○
5年前、小学校の教室。小学3年生の私がいる。みんなの前で発表しようとして立っているが、声が出ない。黙ったままの私をみんなが見つめる。真っ赤になっている私。
「まっかっかだぜ」と男子の声。
周りからの笑い声。
……声が出ない、出ない、出ない。どうして、どうして。
喉が胸がギュッと固まって、息がまともに吸えなくなる。
ハハハハハハというみんなの笑い声が、頭の中にこだましては消える。
○
やがて夢は病室に変わった。4人部屋のベットでぐったり寝ているお父さんがいる。丸坊主姿で点滴を打っている。その腕は赤く腫れ痛々しい。小学生の私は、その傍でベットにぐったりもたれかかっていた。
「どうした? 元気ないな?」体を少し起こしたお父さんが声をかける。
「えっ」
「また、喋れなくなったのか?」
「ううん。大丈夫。大丈夫だよ」
「そうか、無理すんなよ」
お父さんが手を伸ばし、そっと私の頭に優しく乗せてくれる。
「……悔しいな」
「うん」
私は俯いてベットに顔を伏せた。
「うまく言えないけど。瑠璃は悪くない」
「うん」
「瑠璃は悪くないから」
「うん」
「お父さん、うまく言えないけど。瑠璃が辛いのも悔しいのもよく分かるから。瑠璃が頑張ってるのも、ちゃんとわかってるからな」
「うん」
「分かってるから。だから心配するな」
「うん」
「本当に大切な事は伝わる。だから諦めるな。お父さん信じてる」
「うん」
弱々しかったけど、優しい笑みを向けてくれたお父さん。
私も、つられて微笑み返した。
○
夢が、その日の病院の帰り道へと飛ぶ。駅前に飾られた大きな笹の葉。七夕の飾りがつけられて、数人の子供が皆楽しそうに短冊をつけている。小学生の私も「お父さんが早く良くなりますように」と書いた短冊をつけながら、お母さんに聞いた。
「お父さん、あんまり元気なかったね」
「そうね。今回の治療はちょっと大変だったから疲れてたのね」
ふいに、雑踏のなかから、優しくそして哀愁のある笛の音が聞こえてきた。見ると、ストリートパフォーマーがオーボエを演奏し始めた。私とお母さんは何気なく立ち止まり、その音色に耳を傾けた。
……綺麗な音色。少し寂しげだけど、柔らかくて温かい。
「私、この曲。聞いた事ある」
と言って何気なくお母さんを見ると、お母さんは静かに泣いていた。ハンカチで涙を拭っている。
「今度、お父さん個室に移るから、何か音楽でもかけようか」
「……うん」
私は、お母さんから目をそらし、オーボエ奏者を見つめた。お母さんに、何か言ってあげたかったけど、ギュッと心が締め付けられる様で、何も言えなかった。
心に響くオーボエの音色。その曲は「サリーガーデン」というアイルランドの民謡だった。その物悲しくも優しい音色が心に響く。旋律が空間を支配し、この一区画だけを、別世界へと連れて行く。不思議な懐かしさを感じる音色の中に、大切で優しい「過去」と「今」そして「未来」がゆっくり重なりあって溶けていく。
心が無防備になる。きっと、お母さんも同じ。
そんな無防備な心を、オーボエの音色が、深く温かく包み込んでくれる。
私もいつかオーボエを、この曲「サリーガーデン」を吹きたい。
誰かのために吹きたい。そう思った。
優しい旋律に、自分を潰して閉じこめた凍えた空間が溶けていく。安心した私はまた深い眠りに落ちた。
○
結局、救急車で運ばれたこの日は、先生の言ったようにお昼過ぎには体を動かせるようになって、お母さんとおばあちゃんに支えられながら家に帰った。
5年前、小学校の教室。小学3年生の私がいる。みんなの前で発表しようとして立っているが、声が出ない。黙ったままの私をみんなが見つめる。真っ赤になっている私。
「まっかっかだぜ」と男子の声。
周りからの笑い声。
……声が出ない、出ない、出ない。どうして、どうして。
喉が胸がギュッと固まって、息がまともに吸えなくなる。
ハハハハハハというみんなの笑い声が、頭の中にこだましては消える。
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やがて夢は病室に変わった。4人部屋のベットでぐったり寝ているお父さんがいる。丸坊主姿で点滴を打っている。その腕は赤く腫れ痛々しい。小学生の私は、その傍でベットにぐったりもたれかかっていた。
「どうした? 元気ないな?」体を少し起こしたお父さんが声をかける。
「えっ」
「また、喋れなくなったのか?」
「ううん。大丈夫。大丈夫だよ」
「そうか、無理すんなよ」
お父さんが手を伸ばし、そっと私の頭に優しく乗せてくれる。
「……悔しいな」
「うん」
私は俯いてベットに顔を伏せた。
「うまく言えないけど。瑠璃は悪くない」
「うん」
「瑠璃は悪くないから」
「うん」
「お父さん、うまく言えないけど。瑠璃が辛いのも悔しいのもよく分かるから。瑠璃が頑張ってるのも、ちゃんとわかってるからな」
「うん」
「分かってるから。だから心配するな」
「うん」
「本当に大切な事は伝わる。だから諦めるな。お父さん信じてる」
「うん」
弱々しかったけど、優しい笑みを向けてくれたお父さん。
私も、つられて微笑み返した。
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夢が、その日の病院の帰り道へと飛ぶ。駅前に飾られた大きな笹の葉。七夕の飾りがつけられて、数人の子供が皆楽しそうに短冊をつけている。小学生の私も「お父さんが早く良くなりますように」と書いた短冊をつけながら、お母さんに聞いた。
「お父さん、あんまり元気なかったね」
「そうね。今回の治療はちょっと大変だったから疲れてたのね」
ふいに、雑踏のなかから、優しくそして哀愁のある笛の音が聞こえてきた。見ると、ストリートパフォーマーがオーボエを演奏し始めた。私とお母さんは何気なく立ち止まり、その音色に耳を傾けた。
……綺麗な音色。少し寂しげだけど、柔らかくて温かい。
「私、この曲。聞いた事ある」
と言って何気なくお母さんを見ると、お母さんは静かに泣いていた。ハンカチで涙を拭っている。
「今度、お父さん個室に移るから、何か音楽でもかけようか」
「……うん」
私は、お母さんから目をそらし、オーボエ奏者を見つめた。お母さんに、何か言ってあげたかったけど、ギュッと心が締め付けられる様で、何も言えなかった。
心に響くオーボエの音色。その曲は「サリーガーデン」というアイルランドの民謡だった。その物悲しくも優しい音色が心に響く。旋律が空間を支配し、この一区画だけを、別世界へと連れて行く。不思議な懐かしさを感じる音色の中に、大切で優しい「過去」と「今」そして「未来」がゆっくり重なりあって溶けていく。
心が無防備になる。きっと、お母さんも同じ。
そんな無防備な心を、オーボエの音色が、深く温かく包み込んでくれる。
私もいつかオーボエを、この曲「サリーガーデン」を吹きたい。
誰かのために吹きたい。そう思った。
優しい旋律に、自分を潰して閉じこめた凍えた空間が溶けていく。安心した私はまた深い眠りに落ちた。
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結局、救急車で運ばれたこの日は、先生の言ったようにお昼過ぎには体を動かせるようになって、お母さんとおばあちゃんに支えられながら家に帰った。