ゴゴゴゴ……と、辺りに地鳴りのようなものが響く。
「な、なに?」
マツリカは床にへたり込んだまま、不安げに周囲を見渡す。
先程はギリギリのところで助かった彼女は、腰が抜けてしまったようでその場から動けなかった。
「御影さんの結界が崩れ始めたのかもしれません」
絢永が言った。
彼は痛む腹を押さえながらも、なんとかその場に立ち上がる。
「やばいんじゃないの? さっき結界の端の方まで見てきたけど、周りはいかにも魑魅魍魎って感じの化け物がうじゃうじゃしてたよ。百鬼夜行の比じゃないぐらい」
どうやら周囲はあやかしだらけで、結界が破られれば三人とも命の保証はなさそうだ。
いつまでも泣いている場合じゃない、と栗丘はスーツの袖で目元を拭う。
銃を懐に仕舞い、空いた左手で右腕を押さえながら、歯を食いしばって立ち上がった。
「まだ、元の世界に帰れる方法はあるのか?」
「わかりません。でも、もしかしたら御影さんはもう……」
その先の言葉を詰まらせる絢永。
もしかしたら、と、最悪の事態が頭を過ぎる。
しかし、
「ミカゲは死んでないよ」
と、確信を持った声でマツリカが言った。
栗丘と絢永の二人は驚いて彼女を見る。
彼女はやっと足に力が入るようになったらしく、緩慢な動作でその場に立ち上がった。
「ミカゲはまだ死んでない。死ぬはずがないでしょ。だって、あたしがまだここにいるんだから」
「どういうことだ?」
栗丘が怪訝な顔で聞き返すと、彼女は自らの腰に両手を添え、自信に満ち満ちたドヤ顔で言い放った。
「あたしをこんな所に置き去りにしたまま、無責任に死ぬはずがないってこと。あいつはあたしのこと、自分の娘みたいな存在だって言ったの。だからあいつは、あたしを助け出すまでは何が何でも死ぬはずがないの。親って、そういうものなんでしょ」
自惚れ、とは何かが違う彼女の強い意思を目の当たりにして、栗丘たちは呆気に取られる。
その間に、彼女はその場から数歩離れて、どこまでも続く薄闇の空を見上げて叫んだ。
「ミカゲ! 何ボサっとしてんの!? 早く助けに来なさいよ!!」
病人に鞭を打つようなセリフだった。
しかしそれは同時に、御影の生存を願う彼女の気持ちが表れているようでもある。
「あんた、あたしの父親になりたいんでしょ!? だったら、何が何でも生き延びて、あたしのことを守りなさいよ! この腑抜け!!」
言いたい放題に彼女が言い放った直後、薄闇に包まれた頭上から、一筋の光が差した。
それは明け方の窓から差し込んだ光のように朧げだったが、次第に明るさをどんどん増して視界を真っ白に染め上げていく。
「うわっ……」
たまらず目を瞑ってしまうほどの強い光が、辺りを包んだ。
「御影さんの気配です!」
絢永が叫ぶ。
御影が、迎えに来る。
彼は最後の力を振り絞って、門の向こうから手を差し伸べたのだった。
◯
次に目を開けた時には、辺りは真っ暗だった。
三人とも立ち位置こそ変わっていなかったが、周囲の風景はあきらかに様変わりしている。
夜の帳が下りた寒空に、ぽっかりと月が浮かんでいる。
そこから横へ視線をスライドさせると、隣には見慣れた警視庁舎が建っていた。
「戻って、来れたのか?」
その場所は、どう見ても元の世界だった。
警視庁本部の敷地内。
百鬼夜行を迎え撃ったその場所には、今はあやかしの姿はどこにも見当たらなかった。
「そうだ、御影さん……!」
この場所へ帰って来れたのは、他でもない御影のおかげである。
栗丘はすぐさま彼の姿を捜したが、その目に入ってきたのは、すでに持ち主を失って空になった車椅子だけだった。
「…………え?」
御影が座っていた車椅子。
今は誰も乗っていないそれの足元には、見慣れた扇子が落ちていた。