳しい寒さがやわらぎ、校庭の木々の蕾は膨らみ始めました。春がすぐ近くまで来ていることを感じます。三年生の皆様、ご卒業おめでとうございます。実は今、すごく緊張しています……と原稿には書きましたが、不思議と落ち着いた気持ちです。選挙の際にも言いましたが、私は人前に立つのが苦手でした。今年度の入学式で、水谷会長の挨拶を聞いて『私には絶対に無理』と思いました。でもこうやって、壇上に立ち、在校生代表として送辞を述べています。『絶対』なんてことはないのだ、と教えてもらった出来事でした」
 一旦言葉を切って、周りを見回した。たくさんの目が自分を向いている。でも、怖くなかった。
「皆様、記憶にあるかと思いますが、去年の入学式の祝辞はとてもすごかったですよね」
 どっと笑い声が起こった。先生も笑いをこらえているのが見える。
「あれと比べたら、何も怖いことはありません。水谷会長のおかげで、私は緊張せず、落ち着いてこうやって壇上に立てています。水谷先輩に感謝ですね。先輩から教わったことで一番印象に残っているのは、『得意なことを見つけて伸ばし、苦手なことは無理に克服しようとせず、得意な人を見つけてやってもらえばいい』という言葉です。でも私は、苦手なことも克服したいと思いました。なぜなら、苦手があることによって、自分を好きになれなかったからです。だから敢えて、人前に立つ機会が多い生徒会長に立候補しました。生徒会長に選ばれて、気づいたことがあります。それは、周りの存在の大きさです。水谷先輩、桧山先輩を始めとして、先輩方が伝統を作り上げ、守ってきたからこそ、今の私たちがあるのだと痛感しました。先輩方の背中を目標に、この学校を背負うものとして精一杯生徒会長を務めていきます。どうぞ安心して卒業してください。在校生代表、清野杏実」
 一礼する。今までに浴びたことのない、拍手のシャワーだった。今になって足の震えがやってきた。
 おゆうぎ会では浴びることのできなかった拍手だ。
 杏実は、今の自分を誇らしく思った。
「卒業生代表答辞。生徒会長、水谷慎之介」
「はい」
 杏実と入れ替わりで水谷がステージに上がった。
「日差しはやわらかくなり、春の訪れを感じるようになりました。本日は、私たちのためにこのような式を挙行してくださり、心より感謝申し上げます。ご多用のところ、ご臨席いただきました皆様に、卒業生一同を代表し、厚く御礼申し上げます」
 入学式とは別人のように落ち着いている。驚いていたのは杏実だけではないようで、少しざわついたが、すぐにおさまった。水谷の話に引き込まれていったのだ。
「――二年生の時も思い出はありますが、私にとって、今年一年間は、高校生活の中でも一番と言っても過言ではないくらい、充実した一年でした。生徒会長に選ばれ、最初は不安でした。皆様は更に不安だったことでしょう」
 爆笑が起こった。
「一年をかけて、僕はようやく生徒会長になれたような気がします。皆様の支えがあってのことです。本当にありがとうございました。そして、先程の送辞を聞いて、次期生徒会長に安心して任せられると思いました。皆様もそう思いますよね?」
 自然発生的な拍手。
「清野杏実さん。僕は卒業しますが、バトンを受け取ってくれますか」
 水谷が壇上で腕を前に突き出した。視線も腕も、杏実に向けられている。杏実はその場に立って、声を張り上げた。
「もちろんです」
 思いの外響いて恥ずかしかったが、自分の仕事を会長に認めてもらえた嬉しさがそれをかき消してくれた。高揚感で身体が軽い。今ならどこまでも走っていけそうな気がした