父の覚悟は決まっていた。
おそらくはずっと前から。
門の向こう側で、時間の影響を受けない体と心とを持て余しながら、今日という日を心待ちにしていたのだ。
「わかったよ、父さん。俺が必ず、全部終わらせてやる」
母のぬくもりに別れを告げ、栗丘もその場に立ち上がる。
やがて眩い光が辺りを包み、そこで再び意識は途切れた。
◯
「……避けてください、栗丘センパイ!!」
鬼気迫るその声で、栗丘はハッと目を開いた。
気づいたときには、銃口がすぐ目の前にあった。
いつのまにか床に倒れ込んでいた栗丘の鼻先に、見慣れた黒い拳銃が突きつけられている。
その持ち主は、つい先ほどまで話し込んでいた栗丘瑛太その人だった。
彼は今やくたびれたパジャマ姿ではなく、全身に返り血を浴びたスーツ姿でそこに立っていた。
おそらくは十年前か、あるいは二十年前に浴びた同胞たちの血だろう。
虚ろな目で、にたりと笑うその顔は、もはや自我が残っていないようにも見える。
栗丘は事態を把握した瞬間、全身を跳ねさせるようにして横へ飛び退いた。
直後、ドン、と至近距離から銃声が響く。
間一髪のところでそれを避けると、慣性の力を利用して立ち上がり、距離を取った。
すかさず後ろに控えていた絢永が敵の心臓を目掛けて発砲する。
しかし相手はひらりと体を傾けてそれをかわす。
栗丘のずば抜けた運動神経は父親譲りである。
その身のこなしには目を見張るものがあった。
「助かったよ、絢永」
栗丘は懐から取り出した銃を構えながら、絢永の方へ歩み寄る。
「ギリギリでしたね。さすがにもう駄目かと思いましたよ」
絢永もまた銃口を栗丘瑛太へと向けたまま答える。
「それにしても、ここは一体……」
栗丘は改めて周囲を確認した。
薄闇に包まれたその場所は、見渡す限り何もなかった。
床はコンクリートのように固く、頭上には空も天井もない。
ただ薄暗い空間がどこまでも広がっているだけ。
「もしかして俺たち……門の向こう側に来ちまったのか?」
「その可能性は高いです。ですが、まだ微かに御影さんの気配があります。おそらくはまだ彼の結界の中です。この結界が破れない限り、元の世界へ帰る方法はあります」
あの巨大なあやかしの手に招かれて、彼らは門の向こう側へと引き込まれてしまった。
しかし御影の結界の内側にいる彼らは、まだ完全に『あちらの世界』に到達したわけではないらしい。
「ここは、いわば境界の最たる場所。人間もあやかしも、僕ら以外にここへ入り込める者はいないでしょう。あの巨大なあやかしも、あなたの父親の体を介してしか接触してこないはず」
「なら、思う存分あいつとやり合えるってことか! ……って、マツリカはどこに行ったんだ?」
「あの子なら、きっと大丈夫でしょう。誰よりも悪知恵の働く子ですから。きっと安全な場所から高みの見物でもしているんじゃないですか?」
「それもそうだな!」
マツリカに対する二人の評価は散々なものだったが、言い換えればそれだけ彼女を信用しているともいえる。
「御影さんの結界も、あとどれくらい保つのかわかりません。あまり時間は残されていませんよ」
「ああ。さっさとケリを付けてやる!」