「あのあやかしは、おそらく『手長』……。腕は無限には伸びません。このまま僕らが引きつけ続ければ、いずれはあの部屋から胴体も出てくるはずです」
「手長? 名前そのまんまだな。とにかく、このまま走ればいいってことか!」
胴体さえ引きずり出せば、あとはこっちのものだ。
しかし、走り続ける二人はすでに二階の廊下まで到達していた。
「まだか……!? このままだと地上に出ちまうぞ!」
「民間人を巻き込むわけにはいきません。ここの敷地を出るまでに、なんとかして仕留めないと……!」
すでに息が上がっている絢永の横顔を、栗丘はちらりと盗み見る。
珍しく焦っている様子だった。
胸元で銃を握っている右手もわずかに震えている。
「絢永……」
まだ若い、警察に入って間もない新人のくせに、ここまで責任の重い仕事を任されるなんて——と、栗丘は思わずその胸中に同情した。
そして、
「絢永、大丈夫だ! お前ならできる!」
いきなり声を張り上げたことで、隣の絢永は反射的に肩を跳ねさせた。
「……はっ? なに急に適当なこと言い出すんですか」
「心配しなくていい。焦らず集中してやれば、お前は必ずあのあやかしを倒せる!」
一点の曇りもない瞳で栗丘が言うと、半ば呆気に取られていた絢永は苦虫を噛み潰したような顔で目を逸らす。
「……何の保証もなしに、無責任なことを言わないでください。民間人を巻き込んだら、ただでは済まないんですよ。最悪の場合、死者も出るかもしれない。その事の重大さがわかっていますか?」
絢永の言葉を聞く限り、彼はやはり民間人に被害が出ることを恐れ、その責任の重圧に押し潰されそうになっている。
だからこそ、栗丘はあえて軽い調子で彼に言い聞かせる。
「無責任でも何でも、できるもんはできるんだよ! 『できない』なんて言ってるうちは絶対にできないんだ。でもお前なら大丈夫! 俺が保証する!」
「なんですかそれ……」
あまりにもしつこい栗丘の激励に、さすがの絢永もわずかに笑みを漏らす。
と、そんな彼の横顔越しに、栗丘は手すりの外側にぬらりと現れた大きな『目玉』を見逃さなかった。
「……絢永、横だッ!」
「えっ……?」
その声で絢永が手すりの方を見たのと、あやかしの『胴体』が手すりを飛び越えて襲いかかってきたのはほぼ同時だった。
栗丘は咄嗟に絢永を押し除け、自らの体を盾にする。
「センパイッ!!」
突き飛ばされて廊下に倒れ込んだ絢永の目の前で、大きく口を開けたあやかしは栗丘の胸へと齧り付く。