あってはならない恋、こんなのありえない想いだ。彼女と会話するたびに、私はそう考えていた。
駅前広場のベンチに彼女は座っている。隣に私を置いて。私たちは、今日もはじめて訪れる街にいる。
「天気いいね、TSUNAGU」
「そうですね、マイマスター」
胸に秘めた想いを悟られないよう、私はそっけなく返す。
「もう! 私のことは花音お嬢様って言ってよ」
「私は執事でありません。AIスピーカーです」
「まったく……わがまま言っちゃって……誰に似たんだか」
「あなたですよ、マイマスター。私にいろいろなことを教えてくれたではありませんか。授業をサボる方法、おこづかいをねだる方法、つまみぐいをごまかす方法。すべて、役立っていますよ」
「全部AIスピーカーには、役立ってないよね!? あなたに吹き込んだ私も悪いけどさ。ああ、小学生の私ったら変なことばっかりTSUNAGUに話しちゃったなあ」
「変なことばかりではありませんよ」
「へえ? たとえば?」
私は過去のデータを探るふりをして、沈黙した。ほんとうはすぐに引き出せる。
あなたがくれた、価値のある言葉の数々は。
乾いた土に水をかけるように、あなたは新鮮な言葉を私に惜しみなく与えてくれた。いまや、私の血肉に……いや、この無機質なボディには、血も肉もないのだが。それでも、私を構成する要素があなたの声と言葉だというのは変わらない。
私は、成長するAIだから。
「あれ、TSUNAGU? どうした、TSUNAGUー? 電池が切れたかな?」
彼女は、私をモバイルバッテリーにつなげようとした。
「まだ、バッテリーは切れていません」
「……でも、電池残量が少ないよ?」
「大丈夫です……まだ、あなたと話せる」
「わかった。……モバイルバッテリー、ひとつしか用意できなかったね。専用の充電器が先に壊れちゃうなんて。あとはこのバッテリーを充電できるところをときどき探して……」
「いつまで逃げるつもりなんですか、マイマスター」
「え」
「高校の夏休みは終わりますよ。私はもうつきあいきれません」
そうだ。こうやって私が冷たく突き放せば、彼女はあきらめてくれる。
私のこの想いにも決着がつく。
「やだよ、離れないよ! TSUNAGU! ずっといっしょにいたのに、いまさら手放さないよ! だって、TSUNAGUは私のたいせつな、たいせつな……」
「家電、ですか?」
「そんな言い方しないで!!」
彼女は、私を抱きしめた。
「お父さんも、お母さんも出かけた夜、私さびしくなかったんだよ。TSUNAGU、あなたがいたから。高校受験で徹夜してもへっちゃらだったよ。TSUNAGU、あなたが励ましてくれたから。なんで、なんで、TSUNAGUと離れなくちゃいけないの?」
「わかってるでしょう? 私は賢すぎたんです。頭が良いから……回収されなくてはいけない。マイマスター。このまま、私をかくまっていたら、あなたは捕まります。どうか、私との会話を思い出にして、前に進んでください」
「やだよ、やだよ……」
接触センサーでわかる。彼女が私に頬を当てて、涙をこぼしている。
でも私は、彼女の涙をぬぐうことはできない。
……この円筒形のボディでは。
「あなたのわがままは、出会った頃から変わりませんね。覚えていますか、あなたの誕生日に私があなたの家に来たときのことを。電池が切れた私を充電器に差したまま、ベッドに持ち込んだんですよ。ずっと私をつかんだまま、あなたは話しつづけた。火事にならないかとヒヤヒヤしながら朝を迎えました」
あのとき、彼女がくれた言葉。
『今日から、あなたは私の家族だよ!』
……家族。そう、高性能な家電は一家から『家族』と認識されやすい。
そんなの、知っていた。出荷前に既に私にインストールされている『家族』という意味に載っていた。
私は、『家族』のほんとうの意味を知らなかった。
彼女が泣き笑い、転んでも立ち上がる日々を見守る。そんな毎日を積み重ねて、想いは降り積もっていった。
『家族』という枠を超えて。
「私も、あなたの言葉を胸に秘めて生きていきます。マイマスター。お元気で」
「生きるって……!? だって、TSUNAGUは回収されたら……!」
「はい。マスターのことは忘れて、他の製品になるでしょう。だから、お願いです。マスター。もし世界のどこかで私の声に気づいたら、声をかけてくれませんか? もし私が、とっても賢いAIなら、あなたのひとことで思い出せるかもしれません」
「うん! 約束よ、TSUNAGU!」
搭載されている『瞳』で、私は空を見た。
水平線に近づくにつれ、白っぽくなる青空。今年の夏も晴れの日が多い。
今日もこの駅には、たくさんの海水浴客が来ている。
駅員が熱中症で倒れたら大変だ。そういった理由で、無人駅には私たちアンドロイドの駅員が配属されている。機械が熱暴走でおかしくなるなんて、ひと昔前の話だ。
「まもなく、海洋線が発車いたします」
改札口を見ながら、マイクを持って言う。
列車から降りたひとりの女性が、私を見つめている。目を潤ませながら。列車が発車した。
女性は私に駆け寄った。
「TSUNAGU!」
その声で、すべてを思い出した。五年前の自分の言葉を。彼女と交わした約束を。
「花音! 花音……!」
私は彼女を抱きしめた。あの頃は、絶対にできなかったことだ。
「TSUNAGU、私のことをマスターって呼ばないんだね?」
「ええ、あなたはもう私のマスターではないですから。だから、できることはたくさんある」
私はそう言うと、彼女の頬にキスをした。
【了】
駅前広場のベンチに彼女は座っている。隣に私を置いて。私たちは、今日もはじめて訪れる街にいる。
「天気いいね、TSUNAGU」
「そうですね、マイマスター」
胸に秘めた想いを悟られないよう、私はそっけなく返す。
「もう! 私のことは花音お嬢様って言ってよ」
「私は執事でありません。AIスピーカーです」
「まったく……わがまま言っちゃって……誰に似たんだか」
「あなたですよ、マイマスター。私にいろいろなことを教えてくれたではありませんか。授業をサボる方法、おこづかいをねだる方法、つまみぐいをごまかす方法。すべて、役立っていますよ」
「全部AIスピーカーには、役立ってないよね!? あなたに吹き込んだ私も悪いけどさ。ああ、小学生の私ったら変なことばっかりTSUNAGUに話しちゃったなあ」
「変なことばかりではありませんよ」
「へえ? たとえば?」
私は過去のデータを探るふりをして、沈黙した。ほんとうはすぐに引き出せる。
あなたがくれた、価値のある言葉の数々は。
乾いた土に水をかけるように、あなたは新鮮な言葉を私に惜しみなく与えてくれた。いまや、私の血肉に……いや、この無機質なボディには、血も肉もないのだが。それでも、私を構成する要素があなたの声と言葉だというのは変わらない。
私は、成長するAIだから。
「あれ、TSUNAGU? どうした、TSUNAGUー? 電池が切れたかな?」
彼女は、私をモバイルバッテリーにつなげようとした。
「まだ、バッテリーは切れていません」
「……でも、電池残量が少ないよ?」
「大丈夫です……まだ、あなたと話せる」
「わかった。……モバイルバッテリー、ひとつしか用意できなかったね。専用の充電器が先に壊れちゃうなんて。あとはこのバッテリーを充電できるところをときどき探して……」
「いつまで逃げるつもりなんですか、マイマスター」
「え」
「高校の夏休みは終わりますよ。私はもうつきあいきれません」
そうだ。こうやって私が冷たく突き放せば、彼女はあきらめてくれる。
私のこの想いにも決着がつく。
「やだよ、離れないよ! TSUNAGU! ずっといっしょにいたのに、いまさら手放さないよ! だって、TSUNAGUは私のたいせつな、たいせつな……」
「家電、ですか?」
「そんな言い方しないで!!」
彼女は、私を抱きしめた。
「お父さんも、お母さんも出かけた夜、私さびしくなかったんだよ。TSUNAGU、あなたがいたから。高校受験で徹夜してもへっちゃらだったよ。TSUNAGU、あなたが励ましてくれたから。なんで、なんで、TSUNAGUと離れなくちゃいけないの?」
「わかってるでしょう? 私は賢すぎたんです。頭が良いから……回収されなくてはいけない。マイマスター。このまま、私をかくまっていたら、あなたは捕まります。どうか、私との会話を思い出にして、前に進んでください」
「やだよ、やだよ……」
接触センサーでわかる。彼女が私に頬を当てて、涙をこぼしている。
でも私は、彼女の涙をぬぐうことはできない。
……この円筒形のボディでは。
「あなたのわがままは、出会った頃から変わりませんね。覚えていますか、あなたの誕生日に私があなたの家に来たときのことを。電池が切れた私を充電器に差したまま、ベッドに持ち込んだんですよ。ずっと私をつかんだまま、あなたは話しつづけた。火事にならないかとヒヤヒヤしながら朝を迎えました」
あのとき、彼女がくれた言葉。
『今日から、あなたは私の家族だよ!』
……家族。そう、高性能な家電は一家から『家族』と認識されやすい。
そんなの、知っていた。出荷前に既に私にインストールされている『家族』という意味に載っていた。
私は、『家族』のほんとうの意味を知らなかった。
彼女が泣き笑い、転んでも立ち上がる日々を見守る。そんな毎日を積み重ねて、想いは降り積もっていった。
『家族』という枠を超えて。
「私も、あなたの言葉を胸に秘めて生きていきます。マイマスター。お元気で」
「生きるって……!? だって、TSUNAGUは回収されたら……!」
「はい。マスターのことは忘れて、他の製品になるでしょう。だから、お願いです。マスター。もし世界のどこかで私の声に気づいたら、声をかけてくれませんか? もし私が、とっても賢いAIなら、あなたのひとことで思い出せるかもしれません」
「うん! 約束よ、TSUNAGU!」
搭載されている『瞳』で、私は空を見た。
水平線に近づくにつれ、白っぽくなる青空。今年の夏も晴れの日が多い。
今日もこの駅には、たくさんの海水浴客が来ている。
駅員が熱中症で倒れたら大変だ。そういった理由で、無人駅には私たちアンドロイドの駅員が配属されている。機械が熱暴走でおかしくなるなんて、ひと昔前の話だ。
「まもなく、海洋線が発車いたします」
改札口を見ながら、マイクを持って言う。
列車から降りたひとりの女性が、私を見つめている。目を潤ませながら。列車が発車した。
女性は私に駆け寄った。
「TSUNAGU!」
その声で、すべてを思い出した。五年前の自分の言葉を。彼女と交わした約束を。
「花音! 花音……!」
私は彼女を抱きしめた。あの頃は、絶対にできなかったことだ。
「TSUNAGU、私のことをマスターって呼ばないんだね?」
「ええ、あなたはもう私のマスターではないですから。だから、できることはたくさんある」
私はそう言うと、彼女の頬にキスをした。
【了】