私の呼吸がやっと戻った頃、不意に永野君が立ち上がった。
「オーボエ吹いてるよね」
「!?」
「放課後、『サリーガーデン』って曲、吹いてただろ。アイルランド民謡だっけ」
 私は驚いて、永野君を見つめた。
「あれ、違ったっけ。ごめん、俺、あんまり音楽詳しくないから。ネットで曲名調べたんだけど、違った? 結構、頑張って調べたんだけど」
「ううん。あってる」
「良かった。……その、たまたま星音が吹いてるの見たんだけどさ」
「私を……」
「たまたまだよ。たまたま」
 と言うと、永野君は恥ずかしそうに脇を向き話を続けた。
「ほら、星音は、部活、いつも最後まで1年生に教えてあげてるだろ、だから、俺が帰るときに、その笛の音が聞こえてくる時があって。なんか泣けたっていうか、何というか。格好良かったから」
「そんな格好よくなんて……」
 私にはオーボエしかないから。迷惑かけてばっかりで。何の役にも立たなくて。自分が嫌いになって、消してしまいたくなって。だからそれでも、ここに居たくて。やっぱり消えたくなくて……
 永野君はこっちの方に向き直ると、力を込めて言った。
「いや、すごいと思う。……うん。胸の奥にギューと響く。良すぎて聴いた後にグッタリしてしまうと言うか。あ、悪い意味じゃないよ。その、うまく言えないんだけど、心に響く、そして大事な物を思い出して……切ない」
「大切なものって?」
「陸上、好きだけど、結果出なくて、叶わなくて、その、落ち込んで自分が嫌になったときに、この曲聞いて。やっぱり、俺、好きなんだなって、陸上……ごめん。そんな曲じゃないよね。何言ってんだろ俺」
「ううん、いいの」
 嬉しい。その言葉だけで、私はどれだけ救われるか。
「それに、今はそれ以外にもいろいろ、うまく言えないけど」
「うん」
「良かったら、今度、ちゃんと聴かせてくれないかな?」
「嬉しい。……嬉しい、けど」
「けど?」
 私は立ち上がって永野君に向き合った。
「今、今からでもいい? 今じゃダメかな」
「えっ、今?」驚く永野君。
「うん」
「別に今じゃなくても、今度でも」
 一度大きく息を吸い込んで、ゆっくり吐いた。
「私に次はない!」
「……」
「次は、ないかも。また、話せなくなるかも。今しかないかも」
「でも」
「お願い。私に次は、これから先ずーと、もう、ずーーーと、ないかもしれない」
 ……私に次はない。普通の人みたいに、私に次なんて。
 そんな怖い事考えたくなかった。でも、でも、本当にないかもしれないんだ。
「ずーーーと無いかも。……だから、お願い」
「あ、ああ。いいよ。分かった」
 ……良かった。
「ありがとう」
 心に力が入る。
「朝の大橋の袂。あそこで待ってて」
 私はそう言うと、駆け足で家に戻った。