一足早く受験戦争を離脱した僕たちは、残りの高校生活を各々のライフワークに捧げた。僕は部活を引退しなかったし、春香はレッスンの日数を増やしたらしい。
 十月になると、春香はドラマの撮影が忙しくなり学校にはほとんど来なくなった。僕はただの友達。連絡する正当な理由がなかった。

 僕の隣にいるときの春香は普通の女の子なのに、春香がいない時に聞こえる噂話は女優としてのことばかり。

「折笠春香、卒業後はハリウッドデビューか? だってさ」

 真偽不明のネットニュースの記事についてクラスメイトは噂していた。寝耳に水だった。僕は当時、春香が出ている映画やドラマのタイトルもその役名も知らなかった。

 当たり前だけど、変わらないものなんてない。いつか、僕は春香の傍にいられなくなる。ただの友達は卒業して接点がなくなればそれで終わり。そんな現実を突きつけられた気がした。

「なあ、僕はどうするべきだと思う?」

 返事をしてくれない金魚に問いかける。

 クラスの有志で行われるクリスマス会も、忘年会も日程調整アンケートの欠席に丸をつけた春香。きっと、こうして会えないことが増えていくのだろう。繋がりが少しずつ薄れていく。そんなのは耐えられなかった。

 僕の中で答えは決まっていた。一世一代の勇気を出して、春香の予定が空いている日に呼び出した。

 インターネットで検索したテンプレートのプランを参考に、ごくありふれたデートをした後に、曇り空の下、川沿いを散歩する。凍っていないのが不思議なくらいに冷たい水が音を立てて流れている。隣を歩く春香の髪はバニラの香りがした。

「あのさ」

 僕は立ち止まって切り出す。何もかもが初めての恋だったから、告白の作法なんて分からなかった。

「僕は、春香が好きだ。ずっと好きだった。僕と、付き合ってください」

 春香はとても驚いた顔をしていた。心臓が壊れそうなほどドキドキしていた。返事が怖くて目を逸らした。

「大樹以外の人に告白された時は、いつも聞いてるんだ。君が好きなのは、私? それとも女優としての私? って」

「そんなの、決まってるだろ! 僕は今ここにいる春香が好きなんだよ!」

 僕が思わず声を張り上げると、春香は微笑んだ。

「うん。みんなが女優としての折笠春香しか見てなくても、大樹だけは私のこと普通の女の子として扱ってくれた」

 優しい風が雲を掃い、太陽の光が差し込む。

「みんな、私に華やかなクリームソーダを求めてる。でも、大樹の前ではありのままの私でいられた。大樹の前では、水でいられたんだ」

 川の水面が陽光を反射して煌めく。それは、着色料で染められたエメラルド色の飲み物よりもずっと美しく感じられた。

「私も、大樹が好きだよ」

 僕の人生の中で一番幸せだった季節が始まる。