「かはッ……!」

 後頭部を強かに打ちつけたが、痛みに耐える間もなく今度は喉元を圧迫される。
 斉藤は栗丘の腹の上に馬乗りになり、その細い首を両手で締め上げていた。

「あなたも所詮は下劣な人間の一人。悪を見過ごし、罪もない人々を見殺しにする冷酷な警察組織の人間だ。市民の安全を守るはずの警察がそんな(てい)たらくだから……私の妻も、あんな風に殺されたのです」

 怒りとも悲しみともつかない、今にも泣きそうな表情を栗丘に向けながら、斉藤は両手の力をどんどん強めていく。

「さいと……さ……」

 逃げられない。
 体格差もある上、こうして馬乗りになられてはもはや栗丘に為す術はなかった。
 さらには勤務時間外にスーツ姿でここへ来てしまったため、拳銃や警棒など武器になりそうなものは何もない。
 丸腰である。

「今さら何をしたところで、私の妻は帰ってはきません。でもだからといって、このまま何もしなければこの国はいつまでも変わりません。悪は蔓延(はびこ)り、それを警察は看過する……。そうすればまた新たな悲しみが生まれるだけです。だから、誰かがこうして制裁を加えてやらねばならんのです。でないと、この国はどこまでも腐敗していく……」

 斉藤の激情はやはり、最愛の妻の死に起因するものらしかった。
 本人もまだ平静を装っている時には口にこそしなかったが、事件を未然に防げなかったことで警察に対しても恨みを抱いていることが今はありありと窺える。

 なぜ妻を守ってくれなかったのか。

 大切な家族を奪われ、行き場のない怒りをどこかへぶつけようとする——その感情は、かつて栗丘自身も抱いた経験のあるものだった。

 ——……パパもママも、どうして死んじゃったの?

 二十年前。
 まだ幼かった栗丘は、ある日突然、両親を亡くした。
 とある事件に巻き込まれた、という警察からの説明は簡素なもので、当時の栗丘も幼心に警察に対する疑念が拭えなかったのを今でも覚えている。

 なぜ両親は助からなかったのか。
 あの日、一体何があったのか。

(それを知るために、俺は……せっかく警察官になったのに)

 視界がかすむ。
 呼吸が遮断され、段々と意識が朦朧(もうろう)としてくる。
 (かす)みがかる思考のどこかで、育ての親である祖母が優しく微笑む。

「この国を汚染する下劣な人間は……一人残らずこの私が喰い尽くしてくれるわ!」

 斉藤がそう叫んだのを合図に、彼の体からまるで熱気が立ち昇るようにして、その身に潜んでいたあやかしがついに姿を現した。
 それは全身が赤い肌をした、筋骨隆々の鬼だった。鋭い牙を持った口は裂け、それをがばりと大きく開けて、栗丘を丸呑みにせんと迫ってくる。