陽が傾き、やっと塗装路の陽炎が見えなくなった。それでも、まだまだ暑さは容赦が無く、部活帰り急ぎ足で歩く私の首筋には玉の様な汗が浮き出ていた。自宅前「星音表具店」の看板の陰に入り一息ついて、昂っている気持ちを落ち着かせる。いよいよこれから花火大会が始まる。今日は朝から期待と不安で体が浮いているようだった。
ガラガラガラと作業場のガラス戸を勢いよく開け中に入る。和紙特有の匂いが打ち薫る。
「ただいまー」
重い学校のカバンと、オーボエのケースをそっと作業台に置いて、私はドサッと作業場の丸椅子に座った。
「瑠璃ちゃん、お帰り」
奥から糸花おばあちゃんが団扇をパタパタ仰ぎながらやってきた。
「部活終わったの? 今日は早かったねー」
「だって、今日は花火大会だからね」
「すごい汗。大丈夫? ちゃんと水分取りなさいよ」
そう言うとおばあちゃんはキッチンの方に入って行った。
汗を拭うけど、一息つくと余計に汗が出てくる。ふーと、息をついて、ふと傍に目をやると、古い襖が10枚ほど立てかけられていた。
「何? これ、おばあちゃん」
奥から麦茶を持ってきてくれたおばあちゃんに聞く。
「急な仕事が入ったんだって」
「ふーん」
私は質問しながらも特に興味がなかったから気の無い返事で答えた。代わりにもらった冷たい麦茶を一気に飲み干す。
「あー、生き返る! あっ、そうだ。おばあちゃん。丁度良かった。花火大会の浴衣着るの手伝ってよ」
私は、靴を脱ぐとドタドタと階段を駆けあがった。
「この前、買った青いの」と2階から伝える。
「あれは瑠璃色っていうんだよ」
「そうそう私の色。分かってる」
と言って、紺瑠璃色の浴衣を持って降りる。
「へへ、どう?」
「いいわね。似合ってる」
浴衣をの袖を持って腕に合わせたとき、ふと目線をあげると、作業場の外に軽トラックが止り、作業着姿のお母さんが降りて来るのが見えた。慌てながら引き戸を開けて入って来る。
「お母さん、おかえり」
「あ〜、瑠璃~。ちょうど良かった~」
お母さんのこの甘い声。私は瞬時に嫌な気がして、身を強張らせた。
「何?」
「あのー、悪いんだけどさ、この襖貼り替えて。下処理だけでいいから。ね、お願い」
「えっ? ダメ、私、忙しい」
信じられないものを聞き、声が裏返った。
「後でアイス買って来てあげるからさー」
「ダメダメダメ。これから花火大会行くの。前から言ってたでしょ」
「緊急事態なの。ほら、職人の下村さんがね、事故起こしちゃって」
「えっ、事故?」
「病院に運ばれたって言うから。お母さん今から行って来る。だからあんた、お母さんの代わりに下処理しといて」
「そんな無理。他の職人さんは?」
「みんな、他の現場入ってるわ」
「無理だよ。今回は絶対無理だから」
「そこを何とか。ね、お願い」
と言うとお母さんは顔の前で手をあわせた。
「ダ、ダメ。大事な用事があるんだから」
「大事な用事って何?」
「えっ、それは……」
「何?」
本当の事が言えず、言葉に詰まって下を向いた。だって、そんな、永野君のこと言えないよ。
お母さんは、呼吸を一つ大きくしてから、私の肩にズシリと手を置いた。
「お母さんの体、一つしかないんだから。ね」
「でも」
「明日、納期なの。下処理だけでいいから。おねがいね」
そう言うと、また急いで出て行こうとする。
「待って!」
「別に他の花火大会には行っていいんだから。それでいいじゃない。悪いけど、お願いね」
お母さんは荒々しく言葉を投げ捨て、ガラガラと勢いよく引き戸を開けて出て行った。そしてすぐに軽トラに乗りエンジンをかけた。
「あああ、待って。ちょっと待ってよ」と私も慌てて出たが、走り出す軽トラックは待ってはくれなかった。
「今日の花火大会は特別なの。他のじゃダメなのー!!」
走り去る軽トラックに向かって叫ぶが、すぐに軽トラックは見えなくなった。
「あああーーー」とその場に崩れ落ちる。
……嘘でしょ。
ガラガラガラと作業場のガラス戸を勢いよく開け中に入る。和紙特有の匂いが打ち薫る。
「ただいまー」
重い学校のカバンと、オーボエのケースをそっと作業台に置いて、私はドサッと作業場の丸椅子に座った。
「瑠璃ちゃん、お帰り」
奥から糸花おばあちゃんが団扇をパタパタ仰ぎながらやってきた。
「部活終わったの? 今日は早かったねー」
「だって、今日は花火大会だからね」
「すごい汗。大丈夫? ちゃんと水分取りなさいよ」
そう言うとおばあちゃんはキッチンの方に入って行った。
汗を拭うけど、一息つくと余計に汗が出てくる。ふーと、息をついて、ふと傍に目をやると、古い襖が10枚ほど立てかけられていた。
「何? これ、おばあちゃん」
奥から麦茶を持ってきてくれたおばあちゃんに聞く。
「急な仕事が入ったんだって」
「ふーん」
私は質問しながらも特に興味がなかったから気の無い返事で答えた。代わりにもらった冷たい麦茶を一気に飲み干す。
「あー、生き返る! あっ、そうだ。おばあちゃん。丁度良かった。花火大会の浴衣着るの手伝ってよ」
私は、靴を脱ぐとドタドタと階段を駆けあがった。
「この前、買った青いの」と2階から伝える。
「あれは瑠璃色っていうんだよ」
「そうそう私の色。分かってる」
と言って、紺瑠璃色の浴衣を持って降りる。
「へへ、どう?」
「いいわね。似合ってる」
浴衣をの袖を持って腕に合わせたとき、ふと目線をあげると、作業場の外に軽トラックが止り、作業着姿のお母さんが降りて来るのが見えた。慌てながら引き戸を開けて入って来る。
「お母さん、おかえり」
「あ〜、瑠璃~。ちょうど良かった~」
お母さんのこの甘い声。私は瞬時に嫌な気がして、身を強張らせた。
「何?」
「あのー、悪いんだけどさ、この襖貼り替えて。下処理だけでいいから。ね、お願い」
「えっ? ダメ、私、忙しい」
信じられないものを聞き、声が裏返った。
「後でアイス買って来てあげるからさー」
「ダメダメダメ。これから花火大会行くの。前から言ってたでしょ」
「緊急事態なの。ほら、職人の下村さんがね、事故起こしちゃって」
「えっ、事故?」
「病院に運ばれたって言うから。お母さん今から行って来る。だからあんた、お母さんの代わりに下処理しといて」
「そんな無理。他の職人さんは?」
「みんな、他の現場入ってるわ」
「無理だよ。今回は絶対無理だから」
「そこを何とか。ね、お願い」
と言うとお母さんは顔の前で手をあわせた。
「ダ、ダメ。大事な用事があるんだから」
「大事な用事って何?」
「えっ、それは……」
「何?」
本当の事が言えず、言葉に詰まって下を向いた。だって、そんな、永野君のこと言えないよ。
お母さんは、呼吸を一つ大きくしてから、私の肩にズシリと手を置いた。
「お母さんの体、一つしかないんだから。ね」
「でも」
「明日、納期なの。下処理だけでいいから。おねがいね」
そう言うと、また急いで出て行こうとする。
「待って!」
「別に他の花火大会には行っていいんだから。それでいいじゃない。悪いけど、お願いね」
お母さんは荒々しく言葉を投げ捨て、ガラガラと勢いよく引き戸を開けて出て行った。そしてすぐに軽トラに乗りエンジンをかけた。
「あああ、待って。ちょっと待ってよ」と私も慌てて出たが、走り出す軽トラックは待ってはくれなかった。
「今日の花火大会は特別なの。他のじゃダメなのー!!」
走り去る軽トラックに向かって叫ぶが、すぐに軽トラックは見えなくなった。
「あああーーー」とその場に崩れ落ちる。
……嘘でしょ。