EP1. 浸るミッドナイト

 つまらない。
 心は何も感じない。けれど、今日を生きれたみたいだ。
 生きている。
 毎日を。
 泣きながら、感情もなく。
 ただ、私が生きていればいい。
 それだけの事実が、尊いのだと言いたい。
「ふとした瞬間に、誰かを思い出す。私にとって、それは……」
 バスタブに浸りながら、口癖のように、繰り返す。
 夢のなかで、私は、誰かを呼ぶ。
 それが、意味あることなのかは、分からない。
 ただ、悪戯なジレンマだけが、私の唇を奪っていく。
 それは、真夜中の秘密のように、とめどない瞬間を引き寄せるシロップのよう。
 ただ、甘い。
 甘いだけの時間。

❄︎

「iQOSって、美味しいですか?」
 私の右後ろの、肩甲骨付近でいう声は、「先輩、もうすぐ誕生日ですよね?なにか、欲しいものとかありますか?」と、続けていう。
 シースルーの前髪に、柔らかいオリーブベージュ髪。マツパしたまつ毛と、クリアベースに、パールが輝く爪、花柄のワンピース。後輩の絢華だ。
「美味しい?わかんないや」と、私はいう。
「誕生日は、タバコがいいですか?」と、そんな言葉をもらった、私は、
「え、おぼえてくれて、ありがとう。ん〜、意外かもだけれど、花束とか?あとは、なんだろう、お高いシャンパン。くらいかな。最近、物欲がないんだよね、とかいって、頼んでるね〜。なんかなぁ〜。あ、絢華、祝ってくれるんだ?超、優しいね」と、いう。
 自分でつっこんでいて、相手の反応は、滑ってないから、大丈夫そうだ。
「おぼえてますよ、先輩が好きなものとか、メーカーも」
「それは、営業の特技かな?私に、営業かけてる?」
「あはは、バレました?」と、可愛い笑顔で笑う。
 全力で駆け抜けた金曜日の、仕事終わりに、私は、後輩の笑顔で癒された。
 ピンクが強いブラウンの髪の毛。スパンゴールドのヘアピンと、ピンクローズの長く揺れるピアスから、腰まである髪を少し巻いている。
 そんな私は、
「ん〜と、今のところ、それで」
「欲しいもの、2つですね。私は、先輩が好きなので、お祝いさせてください」
「可愛いね〜、こりゃ、たまらんな」と、私はいう。
「先輩のほうが、可愛いですから」
「ありがとう、優しいかよ。あ、いちよう、ときめくじゃん。絢華、コミュ力、陽キャだから、悪い、男には気をつけな〜」
「私、彼氏いるので、なにもないですよ〜」
「そっか、まぁ、大丈夫か」
 165センチの私から、後輩の絢華は、10センチも、背が違う。
 コミュ力が高く、細やかな気遣いができる。
 私は、絢華【あやか】が、私の部下でよかったと思う。
「かっこよくて、仕事をこなす先輩も好きですけれど、もう、誕生日は大切にしてくださいね。なにが欲しいか、真剣に考えといてくださいよ〜」と、私の前に来て、微笑んだ。
 こういう女性が、人類モテ。それに私も、「まぢ、ありがとう」と言って、癒された。
 満更でもない私は、「義理の礼儀とはいえ、ありがたいなあ」と、いう。
「誕生日か。莉都、アイツが失踪した日じゃん」
 iQOSの煙が、空をまく。
 左手の携帯で、日付を確認する。
「自分の誕生日なんて、忘れそうだよ」
 私たちは、可愛い、綺麗でいたいと願い、自分の視線と、他者の視線を介して、自分の魅せ方をつくる。これが、それぞれの努力、いう。
 ただ、生まれ持った武器を、いつも忘れそうになる日もある。
 後輩が屋上から去ったあと、「可愛いも好きだけど、私は、綺麗を目指すの。私は、私だよね?」と、自問自答する。
 好みの服があったら、買いたい。
 あの服に、あいそうな、ネックレスが欲しい。
 20代も後半にさしかかると、友人関係も変わってくる。
 ちょっとでも、仕事やプライベートが上手くいかないと、泣いていた。そんな私は、もういない。
 今は、ただ、毎日をいかに、自分らしく生きるかを決めた。
 10代、20代、30代、40代で、悩みが違うように、いまは、ここにクライアントの悩みが重なる。
 自分のフロアに戻り、私は、「お先に失礼しまーす」と、いう。
「絵羅、また月曜日ねー!」
「絵羅さん、お疲れ様です」
 口々に、みんなが声をかけてくれて、私は、手を振る。
「また、月曜日」
 17時。左手の時計を見る。誰よりも早く、仕事を終わらる。絵羅【えら】とは、私の名前だ。
 定時に帰れる私は、満員電車にいるなかでは、まだ、ホワイトだろうか。オフィスのある新宿から、小田急線に向かって歩く。ホームを降り、B2へ。今日の昼ごはんは、10秒で飲めるゼリーを2つ。
 27歳の私は、自分のことで手一杯で。仕事は余裕なく、たまに、ぎりぎり。けれども、人間関係がいい。先輩と後輩に挟まれて、生きている。こっちは、人間関係重視。月から金曜日まで。朝は6時に起き、8時から17時までアパレル事業の営業の仕事へ。
 金土日曜だけ、夜は20時から、23時は自宅の近くの居酒屋の副業へ。副業は、自宅の近くの居酒屋で、20時から23時まで働いている。こっちは、スピード重視だ。
 そして、毎週水曜日だけ、ピラティスにいく。友達と遊ぶのは、木曜日だけと決めている。
 そうもしていないと、東京で生きていけない。FXや、積み立て式の貯金、お金の勉強もしながら、ひとりで、東京で生きるのは、大変だ。
 マツエク、カラコン、ヘアー、メイク。飲食。家賃や公共費、諸々、いくら毎月かかるだろうか、というのは、数字にすると怖い。
 会社や、居酒屋にくる、街でたまたま見かける、誰かと比べていないのに、いつからか、他者と、自分に厳しくなり、迷い込み、比較する。私は、悩みやすい、そんな毎日。
 SNSでは、TikTokがいちばん好きで、暇さえあれば、移動中もみてしまう。
 だが、今日は、自宅近くの居酒屋が、夫妻ともインフルエンザで、臨時休業のため、私も、本業だけだ。金土日曜の3日間。
 半年自宅近くの居酒屋で、仕事をさせてもらって、初めてのことだ。
「なんとかならないけど、なんとかなるのが、最近わかったよ、莉都」
 人とぶつからないように、みんな訓練を受けたように、歩く。
 私は、新宿から、小田急線で、最寄駅で降りて、いつものスーパーで、晩御飯の買い出しに行く。
 耳にはいつも、イヤフォン。
 上京した私は、何年住んでも、東京は慣れない。パンデミックが終わって、私は、今は、前より街並みも変わって、時を感じている。
 仕事帰り、私はいつも訪れる、スーパーで、大好きなメーカの新作のビールを見つけた。
「新作が、またでたね」
 新作のビール6本。
 それぞれが、別のメーカーだ。
 私の趣味は、ビールの新作をNetflixをみながら、呑むこと。チャンジャ、たこわさ、醤油ベースのカップラーメン。
 これが、今夜の夜ご飯。
 なにも予定のない、金曜日。
 私は、久しぶりに、ひとりの時間ができた。定時に帰り、副業がない。
「最高だなぁ、帰れるね」
 私は、鍵を鞄から取り出して、玄関のドアを開けると、乾いた空気に纏わりつくような、静電気が走った。
「今日が終わった〜」
 ばちんっと電気がつく音と、静電気が、私に、同時に走る。
「お、いたいね」
 誰かに頼って、頼られて、依存して、されて、騙された昔を経験すると、静電気の痛みなど、笑えるのだ。
 誰だってある、秘密。孤独、痛み。それは、慰めにならない、浅い苦味。
 みえない気持ち。
「莉都は、バカだね。こんなカッコいい友達置いて、消えるなんてさ〜。アイツのことは、忘れてやる」
 かつて、この家で、親友と暮らした。名前は莉都【りと】。
 莉都が、滞納した家賃や、光熱費、当時最新のテレビ。
 狭い部屋に絶対いらないのに購入したL字ソファー、私も気に入ったので、今でも手放せない、イタリアブランドのルームフレグランス。ジェットバスに改造した、お風呂。
 10代後半から、22歳まで。
 私の、失踪した親友で、ルームメイトの莉都の痕跡が、毎日、帰宅後に残る部屋。
 27歳の私に、毎晩告げられる。
 私が入浴中、一緒に入ることを日課にして、バスタブに迷いなく来る、莉都が、
「俺、もう、なにもかも、自由になりたいんだよね」と、言う。変な口癖だった。
 私の心は、とうの昔に、その気持ちさえなくしてしまったので、「そう」とだけ呟いた。
 人に、自由なんてない。
 これは、私の考え。ただ、その考えを否定するのは、違うような気がして,いつも笑って、ひとことだけ、言葉を交わした。
 あの、自由を追い求めていた。
 私の誕生日の夜、失踪した人物は、今、どこで、なにをしているのだろうか。生きているのだろうか。
 他人に一様気を遣って、出来る人間で攻撃されある女の部分を削ぐ。
 皮膚が破れるように、それは上手に軽快に相手にバレなくて、自分は脇役に徹底する。
 土俵にはいつも、傍観者でいる。
 私は、部屋の電気をつけて、冷蔵庫にビールや、ご飯類をしまう。
 給湯のバスルームをスタンバイさせる。
「今日は、久しぶりに、ゆっくーり、お酒を呑んで、ラベンダーアロマのバスルームで、浸りますか」
 今は、ひとり。
 当時とは違う。
 私は、私であるために、誰にも心を預けず、頼らず、でも、人と上手く関わるために、最小限の関係性を繋いでいく。
 10代や20代前半の無防備と、無垢な私は、いない。
 22歳の私の誕生日の日、部屋に飾ったバルーンや、ケーキを一緒に食べて、いつも通りに会話をして、私がお酒がまわって早く寝た。
 その、誕生日の夜に、親友の莉都が失踪して、私はどん底に落ちた。
 過去は、私を強くしたのだろうか。
 けれど、私は、人生を責任をもって、生きると決めれた。
「莉都……。アイツ、私の誕生日に消えるとか、強いな。若さってやつ?」
 若いときほど、自信と活力と不安と無謀な時期はないのだ。
「やばい、なんで思い出したんだろう?呑んでもないのに」
 疲れは、過去への扉だ。私は、我に返って、15分後。
 再び、冷蔵庫をあけて、1本目の新作のビールを、「プシュ」と、鳴らして、勢いよく流しこむ。
 こうして、私だけの、ご褒美のような時間が始まる。
 心をなくしてもなお、元、親友を想うのは、何故だろうか。
 それより、何故、こんなにも毎日満たされているのに、悲しくて、胸が痛いのだろうか。
❄︎