六月に入っても、美加の生活に然したる変化はなかった。担任の教師が何度かアパートを訪れ、クラスメイトからも手紙が送られてきたが、すべて無視した。みんな気に掛けているふうを装っているだけで、本音はさっさと退学なり転校なりしてもらいたいのだと彼女は思った。そうやって塞ぎ込みながら不登校を続ければ続けるほど、積み重なった時間の重さに押しつぶされそうになり、ますます塞ぎ込むという悪循環を繰り返した。
そんな中でも、彼女の心の針をわずかにプラス側に振れさせてくれるのが、月曜日と木曜日に聞こえてくる、あの作業員のほんの数秒間の声だった。
そもそも「オーライ」って何だ?「往来」の「オーライ」?それとも「オールライト」の略?そんなことに関心をもつだけでも、まだ自分に残されているわずかな余裕を感じ、ほっとできたのだ。
月末が近づき、鬱屈とした空模様の日が増え始めた頃、美加は掛け声に、微妙に言葉とトーンが異なる二つの言い回しがあることに気づいた。
基本は、
「オーライ、オーライ、オーライ、ハーイ、オッケーー」
なのだが、何回かに一回の割合で
「オライ、オライ、オライ、ハーイ、オッケーデス」
となるのだ。「デス」が付いたときの声は早口で、意識して声量を抑えているようにも感じられた。美加は最初、二人の作業員の、声掛けの癖による違いかなと思った。けれども響きのいい声質自体はどちらにも共通していて、別人のものとは思えなかった。そのことに気づいてから、より注意深く掛け声に耳を傾けるようにしたが、やはり声の主は同一人物で、言い回しもその二つ以外のパターンは聞かれなかった。
何か意味があって使い分けている?
美加は形だけ教科書を並べた勉強机に向かいながら、あれこれと理由を考えた。運転手が目上の人の時に、丁寧語になっているのかもしれない。あるいは収集するごみの量が関係している可能性もある。量の多い日には、気持ち早口になったりするとか……。けれども二つの言い回しにかかる秒数は、結局のところほとんど変わらない。もしかして、何かのゲン担ぎで言い回しを変えていたりして……。
数日間、気がつくとだらだらと考え続けていた。ある晩、はっきりした語尾の違いである「デス」の有無に注目して、何気なく美加はデス、デス、デスと何度も呪文のように唱えた。
「death」
ふと、そんな単語が浮かんだ。
「OK death」?「死」がオッケーってこと?それじゃ、まるで『死神の囁き』だ。
美加は、くだらないうえに不吉な駄洒落を思い浮かべた自分に呆れ、たまらずベッドに倒れ込んだ。湿気を含んだマットレスが沼のような不快さに満ちていて、案外、ふらりと枕元に死神が現れても不思議でないような気がした。
翌日、いつものとおり母が出かけていくと、美加は母親が家で使っている古いノートパソコンを開いた。パスワードが「mika」なのは知っていたから時々こっそり使わせてもらっていた。
画面に向かった美加は、差し当たりこの数カ月の、月曜と木曜に起きた国内の事故や事件のニュースを調べてみることにした。
いくつかの新聞社のサイトへ行き、過去の記事の見出しを見ていく。クルマの暴走や火災、自殺、強盗、家庭内暴力、通り魔、ストーカー等々で毎日のように人が死んでいる。考えてみれば、交通事故だけでも年間四千人近くが死んでいるのだ。一日あたり十数人。ニュースが途切れないのは当たり前だった。
死にたくないと思っていようがいまいが、そんなことはお構いなしに、不慮の死は毎日、確実に誰かのもとにやって来る。本当は、この世界には至る所に目に見えない無数の矢が飛び交っていて、皆、気づかないうちに紙一重でかわしながら生きているだけなのかもしれない。いっそ、その矢の一本に刺さって、わけもわからないうちに死ねればいいのになどと思いながら、美加は月、木の見出しの中で、死亡者の出ている事件や事故の数を紙に書き出していった。最低でも一日三件以上、多い時には六、七件がニュースに取り上げられていた。
二時間ほどかけ、ようやく昨日の月曜日の見出しまでたどり着いた。該当する件数はこれまでで一番多く、八件を数えた。昨日の掛け声は、たしか「デス」有だった。美加は三カ月分のメモ書きをもう一度見返した。
四月二日(木)三件
四月六日(月)四件
四月九日(木)三件
四月一三日(月)六件
四月一六日(木)四件
四月二〇日(月)五件
四月二三日(木)三件
四月二七日(月)五件
四月三〇日(木)四件
五月四日(月)六件
五月七日(木)三件
五月一一日(月)七件
五月一四日(木)四件
五月一八日(月)五件
五月二一日(木)三件
五月二五日(月)三件
五月二八日(木)四件
六月一日(月)五件
六月四日(木)三件
六月八日(月)八件
六月一三日(木)四件
六月二〇日(月)七件
六月二三日(木)三件
六月二七日(月)六件
例外はあるものの、概ね月曜日が木曜日の件数を上回っていた。
そういえば、「デス」有の掛け声は、いつも月曜日だったような気がする。
なぜならその声を聞く前に、このところ決まって母親の自転車のギィギィーというあのブレーキ音を聞いていたからだ。何カ月か前に母親が、週一でこの辺りの配達に回るのが水曜から月曜に変わったと話していたから、ブレーキ音とセットで聞こえていた「デス」有の掛け声は、必然的に月曜日のものであったはずなのだ。
月曜日、つまり、「デス」有の掛け声の日に、死亡件数が増えている?
『死神の囁き』などという思いつきを完全否定するために確かめに来たはずが、かえって不安を煽る材料を持ち帰る破目になってしまった。美加は、纏わりつく夕時の湿気を払いのけるように家路を急いだ。
二日後、待ち遠しくもあった木曜日がやって来た。母の配達はなく、自転車のブレーキ音は聞こえてこない。そして作業員の掛け声は、やはり「オーライ、オーライ、オーライ、ハーイ、オッケー」で、「デス」は無い。死神の気配など微塵も感じさせない爽やかな声だ。
カーテンを開けると、久しぶりに雲ひとつない青空が広がっている。かすかな風が頬にそよぎ、心地よい。
美加は、これ以上ばかげた妄想にとらわれるのはやめようと思った。たまたまこの数カ月、月曜日の死亡件数が多かっただけなのだ。他の曜日も調べてみたら、月曜日より多い曜日だって出てくるかもしれない。仮にもっと遡って調べた結果、やはり月曜日の件数が一番だったとしても、おそらくそれは休み明けの月曜日は自殺者が出やすいからであって、「デス」有の掛け声との因果関係など、到底導き出せるはずもない。
それらを無理やり結び付けようとするのは、相変わらず学校へ行かずに部屋でもがいている、後ろ向きな「気分」の仕業なのだ。美加は何度も自分にそう言い聞かせ、窓外の景色に少しでも「気分」を変えるきっかけを見つけようとした。すると雲一つない青空が、あまりにも単調すぎて、かえって作り物に見えた。美加は、合成撮影で使われるブルーバックの背景を思い浮かべた。
これから、想像もしなかった何かが、あのスペースにはめ込まれていくのかな?
美加は、気づかぬうちに、再び不吉な思考のスパイラルに連れ戻されていった。
そんな中でも、彼女の心の針をわずかにプラス側に振れさせてくれるのが、月曜日と木曜日に聞こえてくる、あの作業員のほんの数秒間の声だった。
そもそも「オーライ」って何だ?「往来」の「オーライ」?それとも「オールライト」の略?そんなことに関心をもつだけでも、まだ自分に残されているわずかな余裕を感じ、ほっとできたのだ。
月末が近づき、鬱屈とした空模様の日が増え始めた頃、美加は掛け声に、微妙に言葉とトーンが異なる二つの言い回しがあることに気づいた。
基本は、
「オーライ、オーライ、オーライ、ハーイ、オッケーー」
なのだが、何回かに一回の割合で
「オライ、オライ、オライ、ハーイ、オッケーデス」
となるのだ。「デス」が付いたときの声は早口で、意識して声量を抑えているようにも感じられた。美加は最初、二人の作業員の、声掛けの癖による違いかなと思った。けれども響きのいい声質自体はどちらにも共通していて、別人のものとは思えなかった。そのことに気づいてから、より注意深く掛け声に耳を傾けるようにしたが、やはり声の主は同一人物で、言い回しもその二つ以外のパターンは聞かれなかった。
何か意味があって使い分けている?
美加は形だけ教科書を並べた勉強机に向かいながら、あれこれと理由を考えた。運転手が目上の人の時に、丁寧語になっているのかもしれない。あるいは収集するごみの量が関係している可能性もある。量の多い日には、気持ち早口になったりするとか……。けれども二つの言い回しにかかる秒数は、結局のところほとんど変わらない。もしかして、何かのゲン担ぎで言い回しを変えていたりして……。
数日間、気がつくとだらだらと考え続けていた。ある晩、はっきりした語尾の違いである「デス」の有無に注目して、何気なく美加はデス、デス、デスと何度も呪文のように唱えた。
「death」
ふと、そんな単語が浮かんだ。
「OK death」?「死」がオッケーってこと?それじゃ、まるで『死神の囁き』だ。
美加は、くだらないうえに不吉な駄洒落を思い浮かべた自分に呆れ、たまらずベッドに倒れ込んだ。湿気を含んだマットレスが沼のような不快さに満ちていて、案外、ふらりと枕元に死神が現れても不思議でないような気がした。
翌日、いつものとおり母が出かけていくと、美加は母親が家で使っている古いノートパソコンを開いた。パスワードが「mika」なのは知っていたから時々こっそり使わせてもらっていた。
画面に向かった美加は、差し当たりこの数カ月の、月曜と木曜に起きた国内の事故や事件のニュースを調べてみることにした。
いくつかの新聞社のサイトへ行き、過去の記事の見出しを見ていく。クルマの暴走や火災、自殺、強盗、家庭内暴力、通り魔、ストーカー等々で毎日のように人が死んでいる。考えてみれば、交通事故だけでも年間四千人近くが死んでいるのだ。一日あたり十数人。ニュースが途切れないのは当たり前だった。
死にたくないと思っていようがいまいが、そんなことはお構いなしに、不慮の死は毎日、確実に誰かのもとにやって来る。本当は、この世界には至る所に目に見えない無数の矢が飛び交っていて、皆、気づかないうちに紙一重でかわしながら生きているだけなのかもしれない。いっそ、その矢の一本に刺さって、わけもわからないうちに死ねればいいのになどと思いながら、美加は月、木の見出しの中で、死亡者の出ている事件や事故の数を紙に書き出していった。最低でも一日三件以上、多い時には六、七件がニュースに取り上げられていた。
二時間ほどかけ、ようやく昨日の月曜日の見出しまでたどり着いた。該当する件数はこれまでで一番多く、八件を数えた。昨日の掛け声は、たしか「デス」有だった。美加は三カ月分のメモ書きをもう一度見返した。
四月二日(木)三件
四月六日(月)四件
四月九日(木)三件
四月一三日(月)六件
四月一六日(木)四件
四月二〇日(月)五件
四月二三日(木)三件
四月二七日(月)五件
四月三〇日(木)四件
五月四日(月)六件
五月七日(木)三件
五月一一日(月)七件
五月一四日(木)四件
五月一八日(月)五件
五月二一日(木)三件
五月二五日(月)三件
五月二八日(木)四件
六月一日(月)五件
六月四日(木)三件
六月八日(月)八件
六月一三日(木)四件
六月二〇日(月)七件
六月二三日(木)三件
六月二七日(月)六件
例外はあるものの、概ね月曜日が木曜日の件数を上回っていた。
そういえば、「デス」有の掛け声は、いつも月曜日だったような気がする。
なぜならその声を聞く前に、このところ決まって母親の自転車のギィギィーというあのブレーキ音を聞いていたからだ。何カ月か前に母親が、週一でこの辺りの配達に回るのが水曜から月曜に変わったと話していたから、ブレーキ音とセットで聞こえていた「デス」有の掛け声は、必然的に月曜日のものであったはずなのだ。
月曜日、つまり、「デス」有の掛け声の日に、死亡件数が増えている?
『死神の囁き』などという思いつきを完全否定するために確かめに来たはずが、かえって不安を煽る材料を持ち帰る破目になってしまった。美加は、纏わりつく夕時の湿気を払いのけるように家路を急いだ。
二日後、待ち遠しくもあった木曜日がやって来た。母の配達はなく、自転車のブレーキ音は聞こえてこない。そして作業員の掛け声は、やはり「オーライ、オーライ、オーライ、ハーイ、オッケー」で、「デス」は無い。死神の気配など微塵も感じさせない爽やかな声だ。
カーテンを開けると、久しぶりに雲ひとつない青空が広がっている。かすかな風が頬にそよぎ、心地よい。
美加は、これ以上ばかげた妄想にとらわれるのはやめようと思った。たまたまこの数カ月、月曜日の死亡件数が多かっただけなのだ。他の曜日も調べてみたら、月曜日より多い曜日だって出てくるかもしれない。仮にもっと遡って調べた結果、やはり月曜日の件数が一番だったとしても、おそらくそれは休み明けの月曜日は自殺者が出やすいからであって、「デス」有の掛け声との因果関係など、到底導き出せるはずもない。
それらを無理やり結び付けようとするのは、相変わらず学校へ行かずに部屋でもがいている、後ろ向きな「気分」の仕業なのだ。美加は何度も自分にそう言い聞かせ、窓外の景色に少しでも「気分」を変えるきっかけを見つけようとした。すると雲一つない青空が、あまりにも単調すぎて、かえって作り物に見えた。美加は、合成撮影で使われるブルーバックの背景を思い浮かべた。
これから、想像もしなかった何かが、あのスペースにはめ込まれていくのかな?
美加は、気づかぬうちに、再び不吉な思考のスパイラルに連れ戻されていった。