「あら。どうしたの、その首元。痣ができてるわよ」

 指摘されて初めて、栗丘は病室の窓に映る己の姿に目を向けた。
 うっすらと、首元に何かの跡が残っている。
 おそらくは先ほど斉藤に首を絞められた痕だろう。

「体は大事にしなきゃだめよ。あなたにはこれからもっともっと大きくなって、私にラクをさせるっていう義務があるんだからね」

 祖母はそう言って、茶目っ気のある笑みを浮かべながら柔和な瞳を栗丘に向ける。
 その笑顔は孫に向けられたものではなく、あくまでも彼女の息子である『瑛太』に向けられたものだった。

 息子と孫、かつてそれぞれに向けられていた彼女の笑顔は、どちらも大切な家族を慈しむものであったことに変わりはない。
 だが、だからといってその二つが全く同じものであるとは言えない。
 彼女が正しい記憶を取り戻さない限り、栗丘は本来の自分に向けられるはずだった本物の笑顔を見ることは叶わないのだ。

 そのまま黙り込んでしまった栗丘に、「瑛太、聞いてるの?」と祖母が追い討ちをかけてくる。

 医学は日々進歩している。
 自分が出世して、たくさん金を稼いで、最先端の治療を受けさせることができれば、いつかはまた、祖母の本当の笑顔を手に入れられる日が来るかもしれない。

 だから、それまでは。

「うん……。ちゃんと聞いてるよ、『母さん』」

 栗丘みつきは、己の父である『栗丘瑛太』のフリをする。

 自分が幼い頃に死んでしまった父。
 彼の身に一体何があったのか、その答えを、あの御影という男は知っているかもしれない。

「俺、がんばるからね」

 祖母であり、母でもある彼女にそう約束する。
 これからあやかし退治の危険な捜査に加わるつもりだなんて言ったら、彼女は心配するだろう。
 だが、幸い彼女にはあやかしは見えない。
 そもそも栗丘の周りにあやかしが見える人間なんて今まで一人もいなかった。
 だからきっと、余計な心配をかけることもないだろう。

 やがて面会時間の終わりが近づき、栗丘はゆっくりとベッドから立ち上がった。
 その拍子に、それまで胸ポケットで眠っていたらしいあの白い小動物がぴょこんと顔を出す。

「あら! どうしたの、その子。小さくて可愛いわねえ」

「えっ?」

 祖母の反応に、栗丘は固まった。

「え、え? 母さん、こいつのこと見えるの?」

「なに当たり前のこと言ってるのよ。見えるに決まってるでしょう? うちの家系は、昔からみーんな見えるんだから」

 今まで生きてきた二十三年間、栗丘が知らなかった事実をさらりと言ってのける祖母。
 思えば認知症が始まってからは入院してばかりだったので、こうして二人一緒にいる時にあやかしを目の前にする機会はなかった。

(ってことは、まさか……)

 祖母の記憶が正常だった頃は、わざとその事実を隠していた可能性がある。

「栗丘さーん。そろそろ面会時間を過ぎましたので……」

 顔馴染みの看護師が、申し訳なさそうにタイムリミットを告げに来る。

 祖母から聞き出さねばならないことが山ほどある。
 栗丘は胸の早鐘を聞きながら、後ろ髪を引かれる思いで病室を後にした。