次の日の中学校。
私は放課後の音楽室で、昔を思い出し「サリーガーデン」を吹いた。この時間だけは嫌な自分から解放される。この時間だけが過去の自分を許してくれる。そんな気がして、全てをかけて息を込める。
サリーガーデンはアイルランドに伝わる伝統的民謡。ケルト音楽。気になって調べてみると失恋を思い出して作られた歌だって。柳の園で愛しい人と出会ったのに、ちゃんと自分の想いを伝えられず失恋した事を嘆いている歌。初めてサリーガーデンの歌詞を知った時、ちょっと可愛くて笑っちゃたんだけど、うん、分かる気がする。懐かしくて温かいこの音色の風は、時を超えて吹いている。私、アイルランドに行った事なんてないけど。分かるよ。分かる。
しばらくして、ハッと気づくと音楽室の扉のところに三穂ちゃんが立っていた。
「続けて」
三穂ちゃんはそういうとトランペットを取り出し、優しく私のメロディーに合わせて伴奏部分を吹いてくれた。普段はピアノの音が入る部分を、トランペットで、力強く、支えてくれるかの様に。
私らしさと、三穂ちゃんらしさと、まったく正反対の性質の音なのに、まるでその二つで一つでもあったかの様に、旋律がまじりあった。
時を超えて風が吹いている。
全てを包み込む優しい風が吹いている。
演奏が終わると、三穂ちゃんが近づいて声をかけてくれた。
「もう、大丈夫?」
「やっちゃった」
できるだけ強がって笑顔を作った。笑おう。でないと私……
「連絡帳を持って行った時に、おばさんに聞いたよ」
「へへ、笑い話だよ。救急車で運ばれるなんて。もうビックリ」
「まあ、ね」
「笑ってくれるかな、笑って、気にしないでくれるかな。気にしないで」
オーボエを握りしめ俯く。
「……無理だよね」
体が震える。
「どうして、どうして私だけこんな。どうして、私だけ」
震える声を絞り出す。
「消えてしまいたい」
三穂ちゃんが近づき、そっと優しく肩に手を置いてくれる。私は、三穂ちゃんに抱きつき、堰が切れたように泣きじゃくった。潰して潰して押し込めて沈めて我慢していた感情が留度もなく溢れ出してくる。
「これ以上酷くなったらどうしよう……オーボエも吹けなくなったらどうしよう……三穂ちゃんとも話ができなくなったらどうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう」
「大丈夫」三穂ちゃんが、ギュッと抱きしめてくれる。
「……怖いよ」
「うん」
「怖い」
「大丈夫だよ。もし話ができなくなっても、私はここにいる。ずっといるから」
「……うん」
「ずっといるから」
「うん」
「それぐらいしかできないけどね。あ、あと、トランペットの伴奏ね」
「フフ」と笑う。
私は、離れてハンカチで涙を拭いた。
「フー」
「少しは落ち着いた?」
「うん。本当ごめん、迷惑ばっかりかけて」
「なんも、なんも。じゃ、今度の花火大会は断ってくるよ。また今度って」
私は咄嗟に出て行こうとする三穂ちゃんの腕をつかんだ。
「待って」
「?」
「ううん。断らないで」
「えっ」
「あ、あっちが、永野君が来てくれればだけど」
というと恥ずかしくなって俯いた。
「大丈夫?」三穂ちゃんが心配そうに尋ねる。
「大丈夫じゃない」
「だったら」
「いいの。何か、伝えたいの」
「何か?」
「悔しい。そして怖いけど。何か伝えたい。伝えたいことはいっぱい、いっぱいあって、その、ありがとうとか、ありがとうとか……ありがとうとか」
……胸が潰れそう。
「でも、無理して今じゃなくても」
「花火なら、しゃべらなくても一緒に見れるよね」
「えっ」
「花火なら、しゃべらなくても」
「……うん」
私は、お腹を押してゆっくりと呼吸をした。
「緊張して過換気になった時は、ゆっくり呼吸する事に注意するの。吐く方を多くして呼吸を整える。それから腹式呼吸。何かあっても大丈夫、また一つ自分のことがわかったから。対処できる」
「うーん」と悩む三穂ちゃん。
「それに、もう正直に話そうと思うんだ。私、男の子の前で、話さないんじゃなくて話せない、声が出なくなる事を。場面緘黙症の事を。ちゃんと伝えられなかったら、手紙に書いて渡してもいいし。それで嫌われたら……諦める。でも、ちゃんと伝える事は、諦めたくない」
少し迷ってるような三穂ちゃんだったけど、「うん」と言ってくれた。
「永野はくるよ。多分。ちゃんと瑠璃が来て欲しい、瑠璃が話したいって、そう伝えてあるから」
「えっ」
「少し話ししたんだけどね。私の印象は、超、超、単純で堅物って感じかな。まあ、冗談が通じないというか」
「うん」
「実は、最初断られたんだ。ほら、女子の間で、気の無い男子を面白がって誘ってからかったりする子とかいたじゃん。そんな風に思われちゃってさ。だけど、ちゃんと、瑠璃の事話して、ってあの喋れなくなる事じゃないよ。瑠璃が話しをしたいってことね」
「うん」
「そしたら真剣に聞いててさ、来てくれるってさ。なんか、硬かったからさ、つい私もからかいたくなって、冗談で浴衣着てきてって言ったら、瑠璃みたいに固まってたよ」
と言うと三穂ちゃんは、ハハハッと笑った。
「浴衣? 着てくるって?」
「さあ~ね~。でも、私たちだけ浴衣って言うのも何かね~」
「浴衣着てきてくれるかな」
「まあ、どっちにしろ。瑠璃には合ってる気がする」
「あ、ありがとう」
「じゃ、行ってくる」
部屋を出て行こうとする三穂ちゃんを呼び止める。
「三穂ちゃん」
「うん?」
「この前、私のこと強いって言ってたけど。多分それは違うよ。私には欠点が多すぎて、足りないものが多すぎて、だから、本当はもっとスマートに格好良くしたいのに、あまりに出来なくて。それでも、諦められないものが多くって、大切に思うものが多くって。ただ、もがいてるだけ。格好悪いけど……それしかできないから」
……そう、ただもがいてるだけ。
「うん。瑠璃らしいよ。嫌いじゃない」
「……ありがとう」
「なんも、なんも」
「なんも、なんも?」
「大丈夫、気にしないでって意味ね」
「フフフ、なんか好き、いいね」
「へへ、なんか私が褒められたみたい」
二人で笑顔になった。そんな笑顔ひとつで世界の色が変わる。救われる。
私は放課後の音楽室で、昔を思い出し「サリーガーデン」を吹いた。この時間だけは嫌な自分から解放される。この時間だけが過去の自分を許してくれる。そんな気がして、全てをかけて息を込める。
サリーガーデンはアイルランドに伝わる伝統的民謡。ケルト音楽。気になって調べてみると失恋を思い出して作られた歌だって。柳の園で愛しい人と出会ったのに、ちゃんと自分の想いを伝えられず失恋した事を嘆いている歌。初めてサリーガーデンの歌詞を知った時、ちょっと可愛くて笑っちゃたんだけど、うん、分かる気がする。懐かしくて温かいこの音色の風は、時を超えて吹いている。私、アイルランドに行った事なんてないけど。分かるよ。分かる。
しばらくして、ハッと気づくと音楽室の扉のところに三穂ちゃんが立っていた。
「続けて」
三穂ちゃんはそういうとトランペットを取り出し、優しく私のメロディーに合わせて伴奏部分を吹いてくれた。普段はピアノの音が入る部分を、トランペットで、力強く、支えてくれるかの様に。
私らしさと、三穂ちゃんらしさと、まったく正反対の性質の音なのに、まるでその二つで一つでもあったかの様に、旋律がまじりあった。
時を超えて風が吹いている。
全てを包み込む優しい風が吹いている。
演奏が終わると、三穂ちゃんが近づいて声をかけてくれた。
「もう、大丈夫?」
「やっちゃった」
できるだけ強がって笑顔を作った。笑おう。でないと私……
「連絡帳を持って行った時に、おばさんに聞いたよ」
「へへ、笑い話だよ。救急車で運ばれるなんて。もうビックリ」
「まあ、ね」
「笑ってくれるかな、笑って、気にしないでくれるかな。気にしないで」
オーボエを握りしめ俯く。
「……無理だよね」
体が震える。
「どうして、どうして私だけこんな。どうして、私だけ」
震える声を絞り出す。
「消えてしまいたい」
三穂ちゃんが近づき、そっと優しく肩に手を置いてくれる。私は、三穂ちゃんに抱きつき、堰が切れたように泣きじゃくった。潰して潰して押し込めて沈めて我慢していた感情が留度もなく溢れ出してくる。
「これ以上酷くなったらどうしよう……オーボエも吹けなくなったらどうしよう……三穂ちゃんとも話ができなくなったらどうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう」
「大丈夫」三穂ちゃんが、ギュッと抱きしめてくれる。
「……怖いよ」
「うん」
「怖い」
「大丈夫だよ。もし話ができなくなっても、私はここにいる。ずっといるから」
「……うん」
「ずっといるから」
「うん」
「それぐらいしかできないけどね。あ、あと、トランペットの伴奏ね」
「フフ」と笑う。
私は、離れてハンカチで涙を拭いた。
「フー」
「少しは落ち着いた?」
「うん。本当ごめん、迷惑ばっかりかけて」
「なんも、なんも。じゃ、今度の花火大会は断ってくるよ。また今度って」
私は咄嗟に出て行こうとする三穂ちゃんの腕をつかんだ。
「待って」
「?」
「ううん。断らないで」
「えっ」
「あ、あっちが、永野君が来てくれればだけど」
というと恥ずかしくなって俯いた。
「大丈夫?」三穂ちゃんが心配そうに尋ねる。
「大丈夫じゃない」
「だったら」
「いいの。何か、伝えたいの」
「何か?」
「悔しい。そして怖いけど。何か伝えたい。伝えたいことはいっぱい、いっぱいあって、その、ありがとうとか、ありがとうとか……ありがとうとか」
……胸が潰れそう。
「でも、無理して今じゃなくても」
「花火なら、しゃべらなくても一緒に見れるよね」
「えっ」
「花火なら、しゃべらなくても」
「……うん」
私は、お腹を押してゆっくりと呼吸をした。
「緊張して過換気になった時は、ゆっくり呼吸する事に注意するの。吐く方を多くして呼吸を整える。それから腹式呼吸。何かあっても大丈夫、また一つ自分のことがわかったから。対処できる」
「うーん」と悩む三穂ちゃん。
「それに、もう正直に話そうと思うんだ。私、男の子の前で、話さないんじゃなくて話せない、声が出なくなる事を。場面緘黙症の事を。ちゃんと伝えられなかったら、手紙に書いて渡してもいいし。それで嫌われたら……諦める。でも、ちゃんと伝える事は、諦めたくない」
少し迷ってるような三穂ちゃんだったけど、「うん」と言ってくれた。
「永野はくるよ。多分。ちゃんと瑠璃が来て欲しい、瑠璃が話したいって、そう伝えてあるから」
「えっ」
「少し話ししたんだけどね。私の印象は、超、超、単純で堅物って感じかな。まあ、冗談が通じないというか」
「うん」
「実は、最初断られたんだ。ほら、女子の間で、気の無い男子を面白がって誘ってからかったりする子とかいたじゃん。そんな風に思われちゃってさ。だけど、ちゃんと、瑠璃の事話して、ってあの喋れなくなる事じゃないよ。瑠璃が話しをしたいってことね」
「うん」
「そしたら真剣に聞いててさ、来てくれるってさ。なんか、硬かったからさ、つい私もからかいたくなって、冗談で浴衣着てきてって言ったら、瑠璃みたいに固まってたよ」
と言うと三穂ちゃんは、ハハハッと笑った。
「浴衣? 着てくるって?」
「さあ~ね~。でも、私たちだけ浴衣って言うのも何かね~」
「浴衣着てきてくれるかな」
「まあ、どっちにしろ。瑠璃には合ってる気がする」
「あ、ありがとう」
「じゃ、行ってくる」
部屋を出て行こうとする三穂ちゃんを呼び止める。
「三穂ちゃん」
「うん?」
「この前、私のこと強いって言ってたけど。多分それは違うよ。私には欠点が多すぎて、足りないものが多すぎて、だから、本当はもっとスマートに格好良くしたいのに、あまりに出来なくて。それでも、諦められないものが多くって、大切に思うものが多くって。ただ、もがいてるだけ。格好悪いけど……それしかできないから」
……そう、ただもがいてるだけ。
「うん。瑠璃らしいよ。嫌いじゃない」
「……ありがとう」
「なんも、なんも」
「なんも、なんも?」
「大丈夫、気にしないでって意味ね」
「フフフ、なんか好き、いいね」
「へへ、なんか私が褒められたみたい」
二人で笑顔になった。そんな笑顔ひとつで世界の色が変わる。救われる。