夕方の風が、涙を冷やす。
(ここは心地いい。私を白い目で見る人は誰もいないし……)
 花の上を飛び交う虫。草原を進む動物の群れ。
(あらゆる生命が結ばれ合い、命を育んでいる)
 ヒトも昔は、この中の一部だった。今では到底考えられないことだが。
(どんな気持ちだろう。機械に頼らず、自分自身の体で命を繋いでゆくというのは)
 ヒト科のオスが絶滅した今、私たちにそれを知るすべはないけれど。

 その時だった。轟音と共に、地面が大きく揺れた。
 鳥が一斉に枝から飛び立ち、動物たちは右往左往する。
(地震?)
 私は身を固くし、辺りを見回す。ふと、空の一部の色がおかしいことに気付いた。
(え?)
 珊瑚色の空の一部が、四角く切り抜かれたように黒くなっている。更に数ヶ所、色が反転し虹色のノイズが走っていた。
「なにこれ……」
 やがてめりめりと音を立て、真っ黒な部分から何かが姿を現す。それは船の舳先(へさき)のように見えた
「きゃあああっ!」






 同時刻。
 中央管理局のコントロールルームではけたたましい警報が鳴り響いていた。

『緊急事態発生! 緊急事態発生!』
『区画D自然保護区エリア3に大型の異物が突入! ドーム天井を破損した模様!』

 厳めしい制服を纏った室長が眉間にしわを寄せ、声を上げる。
「各所に連絡、ただちに調査へ向かわせろ! 場所は自然保護区エリア3だ!」






 目の前の異様な光景を、私は理解できず、ただ見つめていた。
(何、これ……)
 さっきまで珊瑚色だった空はあちこちに黒い四角形が浮き出し、それ以外の部分には虹色のノイズが走っている。空には大きな裂け目が生じ、その向こうには別の空が覗いていた。
 その裂け目から落ちてきたのは。
(う、宇宙船!? それに、空の向こうに空!?)
 情報を処理しきれず呆然となる私の目前で、船のハッチが大きく開く。
(な……!)
 姿を現したのは、獣頭人身の生き物だった。
「あっちゃ~」
 コリーのような頭の生物はガリガリと頭を掻く。その口から飛び出したのは、とても低いが甘い魅力的な声だった。
「まずいことになっちまったな。天井バッキバキ」
(犬……の形の宇宙人!? まるでおとぎ話に出てくるビーストだわ!)
 口元のインカムは、翻訳機だろうか。仕立ての良さげなスーツが印象的だ。
「だから幾度も申し上げたでしょう、社長」
 続いて、黒猫に似た頭部の生物がしなやかな足取りで出て来た。艶やかな黒い獣毛に覆われた指が、銀縁の眼鏡をそっと押し上げる。
「舵を切るときは慎重に、と!」
 その鋭くも低い声に、思わず身をすくめる。本能的に恐怖を感じ取った。
(社長? あのコリーみたいな人が社長なのかな)
 更に、ヤモリそっくりの頭を持ったツナギ姿の生物が現れる。
「過ぎたことをとやかく言っても仕方ない。補償について考えよう」
 最後に軽やかな足取りで、ウサギっぽい頭の小柄で白い生物が飛び出してくる。
「ここの責任者を探して、謝んなきゃね~」
(みんな、唸る様な低い声。少し怖い気がするのに、なぜか体の奥をビリビリと震わせる、甘い響きを感じる……)

 四人は地面へ足を降ろす。
「すげぇな、ここ。地球の自然界を見事に再現してんぞ」
「風も気持ちいい! 草の匂い、最高!」
 伸びをする犬型獣人の側で、兎型獣人が嬉しそうにはねる。そこへヤモリ型獣人と猫型獣人が歩み寄りながら辺りを見回す。
「虫や鳥、魚もいる。大掛かりなビオトープのようなものか?」
「高度な技術によって作り上げられていますね」
 そう言って猫型獣人は、額に手を当てため息をついた。
「賠償額を想像するだけで胃が痛みます」
「ん?」
 ヤモリ型獣人のペリドット色の目がこちらを向いた。
(え?)
「社長、あそこに人が」
 闖入者たちが一斉にこちらへ首を巡らす。
(見つかった……!)