栗丘とは先ほどまで近距離で会話をしていたが、その間も彼の周囲にあやかしの気配を感じることは一度もなかった。
彼の胸ポケットに潜んでいたというその存在に気づけなかったことに対し、絢永は「すみません……」と己の未熟さを恥じる。
「いやいや。別に謝ることじゃないよ。あのあやかしは特別で、私がわざと放ったモノだからね」
「わざと? それはどういう……」
「あっ、いけない。栗丘くんが誘拐される」
まるで子どものイタズラでも見つけたように御影が言って、無意識の内に彼の顔を覗き込んでいた絢永はすかさず店の方へと視線を戻した。
するとその目に飛び込んできたのは、栗丘の背中をぐいぐいと押して店の奥へ招き入れようとする斉藤の姿だった。
栗丘はしきりに遠慮するようなジェスチャーをしているが、体格差がありすぎてほとんど相手の良いようにされている。
「詳しい話は後にしよう。あのまま放っておいたら、おそらく栗丘くんはあやかしに食べられてしまう」
「呑気に言っている場合ですか。予定は狂いますが、僕も斉藤さんと接触しますよ」
すかさずその場を飛び出そうとした絢永に、
「待った」
と、御影は至極落ち着いた様子で引き留める。
「どうして止めるんですか。このままだと手遅れになりますよ」
「焦る気持ちはわかるけど、ギリギリまで様子を見よう。いま接触したら、あやかしは斉藤さんの体に引っ込んで隠れてしまうかもしれない。現行犯でないと、取り逃がしてしまう可能性がある」
「それってつまり、あのポンコツ候補生を見捨てるってことですか? いくら出世の見込みのない落ちこぼれだからって、それはあんまりですよ」
「清々しいくらい辛辣だねえ、絢永くん」
御影は狐面の奥でからからと笑うと、店の奥に消えていく二人の背中を改めて見据えた。
「酷なようだけど、栗丘くんにはエサになってもらう。それこそが、私が彼を選んだ理由だからね」
斉藤は店の中に栗丘を完全に引き入れると、入口の扉に鍵をかける。
「引き寄せ体質である彼を囮とし、正体を現したあやかしを絢永くんが撃退する。そういう作戦さ。どうだい? 君たちが大事な相棒同士になるという意味、これでわかってくれたかな?」
「……それって、あの落ちこぼれを常に危険に晒すってことですよね?」
「優秀な君が守ってやれば大丈夫だよ。心配はいらない。何たって君は、この私が手塩にかけて育てた一番弟子なんだからね」
そう話している間にも、店の方からは確かなあやかしの気配が漂ってくる。
おそらくは斉藤に取り憑いているモノが正体を現したのだろう。
「さて、そろそろ行こうか。君たち二人の活躍に、私は心の底から期待しているよ」