栗丘の目の前で、光を纏った彼女は胸ポケットから飛び出すと、小さな足で地面を蹴り、勢いをつけて父の元へと迫る。

 その時やっと、栗丘は気づいた。

(見える……)

 キュー太郎の視界が、栗丘にも見えている。
 風を切り、父親の背中へと向かっていく彼女の目が、栗丘の目とシンクロしていた。

 ——式神の作り方はけっこう簡単でね。対象となるあやかしの体に、霊力を込めた術者の血を一定量注ぎ込めばそれで完成する。

 御影の言葉が、脳裏に蘇る。

 思えば栗丘は、この白い獣から何度も血を吸われていた。
 つまりキュー太郎の体には、少なからず栗丘の血が注がれているのだ。

 ——栗丘くんも、気が向いたら練習してみるといいよ。実際に使役してみればあとは感覚で覚えられると思うから。

 彼の言っていた通り、式神を使役する感覚というのが、手に取るようにわかる。

 視界はどんどん加速する。
 やがて栗丘瑛太の真後ろまで迫った白い獣は、栗丘の意思に従って体を何倍にも巨大化させ、鋭い牙の生えた大口を開けた。

 すんでのところで気づいた父は、振り返りざまに背を反らせてギリギリのところで難を逃れる。
 胸元を掠った獣の牙が、ネクタイを食いちぎる。
 そうして一度は取り逃がしたものの、獣はさらに巨大化して、細長いその胴体を敵の体へと巻き付かせていく。

 まるで蛇が獲物を捕らえるかのごとく、栗丘瑛太は拘束された。
 さすがの彼でもこれには歯が立たないようで、初めて焦りの表情を見せる。

 今しかない、と栗丘は銃を握る手に力を込める。
 相変わらず照準はふらふらとして定まらない。

 この機を逃せば、おそらく勝ち目はない。
 銃を握る手が汗で滑りそうになる。

 そんな栗丘の両手を、後ろから伸びてきた別の手がそっと支えた。
 驚いて見ると、いつのまにか背後には絢永の姿があった。
 彼は栗丘の小柄な体を後ろから包み込むようにして、銃を握る手を力強く固定させる。

「絢永……」

「覚悟はいいですね、栗丘センパイ」

 最後の確認とばかりに絢永が聞く。

 記憶の中で、父が微笑む。

 ——必ず、俺の息の根を止めてくれ。

 栗丘は一度深く息を吐いて、それから意を決して言った。

「ああ。もちろんだ」

 相棒の手に支えられながら、父の心臓に狙いを定める。

「さよなら、父さん……!」

 震える指に力を込め、一気に引き金を引く。
 直後、腹の底まで響く轟音とともに、運命を分ける弾丸が飛び出した。

 弾道は一切の迷いを見せることなくまっすぐに伸び、霊体であるキュー太郎の巨体をすり抜けて、実体である父の胸の中心を貫く。

 人間としての急所。
 心臓を撃ち抜かれるその刹那、霞む視界の中で、父がわずかに微笑んだように、栗丘には見えた。

 カッと強い光が広がったかと思うと、次の瞬間には、父の体は光の粒子となって消えていった。

 その場に残された栗丘は、父との約束を果たした事実を噛みしめながら、静かに涙を流した。