男性は心底困った様子で泣きついているが、藤原は「うちも暇じゃないんで」と突っぱねる。
 やがて諦めて帰ろうとした男性の背中に、栗丘はここぞとばかりに声を上げた。

「よ、よかったら俺が……私が話を聞きます!」

 後輩が匙を投げたのなら、そんな時こそ自分の出番である。
 栗丘が胸を張って対応を代わろうとすると、

「ええと……。キミは、ここでお手伝いか何かをしているのかな?」

 男性が不思議そうに聞いて、隣で藤原が小さく吹き出した。

「センパイ。悪いこと言わないんで、こういう奴とはあんま関わらない方がいいっすよ。どうせ大した悩みでもないんだろうし、変に甘やかして付きまとわれたら後々面倒なんで、時間の無駄っすよ」

 藤原はそう耳打ちしたが、栗丘は折れなかった。

「そんなの、ちゃんと話してみないとわからないだろ。それに、たとえそうだとしても……市民を守るのが警察官の役目なら、どれだけ嫌なことでも目を背けちゃいけないんじゃないのか?」

 都合の悪いことから逃げてばかりでは、警察官は務まらない。
 自分なりの誠意を振りかざして栗丘が言うと、藤原はこれみよがしに盛大な溜息を吐いた。

「なら勝手にしてください。俺は、わざわざ自分の邪魔になりそうなものにまで手を出したいとは思わないっすけどね」

 ほとんど吐き捨てるように言って、藤原は自分のデスクに戻った。

 栗丘は改めて男性の方へ歩み寄り、にこりと営業スマイルを浮かべる。

「こんな(なり)でも、私はれっきとした大人で、警察官です。よければ私に話を聞かせてください」

 男性はまだ半信半疑のようだったが、それ以外に相談する術はないと察したようで、栗丘のすすめたパイプ椅子に腰掛けると、つらつらと語り始めた。

「ここ最近、先月あたりからなんですけどね。時々、自分が自分じゃないような、まるで別人になったかのように感じるときがあるんですよ」

「自分が、自分じゃない?」

「ええ。さっきの店でもそうでしたが、自分の意思がまるで無視されるような、抑制が効かない状態になってしまうんです」

「えっと、それは……失礼ですが、何か心に抱えているものがあったりとか、そういうことでしょうか」

「病院での検査では特に問題はないんです。脳も正常でした。でも……」

 男性は神妙な面持ちで俯きながら、何かに怯えるように、震える両手で頭を抱える。

「怖いんです。自分がそのうち、まったく別の誰かに成り代わられてしまうような……。何か、説明の付かないもの——幽霊のようなものに取り憑かれている気がして仕方ないんです」