「これで本当のさよならだな、みつき。あの世で母さんによろしく」

 その言葉が自分の父親のものであると、栗丘は認めたくなかった。

 体の痛みから逃れるかのように、意識が朦朧としてくる。
 視界が霞んで、目の前にある父の顔がよく見えない。

 カチャリと音がして、こめかみに銃口を突きつけられたのがわかった。
 今度こそ、これで終わり。
 絢永はおそらく気を失っている。
 御影もそろそろ限界だろう。
 誰も助けには来ない。

「父さん……」

 結局自分は、父との約束を果たせなかった。
 ギュッと目を閉じ、やがて来る衝撃に備える。

 ドン! と辺りに轟音が鳴り響いた。

 だが。

(……あれ?)

 自分の心臓は未だ、うるさいほどに早鐘を打っている。

 まだ、意識がある。

 人間は死んだ後もしばらくは聴覚が残る、なんて迷信めいたものを聞いたこともあるが、これがそうなのだろうか。

 恐る恐る(まぶた)を上げてみると、ぼんやりとした父のシルエットが薄闇に浮かび上がる。
 そして、こちらに伸ばされていた左手の先——つい先程まで銃を持っていたはずのその手は、今は何も握っていなかった。

 むしろ、指が一本足りない。
 人差し指が根本からもげ、そこからボタボタと鮮血が滴っている。

「…………なに?」

 父もまた呆然とした様子で、自らの左手を見下ろしている。
 やがておもむろに視線を横に向けたかと思うと、その先に広がる薄闇の奥を凝視した。

「……あれっ。当たった? 外れた? どっち?」

 どこからともなく、そんな声が聞こえた。
 場違いなほど間の抜けた、愛らしい声。

 栗丘もわずかに首を動かしてそちらを見ると、二十メートル以上は離れた場所に、銃を構えるマツリカの姿があった。

 どうやら彼女が発砲したらしい。
 床に転がっていた銃を拾ったのか。
 一体どこを狙って撃ったのかはわからないが、その弾丸は奇跡的に、父の人差し指ごと拳銃を弾き飛ばしたのだった。

「……貴様」

 それまで余裕綽々(しゃくしゃく)だった父の様子が豹変した。
 血走った目で、視線の先のマツリカを捉える。

 さすがに両手を負傷したとなると、銃の扱いは難しい。
 さらには出血も酷く、このままでは父の体自体が駄目になる恐れもある。

 あきらかな殺意を孕んだ彼はそのまま足を踏み出し、彼女のもとへと迫る。
 マツリカは標的がいきなり自分になったことで動揺したのか、足をもつらせて尻餅をついた。

「逃げろ、マツリカ……!」

 栗丘は痛む体に鞭を打って上半身を起こし、片膝を立てて再びを銃を構える。
 だが、やはり右腕がうまく動かない。
 震える腕では照準が定まらず、視界もぼやけている。
 下手に発砲すればマツリカに当たるかもしれない。

 このままでは間に合わない。
 どうすればいい。
 焦りばかりが先行する中、視界の隅で、白い光がぼんやりと膨れ上がるのに気づいた。

 見ると、栗丘のスーツの胸ポケットから、強い光が漏れている。
 そこからにゅっと顔を出した白い獣は、全身が眩い光に包まれていた。

「キュー太郎……? お前、なんで」

 白いふわふわの体を持ったそれは式神であり、御影の力がなければ動かないはずである。
 しかし今まさに限界を迎えようとしている御影が、それを使役できるほどの力を残しているとは到底思えない。