「……急にどうしたんです?」
案の定、その話題を振った瞬間に斉藤の顔つきが変わった。
それまで穏やかだった目元は吊り上がり、まるで不満があるように口をへの字に曲げている。
と同時に、やはりあの気配が漂ってきた。
警戒する栗丘に対し、斉藤は詰め寄るようにして畳の上で膝を寄せてくる。
「まさかとは思いますが、栗丘さんは、ああいう輩を野放しにしておけと言うのですか?」
「いや、まあ、そういうわけじゃないですけど……」
「犯罪者も、犯罪者予備軍も、この国には腐る程いるんですよ。だから誰かが制裁を下さねばならないのです。あのひったくり女だけじゃない。昼間の鉄板焼き屋にいた奴らもそうです。一人は自分の妻を殴るDV男。そして周りでそれを見ていた人間は、みんな見て見ぬフリをしていた薄情者たちです。あの構図は、学校や会社などで問題視されているイジメやパワハラと同じです。実際に暴力を振るった人間も、そしてそれを見て見ぬフリをした人間も、みんな加害者なんです。そんな輩を、よりによって警察官であるあなたが大目に見ろと言うのですか?」
栗丘の狙い通り、彼の体から発せられるソレの気配はどんどん濃さを増していく。
もうひと押しだ、と栗丘は慎重に言葉を選ぶ。
「まあ、警察官もヒマじゃないですからねえ。そんな些細なことにまで構ってられませんから」
「嘆かわしい……。警察もこの国も、全てが腐り切っている!」
「ほんと、ほんと。どこの組織も腐ってるんですよ。中にはただただ嫌味を言うだけで周りからエリート扱いされてるような生意気な奴もいるってのに、そういうのも野放しです。世の中そんなもんですよ」
誰のことかはさておき、栗丘がつい調子に乗って愚痴を織り交ぜていると、やがて斉藤は我慢の限界に近づいてきたのか、ふるふると両拳を震わせながら悔しげに俯いていた。
「……つまり警察の一員であるあなたも、そういう腐り切った人間の一人ということですか」
「いやぁ、私はまだマシな方だと思いますけどねえ。本当に酷い奴ってのはこう、人のコンプレックスを惜しげもなく刺激してくるような極悪非道の……」
そこまで言った時、栗丘は不意に訪れた喉の違和感によって、その先の言葉を続けることができなかった。
怒りの頂点に達した斉藤が、突如として伸ばしてきたその右手で、栗丘の細い首をしっかりと掴み、そのまま畳の上へと仰向けに叩きつけたのである。