追いかけるような真似を、僕はしなかった。しばらくベンチに座り景色を眺めて、一五分くらいしてから立って駐車場を目指した。この分だと、家に着く直前で日が沈みそうだ。少しは自転車を降りて歩かなくてはならないだろう。もっとも、瑠夏の精神的苦痛に比べれば、僕に生じた損害などあってないようなものだ。僕は一キロもない道を自転車と共に歩けば、あとはいつも通りの日常。一方で金城瑠夏は、これから最低でも数日は今日の一件を引きずるはずだ。あの様子だと、数日では済まないかもしれない。
 僕は正直に言って、後悔のような感情を胸に抱えていた。まさか、わかりやすく泣かれて逃げられるとは想ってもみなかった。大人しくて静かな性格をしている瑠夏が振り絞った勇気は、常人のそれと比べて規模の大きなものなのかもしれない。となれば、振り絞った勇気が無駄になったと知った時のショックは、僕が思うより大きくなるはずだ。
 だが、僕だって考えて伝えた。それだけは間違いがない。瑠夏には申し訳ないし、本来なら謝るべきだったのかもしれない。
 ふと、胸中に何か嫌な、ドロドロとした感情が芽生えているのに気がついた。形を持たないが、はっきりと不快になる感情が自分の中の、直に触れない部分で確かに渦巻いている。取り出したり、消し去ったりするのは容易ではない。
 そんな感情に促されるまま、僕は道に落ちていた小さな石を蹴った。石はピンポン玉ほどの大きさで、僕に蹴られて吹き飛んで、草むらの中に消えた。もう一度蹴りたかった僕は、たった一回で終了した石蹴りで余計に気分を害した。
 正体不明の感情を胸に抱えたまま駐車場に辿り着くと、ちょうど僕がやってきたタイミングで一台の空色の軽自動車が駐車場を出て行った。
 右折して車道に出た時、僕は何故か運転席の方に視線をやった。運転していたのは、名前を知らない、見覚えのある中年の女性だった。
 どこで見かけたのか思い出すのに、時間は要らなかった。この公園に来る道中、僕のすぐ近くで信号待ちをしていた車の運転手だ。
 僕は殆ど無意識のうちに、後部座席の方に視線を移した。さっき中年女性は、車内で誰かと話をしていたはずだ。
 信号待ちの時には見逃した、後部座席に座る何者か。その正体を目撃して、心臓が止まる思いがした。そこにいたのは、金城瑠夏だった。あの運転手は、順当に考えれば瑠夏の母親というわけだ。
 金城瑠夏の母親は、或いは僕を探して街中を運転していたのかもしれない。瑠夏に頼まれて、僕を追っていたのかもしれない。ここを訪れているのだから、可能性は大いにある。
 今頃瑠夏は、母親に何を言われているのだろうか。優しそうな顔をした女性だったから「よく頑張った」と慰めの言葉をかけてもらっているかもしれない。きっとそうだろう。
 僕は衝撃に全身を包まれながら、自転車に跨った。