「それで、あやかしについてだけどね」
そんな御影の声で、栗丘は一気に現実へと引き戻された。
「あっ。は、はい!」
「この前の事件……えっと、斉藤さんだっけ。彼は鬼のあやかしに憑かれていたよね」
「はい。鬼に操られて暴走して、周囲の人たちに危害を加えていました」
当時のことはまだ記憶に新しい。
栗丘が彼の店に入ってすぐ、鬼は正体を現した。
そこへ外で待機していた絢永が乗り込み、無事にあやかしを退治するに至ったのだ。
「そうだね。斉藤さんはあやかしのせいで暴走した……それは確かに正しい。けれど、『鬼に操られた』という言い方はちょっと違うかな」
「えっ?」
どういう意味ですか、と聞き返す栗丘の脇から、マツリカが箸を伸ばして彼の前菜を横取りした。
すぐに気づいた栗丘は威嚇したが、盗られたモノはすでにマツリカの口内で咀嚼されてしまっていた。
御影は構わずに続ける。
「あやかしというのはね、取り憑いた人間の全てを支配できるわけじゃないんだよ。彼らはあくまでも体を借りているだけ。完全に意識を乗っ取れるわけじゃない。実際、あの斉藤という男性だって、君を殺そうとした時のことはちゃんと覚えていただろう?」
言われて、そういえば、と栗丘は思い出す。
あの時、鬼の支配から逃れて正気に戻った斉藤は、直前までのことを確かに覚えていた。
「あやかしは取り憑いた人間を意のままに操れるわけじゃない。ただほんの少し、その人の深層心理に働きかけるんだ。その人が普段は理性で抑えつけているモノ、心の奥底に眠る本性を、ほんの少しだけ増幅させて解放してあげるんだよ」
斉藤の深層心理。
普段は見せることのない、心の奥底に眠るもの。
——私は、なんということを……。もう少しで、あなたのことを殺してしまうところでした。
「それってつまり……」
ごくり、と栗丘は唾を飲む。
御影はうんうんと軽快に頷く。
「あの斉藤という男性は、愛する妻を通り魔に殺されて、世間や我々警察にも少なからず恨みを抱いていたはずだからね。きっと心のどこかでは、我々を本気で殺してやりたいと思っていたんだよ。その深層心理はあの鬼にとって利用価値のあるものだったというわけさ」
栗丘の首に手をかけ、命を奪おうとしたあの行為。
それは他でもない本人の意思によるものだったという事実を突きつけられて、栗丘は言葉を失った。
「まっ、普段は理性で抑えられてるみたいだからね。今回のようにあやかしに憑かれでもしない限りは放っておいても大丈夫だよ。気にしない、気にしない」
相変わらず飄々とした御影の声だけが、静かな部屋の中に響いていた。