夏に痛み始めた心の古傷は、
秋の始まりになっても未だにズキズキする。
朝の少しだけ涼しくなった空気を吸っても、
忘れられない君は今、何をしていますか?



「今、誰になに言われても心に響かない」と夏の終わりに君に言われたことをまた思い出した。

 大学生2年生になり、半年近くが経つ。
 開けっ放しの窓から、冷たい風が入り、レースのカーテンが午後の柔らかい光の中を泳いでいる。

 私のワンルームの部屋には、白いローテーブルと本棚代わりにしている小さめの白いカラーボックス、そして朝整えたままのベッドしかなかった。大学生になり、ミニマリストを目指した私の部屋は空っぽに近かった。と言っても、ローテーブルには閉じたままのMacBookと、スタンドに置いたままのiPad mini、テーブルに置いたままのAirPodsとiPhone。そして、その隣に読みかけの文庫本。
 さらにテーブルの上には、コーヒー牛乳が入った白いマグカップは存在しているし、クローゼットの中には、お気に入りの服が何着も入っている。
 
 だから、よくYouTubeとかでみる完璧なミニマリストではない。ただ、垢抜け部屋にしたくて、ミニマリストの人たちの部屋を参考にしたら、こうなった。
 そして、ミニマリズムを維持して1年半くらい経ってしまった。そして、この秋、もうすぐ私は20歳になる。
 
 ベッドを背もたれにして、私はローテーブルと、ベッドの間で座りながら、ぼんやりとしていた。頭の中は水槽の中で無重力になっているみたいで、このまま透明になってしまうんじゃないかって思うくらい、意識はふわふわとしていた。

 マグカップを手に取り、私はコーヒー牛乳を一口飲んだ。 

 君――。
 凪斗(なぎと)くんにそう言われてから、私の心の中は今日も雨が降り続いていた。

 凪斗くんはあの日以来、大学に来なくなった。
 別に付き合っているわけでもない。ただ、ゼミが一緒なだけだし、急に大学に来なくなることなんてよくあることだと思う。

 だけど、なぜか凪斗くんのことが気になって、気狂いするくらい、気になって仕方ない。
 マグカップをテーブルに置いたあと、iPhoneを手に取り、LINEを起動した。そして、凪斗くんとのトークを開いた。
 
 《心配だから連絡くれたら嬉しいな》
 と3日前の夜に送ったメッセージに既読がついていた。時間が経ち、3日も未読のまま忘れられていたはずのそのメッセージに既読がついただけなのに、私はそれだけでまだ、見放されていないんだと思い、少しだけ安心した。

「読んでくれたら、返事くらいしてくれてもいいのに」
 今まで他人にあまり干渉したいと思ったことなんてなかった。だから、自分がそんなことをぼそっと言うと思わなくて、少し驚いた。




 夏の真夜中の公園は蒸し暑く、ローソンで買ったPAPICOのチョココーヒー味を分け合うのに最適な気温だった。凪斗くんはPAPICOの袋を開けて、ふたつに繋がったままのPAPICOを取り出した。

「あんまり、こういうことしたことなんだ」
「意外だね。友達多そうなイメージなのに」と言って、私の右隣に座っている凪斗くんは微笑んだ。ツーブロックにパーマがかかった横髪が微温い夜風で揺れていて、街灯で白く薄暗い世界の中でも、くっきりとした目や、しゅっとした鼻先、そして、薄めの唇が闇の中で凪斗くんの輪郭を作っていた。

「多くないよ」
「だって、いつもゼミで女子同士、固まって話してるじゃん」
「あれは社交辞令」
「意外と冷たいんだね」と言って、凪斗くんはPAPICOをちぎり、ふたつをひとつにして、それを私に渡してくれた。受け取ったPAPICOは冷たくて、気持ちがよかった。
 凪斗くんは、PAPICOのプラスチック容器の先をちぎって開けたから、私も同じように容器の先をちぎった。昼間の夏の日差しは嘘みたいに住宅街の中にあるこの小さな公園は静まりかえっていた。

「あ、そういう意味じゃないよ。本音で話したくないときだってあるよ、誰だって。俺だって双子の妹にしか本当のこと話せないな」
「えっ」
 別に凪斗くんに双子の妹がいるってことを聞いて、驚いたわけじゃない。それは、さっきご飯を一緒に食べたファミレスでとっくに聞いている。
 私は『本音』という言葉に思わず反応してしまったんだ。
 私はいつの間にか、本音で他人に何かを話すことができなくなってしまった。原因は自分でもわかっている。昔から、周りに顔色をあわせるようにしてきたからだ。だから、心の底から親友と呼べる友達なんて、私には存在しないし、20歳になろうとしているのに、恋愛すら上手く踏み出せないままでいる。
 
「冬菜(ふゆな)さん」
「――なに?」
 凪斗くんはそのあとなにも言わずに、右手に持っているPAPICOの先を私のPAPICOの先に弱く当てた。

「変なの」
「いいじゃん。アイスで乾杯」
 凪斗くんは笑いながらそう言ったあと、PAPICOを咥え、食べ始めた。だから、私もPAPICOを咥え、右手をそっと握ると、中に入っているチョコレート色したアイスが容器を上がり、口の中にシャーベット状の甘さがいっぱいに広がった。
 こうして男の子とふたりで、夜の公園でアイスを食べているのがとても不思議に感じた。

 私は大勢の中に溶け込むのは得意で、自分を出すのは苦手で、気がついたら他人に顔色ばかりあわせることが得意になり、その結果、つまらない人間になったと思う。
 こんなつまらない私のことを凪斗くんはもの好きだと思う。凪斗くんに帰り際に声をかけられて、そしてそのままファミレスでご飯を食べた。そのあと、ローソンでPAPICOを買って、今、ふたりきりで公園にいる。
 
「悪かったな。おかげで少しだけ寂しさとか、悩みが癒えた気がする」
 凪斗くんは静かにそう言ったあと、またPAPICOを口に咥えた。そんなこと急に言われたから、私は思わずドキッとした。急に心拍数が上がり、胸の中で低い音が鳴り響いている。
 誰だって寂しくなることなんてあると思う。だけど、私にはその感覚が欠如してるんじゃないかって、たまに思うことがある。それだけ、ひとりきりに慣れてきたし、あまり友達と一緒にいたいとも思わなくなっていた。

「いいよ。私で寂しさ紛らわすことできたならよかった」
「――ありがとう。冬菜さんのこと、思い切って誘ってみてよかったわ。しかも名前呼びも許してくれたし」
 だって、急に名前で呼んでもいいって言い出したのそっちのほうじゃん。
 ただ、そのおかげで凪斗くんと仲良くなれたような気がした。私はそんなことを思いながら、凪斗くんに緊張していることを悟られないように、もう一口、PAPICOを口に含んだ。
 
「――失恋でもしたの?」
 私はそう言ったあと、自分が失言してしまっていることに気がついた。内心、慌てて思わず凪斗くんを見ると、凪斗くんはなにもなかったかのようにPAPICOを口に咥えいた。そして、半分に減ったPAPICOを口から離して、そっか。と言ってふふっと笑った。笑った意味がわからなくて、どうしようと、ますます私の内側は騒がしくなった。
「ある意味、失恋かもなって感じ。片方がいなくなるって、肉体的苦しみなんてないのに、なんでこんなに寂しいし、つらいんだろう」
 そう言ったあと、また凪斗くんは微笑んだから、私はこれ以上、聞くことを諦めることにした。

「――元気だして」
「ありがとう」
「よく事情はわからないけど」
 と私が続けると、だよなと言って、また凪斗くんは笑った。そして、またPAPICOを口に咥え、残っていたPAPICOを綺麗に食べ切った。微温い夜風がまたぶわっと吹いた。凪斗くんの前髪もかすかに揺れて、なんでかわからないけど、私はそれに寂しさを感じた。
 
「ただ、今、誰になに言われても心に響かないかな」
 凪斗くんはため息を吐いたあと、上を向いた。夜空を見つめる凪斗くんは空っぽに見えた。




 そうした経緯で、凪斗くんと夏の終わりにそんなことを共有した。
 秋が始まって一週間が経った今日、毎週会っているゼミに凪斗くんは来なかった。というか、あのあと、2~3日、LINEでやり取りもしたのに、4日目に急にやり取りが止まってしまった。
 
  そして、5日、6日と時が過ぎ、7日目になった今日、ようやく既読がついた。

 左手にiPhoneを握ったまま、ローテーブルに置いてある白いマグカップを手に取り、コーヒー牛乳をもう一口飲んだ。だけど、既読がついたこと以外、なにもほかには変化はなかった。
 私は今まで、こんなに他人のことなんて、気になったことがなかった。ただ、あの日感じた凪斗くんとの親密感と、どうしてあんなに寂しがってたんだろうということが、この1週間、心の中でなぜか引っかかっていた。

 マグカップをテーブルの上に置いたあと、ため息を吐くと、あの夜、凪斗くんが吐いた、ため息のことを思い出した。もし、ため息の色がわかったら、きっと凪斗くんの悩みをもっと深く知れたかもしれない。だけど現実は無色透明で、失恋のピンク色しているわけでもなかったし、悲しみの青色をしているわけでもなかった。
 
 そんなことを思ってたら、凪斗くんから、
《放置したいわけじゃなかったけど、結果そうなってごめん 来週には帰れると思うから、どこかのタイミングで話、聞いてほしい》とメッセージが来た。

 一気に心拍数が上がったのを感じながら、私はメッセージの内容について少しだけ考えた。来週には帰れるって、どこに行ってるんだろう。放置したいわけじゃなかったのに、なんでそうなったんだろう。そして、その状態で私に話たいことがあるんだ――。

 3日待って、このメッセージが届き、短いこの文章だけで、より状況がよくわからなくなったし、ものすごく、凪斗くんのことが気になった。聞きたいことはたくさんあるけど、私はそのことには触れないことにした。

 《いいよ タイミングよくなったら教えて》とだけ打ち込んだ。

 たったそれだけの短い文章なのに、メッセージを送信する前に何十回も読み返し、確認した。そして、何十回もメッセージを読み直した結果、きっと凪斗くんのことを傷つけないだろうと思い、息を止めて、右手の人差し指で、メッセージを送信した。
 その送信したメッセージをもう一度見て、もしかしたら、冷たかったんじゃないかって思ったけど、すぐに既読がついたから、ちょっとした後悔を諦めることにした。




 結局、その日からまた4日も経ってしまった。
 月曜日が始まり、火曜日になっても凪斗くんからメッセージは届かなかった。その間、私は淡々と日常をこなし、凪斗くんからのメッセージを待った。
 その間も凪斗くんのことが気になり、気がつくと日常のなかでぼんやりとしているとき、凪斗くんのことをずっと考えていた。

 6限を終え、夕食をスーパーで買って、家に帰ってきた。玄関の照明をつけると、通路沿いにあるキッチンの先の部屋は真っ暗だった。一度かがんで、黒のコンバースの靴紐をほどき、そして靴を脱いで、数歩歩いて冷蔵庫の前に着いた。スーパーで思わず買ったPAPICOのホワイトサワー味を袋から取り出し、とりあえず冷凍庫にいれた。

 暗いままの部屋に入り、部屋の右端にある間接照明をつけると、昼間は白くて無菌室みたいな印象のいつもの部屋は、電球色で少しだけ暖かく感じた。そのあとバッグをローテーブルとベッドの間におろし、一度玄関のほうまでいき、玄関の照明を消し、再び部屋に戻った。そして、バッグからiPhoneを取り出し、朝、整えたままのベッドに私はそっと座った。

 黒かったiPhoneの画面をタップすると、凪斗くんから新着メッセージがあると、表示されいたから、その通知を冷静にタップした。




 iPhoneを左手にバトンにしながら、夜の住宅街を駆け抜けて、たどりついた11日ぶりの公園は夜の底みたいに静かだった。
 9月の中頃になったのに、まだ夏の熱気は残っていて、額にかすかに汗が滲み、私は走ったことを後悔した。誰もいなくて薄暗い並木道に入り、私は走るのをやめて、ゆっくり歩き始め、そして、少しだけあがった息を整えた。
 
 11日前に座ったベンチが見えてきた。ベンチはLEDの街灯に照らされていて、まだ、誰も座っていなかった。
 家から持ってきたPAPICOのホワイトサワー味が入った小さいビニール袋をぶらぶらさせながら、ベンチの前まで歩き、そしてベンチに座った。
 上を向くと、夜空は都会の明かりで薄く白く濁っていた。左側には月が出ていて、月は左側の5分の1が黒くなっていて、あと何日か眠れば、満月になりそうだった。月のすぐ右側に見える一等星は、どの星なのかなんてわからないけど、わすかに青白く光っていた。
 
「都会って、なんでこんなに星が見えないんだろうな」
 声をするほうを見ると、凪斗くんが右手を胸くらいの位置で小さくあげながら、私の方へ近づいてきた。私はまた、なぜだかよくわからないけど、『おかげで少しだけ寂しさが癒えたよ』と言われたときのように急に心拍数が上がり始めた。
 凪斗くんになんて返せばいいのかわからなくなって、黙ったまま凪斗くんをただ、見つめるだけだった。その間に凪斗くんは私の右隣に座った。

「地元だと、数えられないくらい星なんて見えるのにな」
「そんなに田舎なの?」
 私は自分の意に反して、尖ったことを言ったのを後悔した。
「新幹線で1時間ちょっとの山の中だよ。はい、これ」
 と言って、凪斗くんは手に持っていたカフェオレの缶を渡してくれた。
「――ありがとう。気が利くね」
「俺が呼び出したからね。それくらいしないと」
 凪斗くんはそう言って優しく微笑みながら、前を向いた。そっか、話が始まる前に渡さないと――。私はもらったカフェオレの缶を左側のベンチの上に置いた。そして、ベンチに置いていた袋からPAPICOを取り出し、ビニール包装を開けた。

「お、PAPICOじゃん」
「こういうとき、いいよね」
 そう返しながら、2個で1つのプラスチック容器をちぎり、白いホワイトサワー味が入っている片割れを凪斗くんに渡した。
「ありがとう。俺、昔からPAPICO好きなんだ」
 好きって言葉に私は思わず、びくっとなった。PAPICOが『好き』って彼は言っただけなのに、私はなんでそんなことで反応しちゃったんだんろう――。
 
「どうして、好きなの?」
「よく妹と分けあってたんだ」
「へえ。そうなんだ」
「だから、ふたりで食べるにはすごくいいのは知ってるんだ」
 凪斗くんはそう言いながら、PAPICOの先をちぎった。だから、私も同じように右手で先をちぎった。そして、右手の平にちぎったプラスチックを乗せたまま、凪斗くんの前に手を差し出した。

「先端、もらうね」
「優しいね。気が利く」と言って、凪斗くんは私の手のひらにPAPICOの先端をそっと置いてくれた。やっぱり、凪斗くんは女慣れしているような気がする。そんなことを思いながら、私はそれらをビニール袋のなかに入れた。
 そして、それを見計らったかのように、そのあと凪斗くんは、11日前と同じように左手に持ったままの私のPAPICOの先に凪斗くんのPAPICOの先を当ててきた。

「よく、こうやってたんだ」
「アイスで乾杯」と返すと、凪斗くんはふふっと笑ったあと、PAPICOを口に咥えた。だから、私も同じようにPAPICOを咥えて、一口食べたあと、口からPAPICOを離した。

「なあ、冬菜さん」
「なに?」
 別に意識なんてしてないけど、なぜか私はそっけなさそうな返事をしてしまった。
「怒ってるよな。悪かった」
「いや、別に怒ってないんだけど」
 本当に怒ってなんかいない。むしろ、緊張して、あまり上手く返事をできていないだけなんだよ。だけど、やっぱり自分でも感じていた通り、凪斗くんに対して、少し冷たい返しになっているのかもしれないと思った。

「ようやく、会える状態になったんだ。今も完全に立ち直ってるわけじゃないけど、冬菜さんには話したいなって思ったんだ」
「へえ。そうなんだ」
 結局、私はそう言われても、緊張で返す言葉が見当たらず、またそっけない返事をしてしまった。私のいつもの悪い癖だ。いつも話す友達でも、こういう雰囲気の真剣な話になると、私なんかが何かをアドバイスしたり、その人の本棟の悩みなんて聞いていいのかなって、無意識に思ってしまい、大体、こういうときはそっけない返事をしてしまう。
 それで、本当に聞いてるの? って言われたり、私が傷ついたり、そして、今まで普通だった関係が簡単に壊れた。

「――そうなるよな。ただ、あの日、メッセージもらったのは嬉しかったよ」
 きっと、《心配だから連絡くれたら嬉しいな》と凪斗くんに送ったメッセージのことだと思う。凪斗くんがなにかに悩んでいて、『今、誰になに言われても心に響かない』って言われたから、単純に凪斗くんのことが心配になってそう送っただけだよ。

「――なにに悩んでるかわからなかったし、あんなこと言われて、すごく心配になっただけだよ」
 その私のメッセージに対して、返信も来なかったし、既読すらつけてくれなかったじゃん。と思わず続けていいそうになったけど、頭の中で勝手にリミッターがかかって、そんなこと凪斗くんに言えなかった。

「本当はあのとき、胸のうちを話そうと思ったんだ。だけど、まだ一回しかご飯食べたことがないし、関係性が浅い冬菜さんにこんなこと言っていいのかなと思ってためらったんだ」
「――別にためらう必要なんてないのに」
 今まで、他人のそういうことを知りたいと思ったことがなかった。だけど、凪斗くんのその悩みはなんでかわからないけど、すごく気になって、知りたくて仕方なかった。
「ありがとう。冬菜さん、優しいからそう言ってくれると思ったから、今日、冬菜さんに会うことにしたんだ」
 私をじっと見つめて、そう言う凪斗くんは一体、何を根拠に私のことを優しいと思っているんだろう。そして、なんで私なんかに心を開こうとしているんだろう。
 
 ――だけど、凪斗くんのこと私は知りたい。

「――いいよ。私に教えて」
「妹、双子の片割れだったんだけど、もう、この世からいなくなっちゃんだ」
 凪斗くんが静かにそう言ったあと、世界が揺れたかと思ったけど、揺れているのは私の意識だった。ただの失恋話かもしれないと思ってた私はバカだったと思った。

「重い話になったよな」
「――違うよ、つらいね」
「すごいつらいよ。――事故に巻き込まれたんだ。それで、意識ない状態が続いていたんだ」
「そうだったんだ」
「一緒にいるはずの存在が急にいなくなるのって」
 凪斗くんはそう言い終わったあと、ため息を吐いた。そして、なにもなかったかのようにPAPICOを咥え、一口食べ、口元からPAPICOを離した。
 私は次になんて言葉をかければいいのかわからなかった。だから、素直にこう返すことにした。
 
「――ごめん、なんて言葉かければいいのかわからない」
「だよな。聞いてくれただけで十分だよ――。あのとき、『なに言われても心に響かない』とか言って悪かった」
 私はそう言われて、少し驚いた。凪斗くんは私に言ったそんなこと、気にしてなんていないと思ってたから、まさか、そのことについて謝られるとは思わなかった。

「――そんなこと、気にしなくていいのに」
「いや、あのあと、冬菜さんによくないことしたなって思ったんだ」
 だけどね、そう言われて私は凪斗くんのことが気になったんだよ。素直にそう言えるかわからないけど、ここ最近思っていた本音を言葉にしてみることにした。
 
「大丈夫だよ。――ただ、あのあと、凪斗くんのことが心配だった」
「ありがとう。十分伝わってたよ」
 そう言ったあと凪斗くんは弱く微笑んだから、私はまだ、凪斗くんには無理してほしくないなって思った。
 君の心の傷が癒えるまで、私は君の話をしっかり聞くよ。

 そう伝えようとする前に、凪斗くんはそっと私の右手を繋いだ。