私は慌てて襖を掴み、後ろに隠れた。な、ななな、何で?
「おい! 大丈夫か?」と永野君がガラス扉を少し開け声をかける。
「あ、あ……」また声が……
「入るぞ!」
 ガラガラ開きを開け入って来る永野君。
 私は「ダメー」と声を絞り出すが、ほとんど出なかった。
「なに?」
 聞き取れなかっただろう永野君は、そのまま中に入ってくる。そして、作業台の上にドスン、ガチャンと袋に入った何かを置いて、
「栄養ドリンク」とぶっきらぼうに言い放った。
「?」
「風邪なんだろ。熱が出てるって聞いたぜ」
「えっ」
「39度だって」
 なっ! さ、さん、39度!? 目を見開いた。
「何でも、ぶっ倒れてるらしいぞ」と永野君が続ける。
 三穂ちゃん、なんて噓を。と天を仰ぐ。
「出てこいよ」と永野君が強い語気で言う。
 怒ってるよー
 永野君が襖に手をかけたが、私は襖が取り除かれないように必死に抵抗した。
「熱なんてないんだろ。出てこいよ。何なんだよいったい。何が、くそー、バカーだよ。俺、夢でも見てるのかと思ったぜ」
 と言って、永野君があきらめた。
 ……泣きたい。
「なんで嘘つくんだよ。なにも嘘ついてまで……」
「……」
「もういいよ嘘は」と永野君が呟く。
 そんな、だって……
「どうせみんなで俺の事、笑ってたんだろ」
 違う!!
「なあ、ちょっと出てこいよ」
 私は頭のタオルを取って汗をぬぐい、自分の格好を見つめた。汗だくのTシャツに、穴あきの作業ズボン。出れるわけないよ、こんな姿で。
「なあ」
 む、無理ー
「つまんねえ。帰る」
「っあ」
「俺、そういう人を試すような事嫌いだから。じゃ」
 そう言うと永野君は、ガラガラ、バン。と引き戸を勢いよく閉め出ていった。
「うっうっ」涙が溢れた。
 ……何で、何で。

 しばらくして、泣きながら力なく出てきた。作業場にポツンと一人。惨めさと悲しみで時間が止まる。何も考えられなかった。取り残された心がひとつ、ただ悲しみの底に沈んでいた。凍りついた空間に一人。潰れて止まった心がひとつ。

 ああ、そうなんだな。私は惨めな自分を噛み締めて分かったことがあった。
 私は小学生の頃から何も変われていない。バイバイしたくて、区切りをつけたくて、いつも一緒にいた、臆病で、すぐ喋れなくなる小さな自分を卒業したくて、……頑張ったけど。
 ……でも、そんなことできないよね。だって、この小さな自分も、私そのものなんだもん。
 不意にそう思った時、私の肩に、あの臆病で、すぐ喋れなくなる小さな自分が、そっと優しく手を置いてくれた様な気がした。
「今まで。ごめんね」

 外では打ち上げ花火の音が鳴り響き、無情に時間の流れを押し進めていく。どれくらいの時が経っただろうか。
 私はやがて、作業台の上の袋に入った栄養ドリンクに気づいた。触って、優しく握りしめる。
「こんなにいっぱい」
 ふいに脳裏に電話での三穂ちゃんの声がフラッシュバックした。
「永野ね、何か大事な用があるとかで帰ったよ」 
 ハッ。
 止まった心に、稲妻が走る。バカだ私は。結局、私は私の事しか考えてないじゃん。私は、静かに立ち上がった。私が、私のことを一番恥ずかしがって隠してたんだ。
「行こう!」
 そう呟いて、私は自分で作り出していた見えない壁を、手の平に力を込めてそっと押した。「大丈夫。だから、焦らず、自然に」そう言って崩した壁の先には、あの臆病ですぐ喋れなくなる小さな自分が残っていた。
「一緒に行こう」と私は私の手を掴む。
 そして作業場の引き戸を勢い良く開け外に飛び出した。