私は浴衣の脇に置いてあったスマホをつかみ電話をかけた。楽しそうな雑踏の音の中、三穂ちゃんの声が聞こえてくる。
「瑠璃? 今どこ?」
「うん。家」
「えっ? 何? 家? 何?」
「行けなくなっちゃった。どうしよー」
「ちょ、ちょっと待って。来れないってどういう事。永野、もう来てるよ」
「どうしよ」
「どうしよって。そんな。来ないなんて選択肢ないでしょ」
「でも。仕事が。襖貼りが。お母さんの代わりに襖を」
「仕事? うーん。誰の為にわざわざ永野呼ぶ段取りしてあげたと思ってるのよ」
「分かってる。分かってるんだけど……どうしよー」
「今日の為に浴衣着る練習したんでしょ」
 傍に置いてある紺瑠璃の浴衣が、がっくり肩を落とした子供の様に見えた。
 私はスマホを持ち直した。
「そうなんだけど……それに」
 離れたところのおばあちゃんを見ると、おばあちゃんは金槌片手に「ニコッ」と微笑み返してきた。
「だけど行けないよ。やっぱり行けない」
「……」
「……ごめん」
「分かった。じゃあ、来れないって言っとくけど。後悔しても知らないよ」
「ごめん。最低だね私」
「ま、いいよ。瑠璃んちの家庭の事情はよく知ってるから」
 私は恨めしい思いで古い襖を見た。
「……ハッ、襖貼ってるなんて永野君に言わないで。お願い」
「ハイハイ、分かりました」
「絶対だよ。絶対」
 スマホを切って、ため息をつく。最低だな私……

「男かい?」
 気がつくと、後ろにおばあちゃんがいた。
「キャッ」
「もしかして彼氏とか」
「ち、違うから。そんなんじゃないから」
「いや、別にいいんだよ。ただ、その……」
 おばあちゃんは咳払いを一つして続けた。
「その子とはしゃべれるのかい?」
「……」
「あっ、もしかして。この前、病院に運んできてくれた子かい?」
「……」
「そう。そうなんだね。まあ、別にそれはそれでいいんだけど。この前の事があるからねえ。大丈夫なのかい?」
「できる限りの準備はした。でも、分からない。ダメかもしれないし」
「フー」
 聞こえてきた溜息が、私の心を侵食する。
「ダメ? 私はもう男の子と話しちゃダメなの? 少しでもなんとかしたかったの。でも、もういい」
 と言って私は背を向けて離れた。
 すぐに、おばあちゃんが近づいてくる。
「好きなのかい?」
「えっ。いや、そうじゃなくて」と顔を伏せた。
「そうかい」
「もういい!」
 私は全てを諦めるように、力を入れて言葉を吐き出した。息を整えるように、大きなため息が出る。