折笠春香と僕が出会ったのは、僕たちがまだ制服のブレザーに身を包んでいた高校二年生の頃だった。学校を休みがちな美人。それが彼女の第一印象だった。

 オーラが違うとは彼女のことを言うのだろう。どこにいても目立つ。常に周りにはたくさんの友達がいる。水泳一筋で生きてきた僕とは住む世界の違う人間だった。

 交わるはずのなかった僕らの人生が交わったのは、二学期のこと。彼女の欠席中に行われた席替えのくじ引きがきっかけだった。僕と隣の席になって三日後に彼女は登校してきた。その日は小雨がぱらついていた。昼休み、服や髪が濡れるのにも構わず、彼女は友人たちと校庭でバレーボールを楽しんでいた。

「病み上がりなのに無理しない方がいいんじゃない?」

 僕のお節介に彼女は驚いたような顔をした。

「病気じゃないから大丈夫だよ。心遣いありがとう。増川君、優しいんだね」

 そう言った彼女の笑顔は眩しかった。これが彼女との初会話。接点が全くなかった僕の名前を憶えてくれていた。

 彼女はその後もたびたび学校を休んだ。遅刻や早退もしばしばあった。隣の席のよしみで休んだ日のノートのコピーを渡すようになった。

「ありがとう。すごく助かるよ。増川君、字綺麗だね」

 彼女とは雑談を交わすことが増えたが、彼女の事情に踏み込むことはしなかった。彼女の欠席が病気によるものなのか人間関係によるものなのか、当時の僕には予想がつかなかった。水泳のことでいつも頭がいっぱいだった僕は極端にクラスの人間関係模様に疎かったからだ。

 同じスポーツに打ち込むにしても、僕がもし仲間とともに汗を流す高校球児だったなら、チームメイトとともにワールドカップを目指すサッカー少年だったなら何かが変わっていたのだろうか。水泳のような個人競技ではなく、団体競技に励んでいればもう少し社会性が身についていたかもしれないと今更ながら思う。そうしたら、今とは違う未来があったのだろうか。

 しばらくしてまた彼女は学校を休んだ。水泳部の休憩時間に、女子部員の本宮京子に探りを入れてみる。本宮は以前春香と親しくしているのを見たことがあったからだ。

「折笠って、よく休んでるけど体弱いの?」

 本宮は僕の発言を聞いて、驚いた後大笑いし始めた。

「増川、やばすぎ! 折笠春香を知らないのはさすがに天然記念物。うちで飼ってるハムスターより世間に疎いって!」

 僕の質問を無視して笑い転げている本宮に少しイラっとした。

「春香は芸能人だよ。それも超有名女優! 今やってるドラマとか映画にも出てるし、最近はバラエティ番組にゲストで出てることも多いよ。ずっと子役やってて、うちらが小学校の時にもさ……」

 本宮はドラマのタイトルらしきものを列挙したが、どれも僕の知らないものだった。その後、僕は特に折笠春香の出演番組をチェックすることもなく変わらない日常を過ごした。

 しかし後日、春香が再び登校してきた時は非礼を詫びた。

「この間はごめん、失礼なこと言って。折笠が芸能活動頑張ってるのに、それ知らなくて」

 水泳に人生を捧げてきた僕以上に、彼女が懸けてきた芸能活動。それを知らなかったとはいえ軽視するような発言をしてしまった。僕は頭を下げた。

「えー、全然気にしてないのに。増川君、律儀だね」

 春香はあどけない顔で笑った。

「水泳、頑張ってるんでしょ? お互い頑張ろう」

 打ち込んでいるものは違えど、青春の全てをひとつのものに懸けている者同士、僕たちは通じ合うものがあった。しかし、僕は彼女に水泳の話をすることはなかった。当時僕はスランプ気味で、それを女子に話すことは男のプライドが許さなかったからだ。

 春香は他の人と芸能界の話で盛り上がっていたが、僕には仕事の話をすることはなかった。僕は相変わらず彼女の出演番組をチェックする暇もなく水泳のタイムを百分の一秒縮めることに時間を注いでいた。だから僕は彼女を芸能人として特別扱いすることもなかった。

 休み時間に交わす二、三言の会話は僕にとっての安らぎだった。頭のモヤモヤがなくなると、体も軽くなったような気がした。気づけば僕はスランプを脱出していた。

 僕たちが話していた内容は、休みの日にお父さんが渓流釣りに連れて行ってくれたとか、おばあちゃんが関西に住んでいるだとかそんな他愛のない話ばかり。それは僕らの距離を確実に近いものにしていった。