桜太は、優しい子だった。
でも、それを知っていたのは私だけだったかもしれない。桜太はのんびり屋でちょっととろくて、よく先生に怒られていた。だから、みんなの間でもなんとなく問題児として認識されていた。
一方で、私は誰が見ても「いい子」だった気がする。おとなしいし、先生の言うことも聞くし、使いたいおもちゃも、遊具を使う順番も、すぐ友達に譲るから。
本当は、「嫌だな」とか、「それ使いたかったな」と思うことはたくさんあったけど、ケンカになるのが怖いから、「貸して」と言われると黙ってなんでも譲った。
だから、しょっちゅう、乱暴な子に使っているおもちゃや絵本をとられた。
やよいは、絶対言い返さないしやり返さないって、多分みんなそう思ってた。
ある日、同じ組の中で大人気だったアザラシのぬいぐるみを、やっと一番乗りで手にした日があった。嬉しくて嬉しくて笑顔が溢れる。もふもふとぬいぐるみを触りながら、この子にご飯をあげようと思って、おままごとの道具が入っている箱に向かったとき。
突然、ものすごい力でぬいぐるみを奪われた。
びっくりして振り返ると、同じ組の中で一番気の強い女の子が(確か、ナツミちゃんだったかな)さっきまで私の手の中にあったぬいぐるみを抱えて、こちらをにらんでいた。
「これ、なぁちゃんが使おうと思ってたの!」
なんで、あんたにこれを使う権利があると思った?
彼女の顔は、そう言っているように見えた。泣きたくなった。だって、私だってそれをずっと使いたくて、だけどみんなも使いたいと思って、ずっと待って、待って、ようやく手にできたんだよ。だけど、気が弱い私は、言い返すことも、ぬいぐるみを取り返すことも出来なかった。
涙をこらえて立ち尽くしていたそのとき、後ろからのんびりした声が聞こえた。
「今それさぁ、やよいちゃんが使ってたじゃん。返してあげなよ」
振り替った先にいたのは、困り顔の桜太だった。
私は、びっくりして桜太を見る。ナツミちゃんは、「なによ」って感じの顔で桜太と私を交互ににらんだ。
「だって今これ、なぁちゃんが使おうと思ってたのにやよいちゃんが持ってたんだよ」
「ナツミちゃん、いつもそれ使ってるでしょ。やよいちゃんだって、使いたいよね。やよいちゃんに返さないなら、先生に言うよ」
先生に言うよ、という言葉のパワーは絶大で、ナツミちゃんは私にぬいぐるみを押しつけるようにして渡すと、べそをかいて離れていった。桜太くんがひどいんだよ、とナツミちゃんは友達に大きな声で訴えていたけど、桜太は気にもとめずにっこりした。
「やよいちゃん、いいんだよ、それ使って。あ、一緒に遊ぼっか」
待ってて、と言うと、桜太は別のぬいぐるみを持ってきた。そして、桜太が持っているぬいぐるみがお父さんで、私が持っているぬいぐるみはお母さんということにして、一緒におままごとを楽しんだのだった。
それが、私たちの出会いだったかはわからない。
でも、一つ言えるのはーーそういう優しさの積み重ねがあって、私は桜太のことを好きになった。
多分、初恋だった。
恋が何かもまだ分からない年だったけど、顔を見ただけで嬉しさが込み上げたり、一緒にいられるだけで心がぽかぽかしたり、このままずっと一緒にいたいな、って思うのが恋だとしたら、間違いなく「好き」だった。桜太だってきっと、同じ気持ちだった。
だから私たちはしょっちゅう「だいすき」とか「けっこんしようね」とか、覚えたてのひらがなで一生懸命手紙を書いて、お互いの気持ちを確かめていたんだよね。
お母さん同士の仲がいいのが明らかになったのと、私と桜太が仲良くなったのとどちらが先かは残念ながら記憶にないけど、とにかくしょっちゅうお互いの家で遊んだ。確か裕子さんがお菓子作り好きで、桜太の家はいつも甘い匂いがしたんだよなぁ。
だから、別々の小学校に行くとわかったときの私たちは、何度も涙を流したと思う。幼稚園児にも、別れの意味くらいわかる。大好きなのに、もう、ずっと一緒にはいられないんだ。
だからせめて離れ離れになるまでの日々を大事にしようと、卒園するまでの一ヶ月くらいは、本当に毎日一緒にいたと思う。
そして、卒園式を数日後に控えた吹雪の日。私か、桜太か、どちらかの家で遊んでいるときに、たまたまテレビである教育番組が入った。それは、十分くらいの小さな音楽番組で、アニメーションと共に月替わりで色々な曲が流れる、というものだった。
その日流れていたのは、曲名もメロディーも思い出せないけど、多分卒業ソングであったことは確かだと思う。
唯一鮮明に覚えているのは、大きな桜の木の下で手をつなぐ、男の子と女の子の絵。外はこんなに吹雪いているのに、あんな暖かそうな春色の中でソツギョウしようとする二人が、うらやましかった。
今外がこんな天気なら、卒園式の日もきっとたくさん雪が降って、桜は見られないと思う。
でも私もいつかは、「卒業式」という大事な行事で、大好きな桜太とあんな風に桜が見れたらなぁ。きっと、私はそう思った。
だから、手紙を書いたんだと思う。六年間違うときを過ごしても、小学校生活最後の日ーー一番大事なときに一番大切な桜太ともう一度会って、一緒に同じ桜を見たいな、って。
北国の桜は、三月の頭には咲かない。そんなこと知らず、純粋な思いだけつづった。
そして、桜の木の下に私と桜太を描いて、その真ん中にハートを描いた。もちろんそのときは弘前公園の「桜のハート」の存在なんて知らなかった。ただ、「好きだよ」という気持ちをハートで表しただけだと思う。だけど偶然にも、あの絵にそっくりな場所が弘前公園にあったのだ。
その手紙をまさか桜太がずっと大切にして、最期のときまで持っていたなんて、知る由もなかった。
そして、私が描いたあの絵にそっくりな場所を見つけて、ずっと天国にも行けないままそこにとどまり続けていたなんて、夢にも思わない。
でも、それを知っていたのは私だけだったかもしれない。桜太はのんびり屋でちょっととろくて、よく先生に怒られていた。だから、みんなの間でもなんとなく問題児として認識されていた。
一方で、私は誰が見ても「いい子」だった気がする。おとなしいし、先生の言うことも聞くし、使いたいおもちゃも、遊具を使う順番も、すぐ友達に譲るから。
本当は、「嫌だな」とか、「それ使いたかったな」と思うことはたくさんあったけど、ケンカになるのが怖いから、「貸して」と言われると黙ってなんでも譲った。
だから、しょっちゅう、乱暴な子に使っているおもちゃや絵本をとられた。
やよいは、絶対言い返さないしやり返さないって、多分みんなそう思ってた。
ある日、同じ組の中で大人気だったアザラシのぬいぐるみを、やっと一番乗りで手にした日があった。嬉しくて嬉しくて笑顔が溢れる。もふもふとぬいぐるみを触りながら、この子にご飯をあげようと思って、おままごとの道具が入っている箱に向かったとき。
突然、ものすごい力でぬいぐるみを奪われた。
びっくりして振り返ると、同じ組の中で一番気の強い女の子が(確か、ナツミちゃんだったかな)さっきまで私の手の中にあったぬいぐるみを抱えて、こちらをにらんでいた。
「これ、なぁちゃんが使おうと思ってたの!」
なんで、あんたにこれを使う権利があると思った?
彼女の顔は、そう言っているように見えた。泣きたくなった。だって、私だってそれをずっと使いたくて、だけどみんなも使いたいと思って、ずっと待って、待って、ようやく手にできたんだよ。だけど、気が弱い私は、言い返すことも、ぬいぐるみを取り返すことも出来なかった。
涙をこらえて立ち尽くしていたそのとき、後ろからのんびりした声が聞こえた。
「今それさぁ、やよいちゃんが使ってたじゃん。返してあげなよ」
振り替った先にいたのは、困り顔の桜太だった。
私は、びっくりして桜太を見る。ナツミちゃんは、「なによ」って感じの顔で桜太と私を交互ににらんだ。
「だって今これ、なぁちゃんが使おうと思ってたのにやよいちゃんが持ってたんだよ」
「ナツミちゃん、いつもそれ使ってるでしょ。やよいちゃんだって、使いたいよね。やよいちゃんに返さないなら、先生に言うよ」
先生に言うよ、という言葉のパワーは絶大で、ナツミちゃんは私にぬいぐるみを押しつけるようにして渡すと、べそをかいて離れていった。桜太くんがひどいんだよ、とナツミちゃんは友達に大きな声で訴えていたけど、桜太は気にもとめずにっこりした。
「やよいちゃん、いいんだよ、それ使って。あ、一緒に遊ぼっか」
待ってて、と言うと、桜太は別のぬいぐるみを持ってきた。そして、桜太が持っているぬいぐるみがお父さんで、私が持っているぬいぐるみはお母さんということにして、一緒におままごとを楽しんだのだった。
それが、私たちの出会いだったかはわからない。
でも、一つ言えるのはーーそういう優しさの積み重ねがあって、私は桜太のことを好きになった。
多分、初恋だった。
恋が何かもまだ分からない年だったけど、顔を見ただけで嬉しさが込み上げたり、一緒にいられるだけで心がぽかぽかしたり、このままずっと一緒にいたいな、って思うのが恋だとしたら、間違いなく「好き」だった。桜太だってきっと、同じ気持ちだった。
だから私たちはしょっちゅう「だいすき」とか「けっこんしようね」とか、覚えたてのひらがなで一生懸命手紙を書いて、お互いの気持ちを確かめていたんだよね。
お母さん同士の仲がいいのが明らかになったのと、私と桜太が仲良くなったのとどちらが先かは残念ながら記憶にないけど、とにかくしょっちゅうお互いの家で遊んだ。確か裕子さんがお菓子作り好きで、桜太の家はいつも甘い匂いがしたんだよなぁ。
だから、別々の小学校に行くとわかったときの私たちは、何度も涙を流したと思う。幼稚園児にも、別れの意味くらいわかる。大好きなのに、もう、ずっと一緒にはいられないんだ。
だからせめて離れ離れになるまでの日々を大事にしようと、卒園するまでの一ヶ月くらいは、本当に毎日一緒にいたと思う。
そして、卒園式を数日後に控えた吹雪の日。私か、桜太か、どちらかの家で遊んでいるときに、たまたまテレビである教育番組が入った。それは、十分くらいの小さな音楽番組で、アニメーションと共に月替わりで色々な曲が流れる、というものだった。
その日流れていたのは、曲名もメロディーも思い出せないけど、多分卒業ソングであったことは確かだと思う。
唯一鮮明に覚えているのは、大きな桜の木の下で手をつなぐ、男の子と女の子の絵。外はこんなに吹雪いているのに、あんな暖かそうな春色の中でソツギョウしようとする二人が、うらやましかった。
今外がこんな天気なら、卒園式の日もきっとたくさん雪が降って、桜は見られないと思う。
でも私もいつかは、「卒業式」という大事な行事で、大好きな桜太とあんな風に桜が見れたらなぁ。きっと、私はそう思った。
だから、手紙を書いたんだと思う。六年間違うときを過ごしても、小学校生活最後の日ーー一番大事なときに一番大切な桜太ともう一度会って、一緒に同じ桜を見たいな、って。
北国の桜は、三月の頭には咲かない。そんなこと知らず、純粋な思いだけつづった。
そして、桜の木の下に私と桜太を描いて、その真ん中にハートを描いた。もちろんそのときは弘前公園の「桜のハート」の存在なんて知らなかった。ただ、「好きだよ」という気持ちをハートで表しただけだと思う。だけど偶然にも、あの絵にそっくりな場所が弘前公園にあったのだ。
その手紙をまさか桜太がずっと大切にして、最期のときまで持っていたなんて、知る由もなかった。
そして、私が描いたあの絵にそっくりな場所を見つけて、ずっと天国にも行けないままそこにとどまり続けていたなんて、夢にも思わない。