ゆっくりと前奏を弾き始めると、要先生が私の隣で静かに息を吸った。要先生の専門は声楽らしい。
要先生の透明感のあるテノールが、音楽室に響く。要先生の歌声は、冷たい音楽室の空気の中でも震えることなく、柔らかくて伸びやかだ。
伴奏をミスしないように気を付けながら、私は私だけが聞くことができる要先生の歌声に集中した。
卒業したあとも、先生の声を忘れたくないと思ったから。
「やっぱり、先生の歌は上手いですね」
二番のあとの短い伴奏を弾ききると、要先生を振り向く。
「ありがとう。もう、誰かの前で歌うこともないかと思ってた」
「また聞かせてください、先生の歌。卒業までに」
「気が向いたらね。あ、寒かったら適当にエアコンつけて」
音楽室に来てからずっとマフラーを巻いたままでいる私を見て、要先生がふっと笑う。
「ありがとうございます」
要先生に言われてエアコンをつけると、寒かった室内が少しずつ温まってくる。しばらくすると、部屋の温度は快適になり、手が温まってピアノも弾きやすくなった。
要先生にピアノ伴奏を何度か聞いてもらったあと、ふたりでおしゃべりしていると、いつのまにか最終下校の時間になる。