しかし、その次のお葬式には出席しませんでした。

バイトがあると理由をつけて。


しかし、本当はお葬式に出れなかったのです。

出たくなかったのです。


なぜなら、〇〇ちゃんが亡くなったという実感がなくて、お葬式へ行ってしまったらまだ整理もできていない気持ちを無理やり押さえつけるみたいになりそうで。


それに、SNSのフレンドには、そのコのアカウントがずっと残っているから。

ログインされることのないまま、〇〇ちゃんはSNSのアカウントとして残っているから。


だからわたしは、〇〇ちゃんの死を受け止めることができませんでした。


それから何年もたった今でも、わたしのSNSのフレンド覧には〇〇ちゃんの名前があります。


それを見るたび、〇〇ちゃんが亡くなったのは夢かなにかではないかと思っしまう。