その後は、なぜだか気まずくなってしまい、すぐさま二手に別れる2本道で別れた。

 「また明日ね」と僕に投げかけられた言葉が、日常のひとつとなっていることになんの違和感も感じなかった。

 本物の彼女は今もどこかで眠っているはずなのに...

「ただいま」

「あら、おかえり。今日は少し帰ってくるのが遅かったわね」

「あぁ、ちょっと遠回りして帰ってきたんだ」

「そうなのね。てっきりお友達と遊んできたのかと思ったわ」

「連絡入れておけばよかったね。ごめん」

「いいのよ。さ、手を洗ってご飯にするわよ」

 父を5歳の頃に病気で亡くして以来、母は女手一つで僕のことを育ててきてくれた。

 僕には兄弟がいないので、母と2人暮らし。何不自由なく暮らせているのは、母が夜遅くまで看護師の仕事をしているから。

 僕は今まで、母の顔が辛そうな表情をしているのを見たことがなかった。いや、正確には母が僕の前では気丈に振る舞っていたんだ。

 いつだったかは思い出せない。小学生くらいの頃だろうか。ある日、いつもより早く授業が終わり、寄り道せず一直線に帰宅をした。

 普段の僕なら、家に入った瞬間に「ただいま!」と声を出していたはず。でも、その日は違った。家の中からじんわりと感じられる悲しみに満ちた空気。

 当時の僕には細かくは理解できなかったが、只事ではないと本能が察知したのだろう。静かに靴を脱ぎ、家の中へと歩みを進める。

 父を失って以来、僕らの家の和室には父の仏壇が置かれている。

 1枚の襖越しに聞こえる啜り泣く小さな音。耳を凝らしていなければ、聞こえないくらいだった。

 気になったんだろう。小学生だった僕は、興味本位で襖を少しだけ開けてしまった。その先に誰がいるのか、頭ではわかっていたはずなのに。

「お・・・お母さん・・・」

 衝撃的だった。父が亡くなった日でさえ、眩しいくらいの笑顔を見せてきた母親が父の遺影を胸に抱きしめながら静かに声を殺して泣いていた。

 小学生の僕にとって、この光景は一生忘れられない記憶となってしまった。この時、初めて母も父の死を嘆き悲しんでいたのだと知った。何年も何年もずっと...

 手を洗い終え、コップを手に取って止めどなく流れてくる水をコップに溜める。

 冬になったせいか、蛇口から出てくる水ですら冷たくて手が凍えてしまいそうだ。

「玲、まだ〜?お母さん、お腹減ったよ〜」

 口に溜めていた水を吹き出してしまい、手元に置いてあったタオルで口元を拭く。

 タオルからは僕の制服と同じ甘い柔軟剤の香りがほのかに香った。