「ほら祐司くん! 隣座って!」
 公園のベンチに腰掛け、ここに座れと命じるように、隣をペチペチと叩く灯子。
 誤算だった。灯子がこれほどまでにしつこい奴だとは思ってもみなかった。
 何があったかは、説明しなくてもわかるだろう。あれだけのことを伝えたにも関わらず、灯子は「でも」とか「だって」とか、様々な言い訳や今までの人生についてなど、どこまでも着いてきて語るのだ。
 一切無視し続けたものの、空気を読めないのか、僕のことを気にする様子は欠片もない。
 ついに家にまで辿り着きそうだったため、無視するのを止め、着いてくるなと言うと、どうやら灯子の思う壷だったらしく、にんまりと笑って「やっとこっち見たね」と言われた。
 完全に嵌められている。彼女には敵わないのだとその時思い知らされた。
 その後すぐに、デートに行こうと誘われ、半ば強引に公園へと連れて来られた。もうどうにでもなれと思いながら、昼食も食べないまま座らされたベンチの隣で、灯子は嬉しそうに笑っていた。
「公園デートって憧れだったの。こうしてぼうっと公園を眺めてお喋りしたり、一緒にブランコに乗ったりね。本当はブランコに乗りたいんだけど、変に動かしちゃって、あたしのことが見えない人を驚かすのも可哀想かなと思って」
 あれだけ強引に人を振り回しておきながら、他人には変に優しいのかと呆れてしまう。
 優しいというよりも、怯えられることが怖いのかとも思ったが。
 いずれにせよ、「そうだね」なんて一つも共感していない冷めきった声で答える僕は、彼女よりももっと冷酷な人間なのかもしれない。
「んー、でもやっぱり乗りたい! そうだ、祐司くん! 二人乗りしようよ! あたしが立ち漕ぎするから、祐司くんは座って!」
「はあ!?」
 有無を言わさず、ブランコまで駆け寄っていく灯子。子供は学校にいる時間のため、一人ぼっちでブランコに乗る中学生を馬鹿にしてくる奴はいなかったが、犬を散歩させている人や、お喋りを楽しむ近所の年配の方からは明らかに変な目で見られるだろうと容易に想像できる。
 何よりブランコなんて小学生以来乗っていない。しかも、二人乗りでブランコなんて、ほぼ初めてだ。女子がよくやっている姿は何度か見たことがあるが、そもそもそこまでブランコに興味はなかったし、着席部分があんなにも狭いところに、どうやって二人で乗って漕げるというのだと、客観的に見て思っていた。
 それを今中学生が……いや、一ヶ月後には高校生になる僕が女子と二人で乗るだなんて。
 そんなことを考えているなど、灯子は気づきもしないようで、ブランコのチェーンを持ちながら「早くー!」と叫んできた。
 周りの人々はそんな声は一切耳に入っていないようで、何一つ変わらない空気が流れている。
 そんな中、灯子の声に反応することにどうしても躊躇してしまい、明らかに嫌そうな表情だけを浮かべて、渋々ブランコのところまで歩いていった。
「はいここ、座って?」
 嬉々とした表情で指を差された場所に腰掛ける。錆だらけのチェーンを持ち、そのまま待っていると、僕の背中側から「ほっ!」っと声を出しながら、僅かに空いた板の上に両足を乗せて彼女は立った。
「いくよ! せーのっ」
 ぐんっとブランコが動いた気がした。何となく冷気が伝わる程度で触れてはいないはずなのに、物には反応できるのか、ブランコは動かされている気がする。
 僕もリズムに合わせて地面を蹴った。
 次第にブランコはスピードを上げ、体が前に飛んでいきそうなほど高くなる。
 公園内の木々と同じ高さになった気分だった。近くの道路を走る車も、住宅街の屋根も見える。
 湿気を含んだ重たい空気も、体に当たる時には心地よいほど春の風となり、全身を駆け抜けていった。
 ブランコなんて本当に久しぶりだ。こんなにも体が軽くなるものだったのか。
 背後からは、「きゃはは」と子供のようにはしゃぐ声がする。
 勢いが増し、スカートが風に乗って舞い上がった。それはすぐ前にある、僕の後頭部に冷たく触れる。驚いて、声も出せなかったが、思わず力が抜けてしまい、チェーンから手を離してしまった。
「うわ!」
 そのまま遠心力に乗ることはできず、僕は無様にブランコから滑り落ちる。
 ズリズリと下の固いマットのような部分に手と膝を擦らせた。
「ってぇ……」
 膝を抱えていると、灯子が「大丈夫!?」と言いながらブランコの勢いに合わせてふわりと宙に浮いた。
 ところが、誰も乗せないブランコは未だに止めることができず、そのまま僕の方に目掛けて返ってくる。
 痛みに集中していたため、避ける間もなかった。先程まで二人で乗っていた、あの板が、僕の鼻の先まで近づいてくる。
 反射的に、ぎゅっと目を閉じた時だった。
「カシャン……!」
 チェーン同士が当たったような、音がした。
 幸い僕の顔に衝撃はなく、もしや灯子が止めてくれたのではないかと瞼を開けてみる。
 するとそこには、灯子とは違う制服を着たツインテールの女の子がいて、ブランコのチェーンをしっかりと握りながら、動きを制止してくれていた。
「祐? 大丈夫?」
 振り返りながらそう言うツインテールの女の子の声は、小鳥の(さえず)りのように、高く優しい。
 そんな人に名前を知られていることに一瞬驚いたものの、顔を見るとすぐにその正体に気づいた。
稔莉(みのり)?」
 目尻が垂れ下がり、穏やかな表情の彼女を認知した瞬間、心臓がどくんと跳ねて、体が一気に熱くなる。
 こんなところで会うなんて思ってもみなかった。しかも、ブランコから落ちるなんて、みっともないところを見られてしまい、本当にタイミングが悪い。
 格好悪いと思われたかもしれないと、合わせる顔もなく視線を逸らした。
「……あんまり危ないことしないでね」
 優しい言葉が余計に辛い。
 この人にだけは見られたくなかったと心底思った。
 理由は単純なものだ。稔莉は僕の初恋の人なのだ。
 同じ幼稚園に通っており、お互いを「祐くん」「稔莉ちゃん」と呼び合う、園内でも有名なカップルと言われるほど常に一緒に過ごしていた。
 幼稚園児の恋愛なんて、そう長続きしないと誰もが思っていただろう。実際、親同士もそこまで仲が良いわけではなく、小学校や中学校も別だったため、無理もない。
 僕も当時、そこまで恋愛を意識していたわけもなく、可愛いと思う気持ちはありながらも、特別仲が良くて大好きな友達のような認識だった。
 別れを惜しみながらも卒園し、その後は当然疎遠になった。だが、中学に入学したての頃に入った塾で、僕は稔莉と再会したのだ。
 一目で稔莉だとわかった。癖毛だった髪は、カールをつけたように美しく流れており、すらりと伸びた足は細く綺麗だった。
 稔莉は幼少期よりも確実に可愛くなっていて、初めは目を合わせることもできなかった。だが穏やかな笑顔や優しい雰囲気は当時と変わらず、稔莉から話しかけてくれたこともあり、度々話す仲になったのだ。
 しかし、男女問わず人気のある彼女と話すことは、僕のような人間が堂々とできるはずもない。
 取っている塾の授業が終わってからも、稔莉は毎日最後まで残って勉強していることを知ってから、彼女と時間を合わせるようにして僕も自習室にこもり、凡そ同じタイミングであろう時間に塾を出て、駐輪場で軽く話す日々が続いた。
 このたった一、二分の会話を楽しみに、毎日塾に通いつめた。
 残念なことに、授業の担当者が被ることはなく、同じ教室内で過ごすことはほとんどできなかったが、少しでも稔莉と話せるのであれば十分だった。
 高校は同じところへ行きたかったが、中学一年の頃から、彼女は僕より遥かに賢い女子校を目指していたため、手立てはなかった。
 結果は聞いていないが、きっと彼女は受かっているのだろう。
 私立専願で受験した彼女は、塾に顔を出すことがなくなったものの、丁度明日の昼頃、塾の卒業パーティがあるため、久々に会えることを楽しみにしている時だった。
「ごめん」
 ボソッと呟いてから、少しでも名誉挽回できるよう、痛みなんてなかったかのような振りをして、僕は立ち上がり、砂を払った。
「ううん。じゃあね」
 大丈夫そうだと認識されたのか、そのまま立ち去ろうとする稔莉。
 でも、どうにかもう少しだけ話したくて、僕は聞いた。
「あのさ、明日塾の卒パ行く?」
 聞こえておらず、そのまま帰ってしまったらどうしようかと、心臓が何度も激しく脈を打ったが、無事耳には入っていたようで、稔莉はくるりと踵を返してくれた。
 その表情は眉が八の字に下がっており、明らかに困っているということを瞬時に理解できる。
「ごめんね、行きたかったんだけど、行けないんだ」
 彼女ははにかむような笑みを浮かべ、顔にかかった後れ毛を耳にかけた。
 そうか、行けないのかと、僕は落胆する。明日で会えるのは最後だろうに、どうしたら良いのかわからなくなって、「そっか……」と素っ気ない言葉しか出てこなかった。
 それを表には出すまいと思っていたものの、自然と稔莉には伝わってしまったのかもしれない。
「でも、先生たちに挨拶だけは行こうと思ってるよ。だから、いつもの時間に駐輪場にはいるかも」
 慌てたように言う稔莉を見て、また変に気を遣わせてしまったと不甲斐なく感じる。
 だが、明日もまた会えるのだと思うと、落ち込んだ気持ちが一気に跳ね上がるのがわかった。
 きっとこういう感情が、勝手に外へ出てしまっているのだろうなと思う。
 どうにか誤魔化すために、視線を逸らしながら「あー、そうなんだ」と呟いた。
「うん。だから、私の分まで卒パ楽しんでね」
 稔莉が手の平を見せてくる。ひらひらと振ることもないその手を上げた時が、稔莉と僕の別れの合図だった。
「了解。またどんな感じだったか話すよ」
 次に会う予定もないのに、漠然とした約束を取りつけ、同じように軽く手を挙げる。
 稔莉は笑って公園を出ていった。
 途端に足がじんじんと痛み始め、端の方に移動して屈み込む。
 ズボンを捲って膝を見ると、ズリズリと擦った縦線ができており、血がズボンの裏側にまで滲んでいた。
「あー怖かったね」
 今までどこにいたのかと思うほど、存在を忘れていた灯子が姿を現して話しかけてきた。
 元はと言えば灯子のせいでこうなっているのに、と少しだけ彼女を睨む。だが、そのおかげで稔莉と会えたのかもしれないと考えると、プラスマイナスゼロかと思い、大きなため息を一つついて水に流した。
「本当に散々だよ。で、満足した? そろそろ帰っても良い?」
 ふわふわと舞う灯子に向かって言う。振り回されている分、自分の気持ちは気軽に言いやすい相手だと思いながら。
 すると灯子は、また考える素振りを見せる。またも諦め悪く振り回されるのかと思いきや、意外にも彼女はすぐに頷いた。
「今日はもう良いや! でもまだ行きたいところがあって。そこに今度行こうよ! 明日空いてる?」
 こいつ、さっきまでの稔莉との会話は聞いていなかったのかと思わずガックリくる。明日は卒業パーティがあると話していたではないか。
「明日は塾の卒パがあるから無理。明後日は空いてるけど……」
「あ、じゃあ明後日ね! 中学校前に集合で! 祐司くんの都合の良い時間で大丈夫だよ。来なかったら迎えに行くから安心してね!」
 間髪入れずに話を進められた。明後日が空いてるなんて言わなければ良かっただろうかと思ってしまう。
 だが最後の言葉を満面の笑みを浮かべて言う彼女に、少しだけ背中に冷たいものが流れたような気がして、思わず頷いてしまった。
「やったー! じゃあ、また明後日ね!」
 そう言い残した灯子は、空中でスキップをしながら、嬉しそうに笑い、どこかへ帰って行った。
 とりあえず延々とつきまとわれることだけは避けられたようで、安堵する。
 だが、どうしようか。灯子と付き合う気は全くないわけだが、このままだと今日のような調子がずっと続きそうだ。
 付き合ったら未練解消ができ、灯子はあの世へ、僕は解放される。だが、好きな人である稔莉に誤解されたくはない。
 いっその事、稔莉に相談してみようか。幽霊に、と伝えるかはわからないが、女子に告白されたことについて。あわよくばそれを聞いて嫉妬してくれないかな、なんて。
 馬鹿なことを考えている自分の頭を、ぶんぶんと左右に振る。
 そんな邪念を洗い流すかのように、ポツポツと雨が降ってきた。
「やべ……」
 風邪を引いて、明日稔莉に会えなくなるなんて、たまったもんじゃない。
 大粒になる前にと、僕は公園を抜けて走り出した。