私は、川沿いの道を浴衣姿で歩いた。振り向くと、後ろから遅れて歩いてくるお母さんとおばあちゃんがいる。ギュッと片手に持っていたオーボエのケースを握りしめる。
 ……不安で怖いけど、私、頑張る。だからお願い。力を貸して。オーちゃん。本当の自分を響かせたいの。



 大橋の袂の公園では、永野君と三穂ちゃんがベンチに座り待ってくれていた。
「二人とも今日はごめん」
 私は、二人に深々と頭を下げた。
「いいって、もう」と片手を振る永野君。
「ねえ。これは必要?」
 と言って三穂ちゃんは後ろに隠し持っていたトランペットを前に出して笑った。
「いいの?」
「なんも。なんも。途中から伴奏入るね。任せな」
 私は「うん」と力強く頷いた。
 深呼吸をした。
「……よかった。まだ、声が出る」
 私は、お母さんとおばあちゃんの方を振り返り、大丈だよと大きく頷いた。
「用意するね」
 少し離れた階段の上にオーボエのケースを置く。ケースから慎重にリードを2本選んで取り出し、水の入った瓶に浸した。そして、オーボエをケースから取り出して組み立てる。やがて、取り出したリードの先端や湿り気を確認し、1本を選ぶ。そしてそっと、やさしく試してみる。 ……お願い。声を聞かせて。
 ビーーーっとリードが震えて音を出す。 
「うん。大丈夫」
 ホッと胸を撫で下ろし、オーボエのセッティングを行い身構えた。
 ……大丈夫。ちゃんと響かせるから。だから、安心して。
 オーボエを一度優しく撫でた後、私は焦らずに、柔らかすぎず、硬すぎず、ゆっくりと慎重にリードを唇に包み、息を込めた。オーボエの単音が、スーと広場を超えて広がっていく。
 空気が変わる。
 虫の音が一瞬、呼応したように聞こえたあと、開幕を知らせるように静かになった。
 ベンチに座っているお母さんとおばあちゃん。その脇に立っている永野君。そして隣、少し離れた所でトランペットを構えている三穂ちゃん。みんなが私を見てくれている。
 私は会釈をしたあと、目をつぶった。
 ……一瞬、この一瞬でいい。伝わって!
 空を見上げる。伝わるよね。お父さん。煌く星空のもとに吸い込まれる。包まれる。そんな錯覚がする。心が落ち着く。
 私は、みんなの方に向き直ると「サリーガーデン」を吹き始めた。
 音色が夜空に響く。
 優しい風に乗って、どこまでも、どこまでも、響いていく。
 私は、みんなへの想いを込めて吹きながら、昔のことを思い出した。