──幸福とは、朝の訪れに歓喜する者しか得られぬ特権である──
 どこかの偉人の格言風に、美加はつぶやいてみた。
 起き抜けからそんなふうに心満たされる人が、この世の中にどれだけいるというのだろう。たぶん、余命宣告の期日を過ぎても死なずに済んでいるがん患者か、あるいは大災害や大事故に巻き込まれて、命からがら逃げ延びた人くらいだ。今日を生きられるだけで幸せをかみしめることのできる人々。でもその人々の境遇はといえば、やっぱり不幸以外の何物でもない。
 つまり真に幸福であるためには、まず身をもって不幸を体感しなければならないのだ。それじゃあ、不幸を知れば必ず幸福を得られるかといえばそんなこともなくて、不幸な人々の中のごく一部が、お情けのように味わえるだけ。処刑される前に一本だけ吸わせてもらえる煙草みたいなものだ。そんな儚い幸せを得るために、消し去ることのできない絶望を引き受けなきゃならないなんて到底割りに合わない。だからみんな、幸福な人生なんかとっくに諦めて、不幸でも幸福でもない、そこそこ平穏な人生で良しとするわけだ──。
 太陽がその気配を感じさせるずっと前から目を覚ましていた美加は、分厚いカーテンの隙間から漏れ出した微かな光に気づくと、布団にくるまりながらいつものように耳を澄ました。
 新聞配達が小刻みにバイクを走らせる音。公園の立木の上を飛び回る烏たちの鳴き声。遠くから風に運ばれてくる始発電車の通過音。向かいの老夫婦宅がガラガラと勢いよく雨戸を開ける音。駐車場を出ていく軽トラックのエンジン音……。
 やがて時刻が八時を回り、表通りの通勤や通学に急ぐ足音が聞こえ始めると、美加は決まって胸が痛くなった。
 洗面所から、ドライヤーの控えめな送風音が聞こえるのもその頃だ。すでに美加の一日分の食事の用意を済ませている母は、ほんの数秒で髪を整え、玄関で一言「行ってくるね」と声をかけ出ていく。美加は返事をせず、カーテンを少し開ける。自転車で住宅街を駆けていくダウンジャケットの母を、二階の窓からじっと眺める。その姿が見えなくなると、再び布団に包まり、意識を音に集中する。すでに表通りの足音は無く、暫しの静寂が訪れる。そして九時を過ぎ十時になるまでのあいだに、静寂はあるものによって鮮やかに切り裂かれる。
「オーライ、オーライ、オーライ、ハーイ、オッケーー」
 ごみ収集作業員の掛け声だ。その声は、オペラ歌手のようによく通り、清々しく響き渡る。無駄に美しいとさえ美加は思う。そしてその声は、彼女の気持ちを少しだけ軽くしてくれる。ちっぽけな不幸を引き受けた代わりにもらった、ささやかなご褒美。  
 美加の住むアパートは、収集車が入って来ない路地の行き止まりに建っている。路地沿いの家々のためのゴミ置き場が表通りにあり、母親も収集日の朝そこへ出す(今朝も朝一番で出していったはずだ)。烏除けのネットが被せられた十数世帯分のゴミ袋を、作業員が伸びやかな掛け声とともにテキパキとした身のこなしで収集車へ放り込んでいく──。美加はいつもそんな光景を思い浮かべる。
 声を意識するようになったのは一カ月ほど前からで、毎週、月曜日と木曜日の可燃ごみの日に聞くことができた。美加は一度、窓からでは窺えない作業員がどんな人物なのか、確かめようとしたことがある。けれども、掛け声が聞こえてから慌てて表通りに駆けつけても、収集車はすでに次の集積所へ向かっていて、後ろ姿を見送るしかなかった。作業員は、運転手と車の外を走る二人で、「オーライ」と言っているのはもちろん運転手以外の二人のどちらかだけれど、作業着の背中を見ただけでは、どちらが掛け声の主かはわからずじまいだった。

 この四月で高校二年になった美加は、五月に入ってからずっと不登校を続けている。鉛色のゴールデンウィークは、いつになっても明けないままだ。理由は、彼女自身にもうまく説明できない。
 直接のきっかけは、二年生になっても何の部活にも入ろうとうとしない彼女を、新しいクラスメイトらが仲間はずれにしたことだ。誰に話しかけても無視され、誰からも話しかけて来なくなった。
 けれどもそれは些細なことで、本当の原因は、心のもっと奥深くに隠れているのを美加はわかっていた。以前から(おそらく中学生になる前から)、何かこの世界に言葉にはできない重しを感じていて、いよいよそれが耐えられる限界を超えてしまったのだ。
 母はシングルマザーで、美加は父親の顔を知らない。まだ大学生だった母が、美加を産む数カ月前に交通事故で亡くなったと聞かされた。母は想い出すと悲しくなるからと、家に父親の写真などは置かず、自分から話題にすることもなかった。美加は子供なりに母の気持ちを察し、父親について聞かないようにしていたし、気にすることもなかった。そうすることができたのも、母が、昼間は保険の外交員、夜はスーパーのレジ打ちと、休みなく働いて生活を支え、父親の分まで愛情を注ぎながら育ててくれたからだ。
 学生時代は演劇をやっていて、本気で役者を目指していたらしい。美加が小学生の学芸会で草の役しかもらえなかったときに、母は、笑っちゃうでしょ、と懐かしそうに話してくれたことがあった。
 今になって美加は思う。母はきっとその夢を叶えたかったはずだ。でも私がいたから諦めるしかなかったんだ、と。部活だって入りたいと言えば、なんとかやりくりして活動にかかる諸々の費用を捻出してくれたに違いない。けれども今は近所のクリーニング店で働いている母に、美加はこれ以上負担をかけたくなかった。週に一度、母が年季の入った自前の自転車でこの付近を配達して回る際に出す、ギィギィーというブレーキ音を聞く度に、そう思わずにはいられなくなったのだ。
 私なんて生まれて来ない方がよかったのかも。だって私のせいで、お母さんには自分の時間なんてまるでないのだから──。ひとたびそう考え出すと、何をしていても、自分が生きている限りは駄目なんだという八方塞がりの感覚に襲われた。漠然としていた重しの一端を自覚することが出来ても、それに対処する術が見つからなかった。困らせてはいけない母を不登校でますます困らせることになり、死にたいとも思った。けれども結局そうする勇気もなく、自己嫌悪だけが膨らんでいった。誰かと話すのが怖くなり、ほとんど部屋から出なくなった。
 それでも母はやさしかった。無理に学校へ行かなくてもいい、授業の分、家でちゃんと勉強していれば高校へだって行けるよ、と言って部屋の外からそっと彼女を見守った。美加は自分のふがいなさに一人めそめそと泣きながら、せめて勉強だけはしようと、部屋に散らばった教科書の一つを手に取っては、またすぐに放り投げた。来る日も来る日も、そんな毎日の繰り返しだった。