翌日の卒業パーティは、大盛り上がりだった。
 豪華景品つきのビンゴやゲーム、お菓子を食べながら、受験生らしい歴史クイズをするなど、普段なら考えられないほどの楽しい時間だった。
 先生たちも、ピリピリとした空気感からようやく解放されたこともあってか、学生のノリに合わせて大はしゃぎ。
 僕は凡そ端の方で大人しく過ごしていたが、三年間ここで頑張った思い出や、壁に貼られた数々の名前と合格した学校名を見ると、何だか感慨深くなって、胸が熱くなる。
 稔莉がいれば、もっと楽しかったのに、と残念そうに呟く声はよく聞こえたが、僕も内心はそんな奴らと肩を組んで共感していた。
 本来なら、二時間ほどで終える会も、皆余韻に浸るあまり、夕方の小学生の授業が開始されるまで続行してしまった。
 僕は陽キャのノリについていけるような人ではなかったが、苦しい日々を乗り越えたことを祝う時間は、端にいても楽しいと思えたこともあり、結局最後まで居座ることに。
 ついに解散となると、何人かの女子が泣き出した。そんな女子を慰めるかのように、当たりの景品を多く引いた男子たちが、一緒に駐輪場や駅へと向かう。
 僕は当然のごとく、一人で塾を後にした。
 稔莉が来るのは恐らく二十三時頃だろう。いつも話しているのは、塾が閉まる直前である、その時間帯だからだ。
 まだ夕方のため、一度帰宅してから、夜に再び駐輪場に来ようと自転車の鍵を挿した時だった。
「祐」
 顔を上げると、人気のない駐輪場の入口付近に、制服姿の稔莉が立っていた。
「あれ、いつもの時間じゃなかったっけ?」
 この時間に現れた稔莉を見て、僕は思わず聞いてしまう。何か事情があるかもしれないのに。
「その予定だったんだけど、色々あってね。そういえば、卒パはどうだった?」
 稔莉はゆっくりとスロープを降りて近づいてくる。夕日に照らされ、オレンジ色にキラキラと輝いていた。
「楽しかったよ。先生たちも大盛り上がりでさ。でも、みんな稔莉がいなくて寂しがってたよ」
 クスッと笑ってから、申し訳なさそうに眉を下げる稔莉。
「本当? でも私がいなくても盛り上がったのなら良かった。ここに通うみんななら、どんな時だって楽しめるって信じてたよ」
 今日の様子を振り返ると、確かに稔莉の言う通りかもしれない。
 だが、稔莉がいれば、もっと楽しいのはわかりきったことだろう。
 きっと稔莉がいれば、僕のような陰キャにも声をかけて、全員が平等に楽しめるよう進めたり、テンションが上がりすぎている友達に落ち着けるよう水を渡すなど、さり気ない気遣いで、みんなをまとめていけただろうから。
 そんな思いが表に出ていたのだろうか。稔莉はゆっくりと、僕の顔を覗き込んできた。
「祐、何だか元気ないね」
 上目遣いが可愛い。なんて余計な思考を慌ててかき消す。
 少しの変化に、どうしてこうも気づけるのだろうか。凄いを通り越して、少し怖いくらいだ。
 だが、きっかけとしては丁度良い。僕は灯子について話そうと口を開いた。
「ちょっと悩んでることがあってさ。実は昨日の卒業式の後、告白されて……。まだ全然よく知らない子なんだけど、とりあえず明日一緒に出かけようって誘われてるんだ。行った方が良いと思う?」
 やはりその正体を幽霊と伝えるのは憚られ、僕はやんわりと灯子のことを伝える。
 心臓がバクバクと跳ね上がっていた。頭が真っ白でとりあえず口から出た言葉を紡ぐのみ。
 だが、ふと自分が放った内容を思い返すと、明らかにモテ自慢のようにしか聞こえないことに気づき、絶望する。
 終わった。僕は何を言ってるんだ……。
 頭を抱えて否定しようとするも、稔莉が先に言葉を返してしまった。
「そうなんだ。祐はその子のことが好きなの?」
 嫉妬の空気に変わることを願っていたものの、当然僕らの間に流れるそれに変化はなく、ただ凪のように穏やかな微笑みが僕を見つめるのみだった。
「いや、好きじゃない……」
 僕が好きなのは稔莉だ。
 その言葉が喉元まで来たのに、どうしても音として発することができなくて、胃の中に戻っていく。
 こんなにも簡単な二文字すら、伝えることができない臆病者の自分に嫌気が差した。
「じゃあ、好きになりたいって思う?」
 首を傾げながら尋ねてくる稔莉。
 灯子のことを好きになりたいかどうかなんて、考えたこともなかった。
 振り回されてうんざりする部分は多いが、自分の思いを素直に言える分、確かに一緒にいて楽ではある。だからと言って、好きではないし、好きになりたいかどうかは……正直わからなかった。
 答えられずにいる僕を見て、彼女はまた冷静に話す。
「好きになりたいとか、一緒にいたらどうなるだろうって、楽しみな気持ちがあるのなら行った方が良いと思う。でも、今相手を好きでもなく、好きになりたいとも、その人を知りたいとも思わないのなら、ただ告白されたからって理由で相手を期待させるような行動をとるのは失礼だと思うよ」
 その言葉を聞いて、僕は途端に恥ずかしくなった。まるで自分が失礼な人間であることを、好きな人に堂々と暴露したような形になっている。
 何とか挽回しようと、ぐるぐる思考を巡らせた。
「好きではない……けど、気楽な相手かも。好きになりたいかはわからない、かな」
 中途半端な回答しか出てこなかった。だが、それが本心ではないことを僕は理解していた。
 好きな人は稔莉であるし、好きになりたいかわからないと伝えることで、僕に彼女ができる可能性を想像してもらい、それに少しでもモヤモヤしてもらえたら……なんて甘い考えは妄想の世界だけで済ませておくべきなのに。
 それ以外に、初恋を拗らせた中学生の僕が、稔莉に好意を伝える方法は思い浮かばなかったのだ。
「それなら行くべきじゃないかな。行く前から気持ちが決まっているのに遊びに行くのはどうかと思うけど、行くことで、自分の気持ちがはっきりするのなら、行った方が良いと思うよ」
 稔莉はなんて〝良い子〟なんだろう。これで僕が本気で恋に思い悩んでいるのならば、稔莉は本当に良き相談相手であるはずなのに、君を好きな僕にとっては残酷な答えでしかない。
「……そうだね。じゃあ、とりあえず行ってみるよ。ありがとう、稔莉。でも僕、恋愛とか女心とか、全然わからなくてさ……また相談に乗ってくれないかな」
 終わりに近づくにつれて、どんどん声が小さくなる。ここまで来て、ただ話を聞いてもらって帰る関係にはなりたくなかった。
 最後の足掻きだ。何とか繋がりが欲しくて、言葉という空気を伝い、稔莉に向けて見えない手を伸ばす。
「……いいよ。いつでも側にいるから、何かあったら抱え込まずに教えてね」
 それじゃあ、と稔莉は右手を挙げて、駐輪場から立ち去る。
 ああ、と声にもならない声で、僕も同じように手の平を見せ、その姿を見送った。
 また相談に乗ってくれるんだ。いつでも側にいるって。それに、何かあったら抱え込まずに教えてだなんて。
 どこまで優しいのだ稔莉は。こんなにも優しくしてくれるだなんて、彼女も僕に気があったりするのではないだろうか。
 まるで夢心地のように浮かれた僕は、そのまま何も考えずに自転車を出す。無意識に帰宅ルートへ進みながらも、頭の中は先程の時間を延々と繰り返していた。
 そこでふと、連絡先を交換していないことを思い出す。せっかく無理やり繋げた関係も、これではどうすることもできない。
 慌てて引き返し、駐輪場へ自転車を停め、最後の挨拶をしているであろう塾の中へと駆け込むも、彼女の姿は見当たらなかった。
「あれ? どうした藤倉、忘れ物か?」
 先生に見つかり、声をかけられたが、言い訳を何も考えていなかったため、その質問はある意味有難かった。
「あ、まあ、はい」
 僕は適当に塾内の机の中を覗きながら、授業をしている部屋以外の教室を見回る。だが、やはり彼女はもう既に帰ったようで、もう一度会うことはできなかった。
 先生に最後のお礼を伝え、塾を出る。駐輪場で、また奇跡が起こらないかと願うも、それが叶うことはなかった。
 何となく、察しはついた。振られたのだ。失礼で格好悪い僕の要望に対し、傷つけないよう上手く言葉を選んで避けられた。
「なんだよ……」
 期待した分、突き落とされた気がして僕は駐輪場に落ちていた小石を蹴り飛ばした。
 カンッと誰かの自転車に当たる音がする。
 ああ、これだから自分は振られるんだ。もうどうにでもなれ。
 そう考えながらも、どうしても稔莉が嘘をつくような人だとは思いたくなくて、心のどこかでまた出会える奇跡を望んでいた。
 とにかく、新たな悩みでも用意して待っていよう。もし稔莉と会えないのであれば、灯子と付き合っても……。
 そんな思考が脳裏をよぎったが、今その答えを出すのはやめようと思い留まった。
 明日の自分に任せよう。なるようになれ、と。
 夕日が沈み、星が瞬き始めた。
 空気が冷たくなる中、温かい夕食とシャワーを済ませる。
 そうしてその日は、曇りがかった心に布団を被せ、眠りについた。