母がスリッパで階段を登ってくる音で目が覚める。一段一段確実に踏み締め、僕の部屋へと接近してくる足音。

「おーい、健大(けんた)。朝だよ〜! 朝ご飯準備したから早く下に降りてきて!」

 返事はせず、急いで下へと向かおうとしたが、一瞬頭を過ぎる違和感。

 僕は心配性なので、寝る前には必ずアラームが設定されているか何度も確かめてしまう。昨晩も確か寝る前に何度も確認した上、時間も間違えていないはず...

 それなのに一体どうして今日はアラームが鳴らなかったのだろう。

 普段と昨晩が違うことといえば、電話をしたことくらい...

「あっ!もしかして」

 ベッドの枕元に置かれた携帯の画面には、永木彩音の文字。それと、8時間46分の数字の羅列。

「これが原因か・・・」

 どうやら、寝落ち通話をしていたことで、普段鳴るはずのアラームが鳴らなかったらしい。理由はわからないが、考えられる理由として電話以外ないだろう。

 初めて8時間を超える電話をした気がする。今までの最高は2時間半くらいだったので、大幅な記録更新だ。

 嬉しいことでもないけれど...

「おーい。起きてる?」

 念の為彼女が起きているか確認するため、呼びかけてはみたものの返事はない。おそらくまだ夢の中を彷徨っているのだろう。

 無理やり起こすのも申し訳ないので、物音をたてないように静かに通話終了ボタンを押す。

 "トゥルン”という効果音とともに、通話が終了した。彼女とのトーク画面には8時間47分12秒と刻まれたメッセージだけが残っていた。

 繋がりが途絶えたことで、なぜか虚しさだけが部屋に残ってしまう。

「ちょっと! 早く降りて来なさい!」

「あ、今行くよ〜」

 すっかり母から呼び出されていたことを忘れてしまっていた。携帯をスウェットの左ポケットに入れて、自室を飛び出していく。

 僕の階段を降りる音は、母親とは違って比較的小さな音だった。