でも、そんな簡単に全てがコロッと変わるわけはなかった。相変わらず男子の視線が怖かったし、視線が集まるとギュッと喉が締め付けられる様にキツくなった。必ずなるという訳じゃないのが、また厄介なところで、普通に男子と喋っていることがあると、それはそれで、「調子のいいやつ」と陰口を叩かれたりすることがあった。 
 別に、そんなわけじゃないのに……
 小学生の時と一緒だ。
 そんな事もあって、私は小学校を卒業しても、その卒業という実感がまったくわかなかった。怖がりで、泣き虫で、すぐ喋れなくなる小さな自分を引き連れてきてしまったから。ちゃんと卒業できなかったから。
 だから、自分の全てを忘れ、オーボエに打ち込める時間に、心が満たされた。新しい世界が開いて、あー、世界ってひとつじゃないんだと知ったんだ。
 学校の授業が終わると、私は音楽室の片隅に座って手元に集中する。オーボエのリードにプラーク(薄い板)を挟み、丁寧にリードを削る。刃の厚いリードナイフを滑らかに動かすと、シュ、シュと心地よい音が聞こえてくる。その音が私の気持ちを、心を、正常に落ち着かせてくれる。
 削ったリードを日に透かすと、端が淡く黄金色に輝いている。
 うん。大丈夫かな。
 軽く水に浸し全体を均一に湿らせた後、……声を聴かせて。という願いと共に息を込めた。
 ビーという音が滑らかに出る。大丈夫だよ。心配しないで。私がちゃんと響かせてあげる。こうやって、リードを削り、オーボエと話をするのが、私の安息。大事な大事な自分を取り戻す時間だった。

 試験では、上手に手入れのできたリードのおかげもあって、うまくオーボエの音を出すことが出来た。
 少し離れた所にいたトランペット志望の山辺三穂ちゃんが、「すごい!」って、大きな声を上げて、思わずビックリする。
 だって、三穂ちゃんとは、パートも違うし、この時はまだそんなに話した事なかったし、それに、私の音が、そんな風に誰かに届いているなんて考えてこともなかったから。
 ちょっと恥ずかしくて、顔の赤くなるのが分かったけど、でも嬉しかったんだ、私。この子(オーボエ)と一緒に、いつか、音色に気持ちを込めて、伝えられるんじゃないかって、そう思ったんだ。
 私の想いを、すべてを、ちゃんと……

 私は何とか学年一人のオーボエ担当に合格した。
「オーちゃん。ありがとう」
 私はオーボエに名前をつけてそう呼んだ。
 のちのち、三穂ちゃんには「単純な瑠璃らしい」って言われたけど。 まあ、うん、確かに私らしい。ごめんね、オーちゃん。そして、ありがとう、オーちゃん。声を聴かせてくれて。
 この日は、とても小さな、だけど大事な嬉しい音が、響いた日だった。