さすがにこれは助からないかもしれない——と、栗丘は自らの胸元を見下ろしながら思った。
手長という名のそのあやかしの胴体は、限りなく人間の形に近かった。
しかし、能面のようなその顔の口元だけは大きく裂け、剥き出しになった鋭利な牙は栗丘の心臓のみを狙っている。
ぷつり、と皮膚を破られる感覚とともに、牙が体内へと侵入してくる。
このまま心臓を貫かれて自分は死ぬのかと、迫り来る恐怖に栗丘はギュッと目を瞑った。
だが直後。
閉じた瞼ごしにでもわかる強い光が眼前に広がり、反射的に再び目を開く。
光を放っていたのは栗丘の胸ポケットだった。
まばゆい光を放ちながら、『それ』はポケットの中からずるりと這い出てくる。
ガアアッと虎のごとく咆哮を上げ、『それ』は真っ白な光をさらに増幅させて巨大な獣の形へと変化した。
栗丘の体の何倍にも膨れ上がったその白い巨体は、狼のように尖った口をがばりと開け、敵の頭と胴体を一瞬で丸飲みにする。
そのままブチブチと固い音を立てながら、長く伸びていた二本の腕はいとも簡単に引きちぎられてしまった。
「…………な……。…………えっ?」
あまりにも一瞬のことで、やっと我に返った栗丘は遅れて目を瞬く。
隣で床に倒れ込んでいた絢永も、手にした銃を構える間もなく放心していた。
やがて頭と胴体を失った二本の腕はどさりと床に落ちると、そのままサラサラと砂のように崩れて消えていく。
その様子を見届けてから、眩い光を放つ獣は本来の手のひらサイズに体を収縮させ、栗丘の胸ポケットへと戻っていった。
「キュッ!」
と、可愛らしい声を上げて『それ』はポケットから顔だけを出す。
「……キュー太郎。今のは、お前なのか?」
栗丘の質問に答えるように、小さな白いもふもふは「キュッ」と短く鳴く。
それを肯定と取った栗丘は、途端に顔全体を綻ばせて自分の胸ごと彼女を抱きしめた。
「すごいぞキュー太郎! お前、そんな力があったんなら早く言ってくれよー!!」
あやかしはもはや跡形もない。
無事に勝利をおさめた喜びを全身で表現する栗丘の隣で、絢永は未だ床にへたり込んだまま小さく呟いた。
「……御影さんの式神だとは予想していたけれど、まさかここまでとは」
「ん? 何か言ったか?」
何でもありません、とぶっきらぼうに答えながら、絢永はやっとその場に立ち上がった。
そんな彼に栗丘が気を取られている間に、もふもふは栗丘の胸元から滲んだ血をぺろりと舐める。
「あはっ。くすぐったいって! こいつ、どさくさに紛れて血ィ吸うな!」
けらけらと笑う栗丘の後方で、非常階段からはマツリカが顔を出す。
「何、もう終わったの?」
何食わぬ顔をして降りてきた彼女に、絢永は厳しい目を向けた。
「マツリカさん。今回のこと、後で詳しく聞かせてもらいますよ」
「あっ、マツリカお前! さっきはよくも俺のこと騙したな。御影さんに訴えてやる!」
「別にあんたが報告しなくたって、ミカゲは何でもお見通しでしょ。今回もどうせ、あたしのことを監視してたんでしょ?」
えっ、監視? と栗丘はびっくりして絢永を振り返る。