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 同じ頃、マツリカと平泉はまだ車の中だった。
 後部座席で肩を並べる二人は長い沈黙を保っていたが、目的地まであと五分ほどとなったところで、ふと平泉が口を開く。

茉莉(まつり)……いや、マツリカ」

 誤って本名で呼びかけた彼に、マツリカは嫌悪感を丸出しにした目を向ける。

「うっざ。今わざと間違えたでしょ」

「ふ……」

 平泉は小さく笑っただけで否定はしなかった。

「まだ本名では呼ばせてくれないんだな」

「本名って……。よく言うよね。化け物が付けた名前だと思ってるくせに」

「とんでもない。君の両親が付けた大切な名前だ」

「『あやかしに憑かれた人喰い鬼』が付けた名前、でしょ。あたしが生まれるずっと前から、あたしの親は人を殺して食べてた。人間としての自我がどこまで残ってたのかもわからない。そんな化け物が付けた名前なんて……」

 言いながら、マツリカは窓の外へ視線を移す。
 等間隔に並んだ街灯が、流れ星のように後ろへ過ぎ去っていく。

「それに、警察(あんたたち)が言ったんでしょ。あたしたちが住んでいた家の鉢植えに、茉莉花(まつりか)の花が咲いてたって。あたしの親も多分、その花を見て、適当にあたしの名前を決めたんでしょ。きっと深い意味なんてない。だから、あたしはただの『マツリカ』。それ以上でも、それ以下でもない」

「確かに、君の両親は正気ではなかったかもしれない。しかし、たとえ憑代になっても、人間の自我が完全に無くなることはない。自分たちの愛でていた花の名前を付けたのなら、それこそ君を大切な存在として認知していたと、私は思うがね」

 マツリカは返事をしなかった。
 そうして再び訪れた沈黙を破ったのは、またしても平泉の方だった。

「君は、御影の養子にはならないのか?」

 その質問に対しても、マツリカは何の反応も示さなかった。

「御影は不器用な奴だが、あれでも、君のことは大事に思っているんだぞ」

「冗談でしょ」

 そこでやっと、マツリカは平泉の方を振り返る。
 その顔には冷ややかな笑みが浮かんでいた。

「あいつはあたしのこと、最初から人間扱いしてなかった。じゃなきゃ、あたしの体であんな実験をしたりしない」

「実験? ……ああ、もしかして検査のことか? そりゃ、君のように特別な能力を持っている子どものことなら、誰だって調べたくはなるだろう。さすがに『実験』と言うと語弊があるからやめてくれ」

 平泉は苦笑しながら続ける。

「特にあの頃、特例災害対策室は十年前の事件で打撃を受け、大幅に人員が減っていた。そこへ救世主のように現れたのが君だったんだ。おそらく御影も、藁にもすがる思いで君を頼りにしていただろう」