学校を出ると、既に太陽は沈みかけていた。オレンジに輝く陽光が、校舎の背後へと消えていってしまい、足元には長く伸びた黒い影がひとつだけ浮き上がる。
僕らは共に並んで歩いているのに、影は僕のしか地面には映らない。初めから分かっていたが、やはり寂しいものである。
隣にいるのに、この世界から省かれてしまっているのは。
並んで歩みを進めることおよそ5分。徐々に周りから人がいなくなり始めた。
「あ、あのさ」
「うん?」
何も変わらない彼女。その様子が、なぜか僕の心を打ち付ける。
「一緒に帰ってくれてありがとう」
「あ、うん。全然私は嬉しかったから。こちらこそありがとうね、立花くん」
「え!僕の名前知ってるんだ」
驚いてしまった。普通のことなのに、彼女が僕の名前を知っていることが嬉しかった。
「そりゃ知ってるよ。隣の席だし、何より唯一私を見つけてくれる人だからね。家族ですら、私を見つけられないのに君だけは・・・」
「ご、ごめん。迷惑だよね」
「違うよ。嬉しかったんだ。誰も私を見つけてくれなかったから。あの日もきっと勇気を出して話しかけてくれたんだよね。今だってそうだよ。側から見たら、君は1人で話しているように見える。でも、君はこうして嫌な顔せず、私と歩いてくれてる。ありがとう」
「あなたが好きだからです」と言ってしまいたい。でも、それを口に出してしまったら、下心があって近づいたみたいでいい気がしない。
「よかった。嫌われているとばかり思ってたから。教室でも僕、空気のような扱いだったから」
「違うよ! あれは、君に迷惑がかかるかもしれないと思って、あえてそっちを見ないようにしてたんだよ!」
「なんだ安心したよ。この前のことを聞きたいんだけどさ」
「うん」
「どうして目覚めたくないの? 人に気付かれないって辛くない?」
ずっと気になっていた。昨日はトラブルがあったせい、彼女とは逃げるように別れてしまった。
「辛いよ。人に気付かれないのは辛い。でも、それ以上に辛かったの」
今彼女が話そうとしているのは、彼女が僕と同じように普通の人として生きている時の話だろう。
何が彼女をここまで苦しめているのだろうか。
「私ね、昔から割となんでもできたの。運動にしろ、勉強にしろ。基本的に他人から『すごい!』って言われて生きてきた。前の学校では、生徒会長も務めて、文化祭の実行委員長も務めたりしていたの。でも、嫌だった。私は、普通に生きたかった」
「普通・・・それって・・・」
少しだけ理解できた。彼女がこれから話そうとしている内容。そして、彼女が現実世界に戻りたくない原因が...
「うん。多分、立花くんはもう分かってるよね。疲れちゃったんだ。人の期待に応えることにね。人は出来すぎてしまうと、その人についつい頼りたくなってしまう。より大きな期待をかけてしまう。それが、その人にとって大きなプレッシャーとなって、苦しめているなんて知らずにね。私はその重圧に耐えられなかった。いや、正確には耐えようとしていた。でも、限界が先に来てしまったんだよね」
言葉が出てこなかった。彼女がここまで思い詰めていたなんて知らなかった。知ろうとすらしていなかった。
初めて打ち明けられた彼女の過去に、戸惑いが隠しきれない。
「それで、どうなったの?」
怖かったが、聞かなければいけない気がした。彼女がどんな道を歩んできたのか、僕は知っておく必要があると思ったんだ。
「ある日ね、突然限界が来ちゃったの。担任の先生と進路の話になって、私は行きたい大学があったの。でもね、先生は何度もしつこく違う大学を進めてきたの。誰もが知っている名門のね。それが嫌だった。先生は私を花村佳奈としてではなく、優秀な生徒としてしか見てなかった。その後、クラスに戻ってからも悪気はないのだろうけれど、友達から『佳奈は勉強しなくても、頭いいからいいよね〜。どうせ、有名な大学に行くんでしょ?』って言われて、耐えきれなくなったの。私が努力していることなんて知らないから仕方がないんだけどね」
「そうだったんだ」
「うん。次の日から私は学校に通えなくなった。怖かったの。みんなが私に抱いている期待が、私には重荷だったの。幸い私の両親は、私に寄り添って親身に話を聞いてくれた。2人のおかげもあって、転校が決まったんだけどね。転校初日に事故に遭ってしまってね。全く運がないよね」
悲しげに笑う彼女を見るのは、辛かった。笑いたくもないのに、笑っている顔が痛々しげだった。
「私ね、戻るのが怖いの。また、誰かに期待されたりするのが、たまらなく怖い。だから、私はこのままの姿で・・・」
「ダメだよ!!」
咄嗟に彼女の手を掴む。しかし、僕の手はまたしても彼女の手をすり抜けてしまう。
「え・・・」
「それは絶対にダメだ。君を待っている人は、必ずいる。君の両親は今どんな想いだと思う?僕でさえ、胸が張り裂けそうなんだ。きっと君の両親はそれ以上に君のことを心配しているよ。だからさ、僕と一緒に生きようよ」
「立花くんと?」
うっすらと彼女の瞳に光が宿っていく。黒ずんだ闇を纏った目に一筋の光が灯る。
僕らの周囲も同様に、夜に包まれる住宅街に家々の温かな光が灯り始める。
確実に一歩一歩、僕らはその灯りの照らす光の方へと歩みを進めていった。
僕らは共に並んで歩いているのに、影は僕のしか地面には映らない。初めから分かっていたが、やはり寂しいものである。
隣にいるのに、この世界から省かれてしまっているのは。
並んで歩みを進めることおよそ5分。徐々に周りから人がいなくなり始めた。
「あ、あのさ」
「うん?」
何も変わらない彼女。その様子が、なぜか僕の心を打ち付ける。
「一緒に帰ってくれてありがとう」
「あ、うん。全然私は嬉しかったから。こちらこそありがとうね、立花くん」
「え!僕の名前知ってるんだ」
驚いてしまった。普通のことなのに、彼女が僕の名前を知っていることが嬉しかった。
「そりゃ知ってるよ。隣の席だし、何より唯一私を見つけてくれる人だからね。家族ですら、私を見つけられないのに君だけは・・・」
「ご、ごめん。迷惑だよね」
「違うよ。嬉しかったんだ。誰も私を見つけてくれなかったから。あの日もきっと勇気を出して話しかけてくれたんだよね。今だってそうだよ。側から見たら、君は1人で話しているように見える。でも、君はこうして嫌な顔せず、私と歩いてくれてる。ありがとう」
「あなたが好きだからです」と言ってしまいたい。でも、それを口に出してしまったら、下心があって近づいたみたいでいい気がしない。
「よかった。嫌われているとばかり思ってたから。教室でも僕、空気のような扱いだったから」
「違うよ! あれは、君に迷惑がかかるかもしれないと思って、あえてそっちを見ないようにしてたんだよ!」
「なんだ安心したよ。この前のことを聞きたいんだけどさ」
「うん」
「どうして目覚めたくないの? 人に気付かれないって辛くない?」
ずっと気になっていた。昨日はトラブルがあったせい、彼女とは逃げるように別れてしまった。
「辛いよ。人に気付かれないのは辛い。でも、それ以上に辛かったの」
今彼女が話そうとしているのは、彼女が僕と同じように普通の人として生きている時の話だろう。
何が彼女をここまで苦しめているのだろうか。
「私ね、昔から割となんでもできたの。運動にしろ、勉強にしろ。基本的に他人から『すごい!』って言われて生きてきた。前の学校では、生徒会長も務めて、文化祭の実行委員長も務めたりしていたの。でも、嫌だった。私は、普通に生きたかった」
「普通・・・それって・・・」
少しだけ理解できた。彼女がこれから話そうとしている内容。そして、彼女が現実世界に戻りたくない原因が...
「うん。多分、立花くんはもう分かってるよね。疲れちゃったんだ。人の期待に応えることにね。人は出来すぎてしまうと、その人についつい頼りたくなってしまう。より大きな期待をかけてしまう。それが、その人にとって大きなプレッシャーとなって、苦しめているなんて知らずにね。私はその重圧に耐えられなかった。いや、正確には耐えようとしていた。でも、限界が先に来てしまったんだよね」
言葉が出てこなかった。彼女がここまで思い詰めていたなんて知らなかった。知ろうとすらしていなかった。
初めて打ち明けられた彼女の過去に、戸惑いが隠しきれない。
「それで、どうなったの?」
怖かったが、聞かなければいけない気がした。彼女がどんな道を歩んできたのか、僕は知っておく必要があると思ったんだ。
「ある日ね、突然限界が来ちゃったの。担任の先生と進路の話になって、私は行きたい大学があったの。でもね、先生は何度もしつこく違う大学を進めてきたの。誰もが知っている名門のね。それが嫌だった。先生は私を花村佳奈としてではなく、優秀な生徒としてしか見てなかった。その後、クラスに戻ってからも悪気はないのだろうけれど、友達から『佳奈は勉強しなくても、頭いいからいいよね〜。どうせ、有名な大学に行くんでしょ?』って言われて、耐えきれなくなったの。私が努力していることなんて知らないから仕方がないんだけどね」
「そうだったんだ」
「うん。次の日から私は学校に通えなくなった。怖かったの。みんなが私に抱いている期待が、私には重荷だったの。幸い私の両親は、私に寄り添って親身に話を聞いてくれた。2人のおかげもあって、転校が決まったんだけどね。転校初日に事故に遭ってしまってね。全く運がないよね」
悲しげに笑う彼女を見るのは、辛かった。笑いたくもないのに、笑っている顔が痛々しげだった。
「私ね、戻るのが怖いの。また、誰かに期待されたりするのが、たまらなく怖い。だから、私はこのままの姿で・・・」
「ダメだよ!!」
咄嗟に彼女の手を掴む。しかし、僕の手はまたしても彼女の手をすり抜けてしまう。
「え・・・」
「それは絶対にダメだ。君を待っている人は、必ずいる。君の両親は今どんな想いだと思う?僕でさえ、胸が張り裂けそうなんだ。きっと君の両親はそれ以上に君のことを心配しているよ。だからさ、僕と一緒に生きようよ」
「立花くんと?」
うっすらと彼女の瞳に光が宿っていく。黒ずんだ闇を纏った目に一筋の光が灯る。
僕らの周囲も同様に、夜に包まれる住宅街に家々の温かな光が灯り始める。
確実に一歩一歩、僕らはその灯りの照らす光の方へと歩みを進めていった。