「磯崎、ふざけるのはやめなさい」

先生の目が険しくなり、亜子の額から手を離した。
先生の声色から、怒りを感じる。

「まだ信じられない? あの日、山田はアタシのメールで屋上に来てくれた。
パーマかけて茶髪にして、前髪伸ばしてたアンタが、随分真面目になったね。
頼んでおいた売店のピザパンとアロエジュース、買っといてくれた?」

ヤマテツの動きが止まる。
さっきまで亜子を訝しんでいた先生の目に力がこめられた。

「何で、それを……」

「だから、花だってば。亜子の身体借りてるの」

「花……本当に花なのか?」

先生は手を口に当て、その場に力なく座り込んだ。

「うん。花だよ。あのね、あのとき、アタシ山田にちゃんと伝えてなかったことがある。」

「ごめん、花」

先生はゆっくり立ち上がり、亜子の両肩に手を乗せ、グッと引き寄せた。
汗とムスク系の柔軟剤の匂いが混じった香りがする。
黒のポロシャツ越しに先生の体温が伝わって、鼓動が早送りされる。

「何? またアタシ何も言ってないのにフラれんの?」

ドキドキしているのがバレないように、花は亜子の言葉をあやつり、半ばあきれたような声で冗談めかして軽口をたたく。

「違う。あのとき、俺がちゃんと自分の気持ち伝えていれば。
花は落ちなくて済んだかもしれないって思ってずっと後悔してて……」

先生は、弱弱しく肩を震わせた。

「じゃあ何であのとき『ごめん』って言ったの? アタシ、フラれて山田との関係が変わっちゃうのが嫌で、必死に告白取り消したよ」

「聞いてくれ。俺、ガキだったから女から告白させるなんてカッコ悪いって思ってた。
それで、花の告白を遮った。本当にごめん」

先生は、花をフッたわけではなかった。
その真実は亜子を安堵させると同時に、チクリと刺した。

「こんなちっぽけなガキのプライドで花を傷つけて、そして失って。
俺はバカだよ。もし、ゆるされるなら、花に謝りたい」

先生は腕に力を込めた。

「山田! 全然大丈夫だよ。アタシ怒ってないよ。顔あげて」

愛おしい、という花のあたたかい気持ちが亜子を満たした。花は亜子の両手を動かし、先生の頬を包み込む。
弾力の衰えた頬に、ザラザラとしたヒゲそりあとの感覚。
頬は涙でぬれていて、手のひらをしめらす。

「山田、アタシは山田が好きです」

「花、俺もあのとき花のこと好きだった」